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俺に次の攻め手はない。もう欠片も残っていない。
そもそも素手でこんな奴とやり合うのが間違っている。
相手は大国の軍団長なのだ。ネコとトラくらい違う。
だから、少しくらいの反則は大目に見てもらおう。
まあ、ルールのある戦いじゃないので、反則なんてないんだが。
俺は構えた姿勢のまま、相手の出方を窺う。
上に伸ばした手が、間合いを計るのに丁度良い。
バルタサールは筋力を生かして突っ込んできた。まるで突風のよう。それが正解だ。
もともと俺の攻撃では、ダメージが与えられない。
真正面から突っ込めばいいことに気付いたようだ。
「俺の方は最初から気付いていたけどな」
俺は前蹴りで、相手の足を払う。
バルタサールの踏み下ろす足がほんの少し空を泳ぎ、自分の意志とは違う場所へ踏み込む。
アテが外れると、どれほど体幹を鍛えた者でも脆い。
階段を一段踏み間違えたときに、カクッとなるあれだ。
バルタサールの身体が一瞬だけ変な動きをした。
踏み出した足が戻されて、前のめりになるのはしょうがない。そう、しょうがないことなのだ。
俺はバルタサールを掴み、自身の背中を地面に投げ出した。
奴は急に消えた俺に戸惑いを覚えたようだ。
俺の足は奴の腹を押さえ、奴の身体を浮かす。
巴投げである。
あれは形が決まると、もうどうしようもない。
俺もよく投げられた経験があるから分かる。
空中で回転して背中から打ち付けられたときの屈辱は半端ない。
「よっと」
そしてオーガ族は、脳筋と言われるほど筋力に優れている。
綺麗に巴投げが決まった瞬間、バック転の要領で馬乗りになった。
俗に言うマウントポジションというやつだ。
「仕上げだ」
実はほぼ最初からここまでは考えていた。
ポケットから先ほど折った奴のキバを取り出す。
逆手に持って、バルタサールの右目に突き刺した。
……突き刺した。
「ここまでじゃ」
突き刺せなかった。あとほんの数センチメートルのところで止められた。
メラルダ将軍がいつの間にか俺の横にきて、手首を握っている。
「随分といいところで止めますね、メラルダ将軍」
「これでも注視しておったのじゃよ」
つまり俺がやられそうになっても止めるつもりだったようだ。
だがこれはちょっと拙い。
これで終わりになると、俺の思惑から大きく外れてしまう。
手首に力を入れたが、ピクリとも動かない。
隙をついてもまた止められるだろうし、これでお終いか。
俺が力を抜いたのが分かったのか、将軍は握っていた手を離した。
いつまでも乗っかっていてもしょうがないので、立ち上がる。
この喧嘩、先まで読んで戦ったが、軌道修正を余儀なくされた。
はてさて、どうなるか。
「ゴーランよ、満足したか?」
メラルダが妙な流し目を送ってくる。
「俺ですか?」
「そうじゃ。もう十分じゃろ? 何か考えがあるようじゃったので、そのままにしたのじゃ」
途中で止めが入らなかったのはそういうことか。
他の連中を制してくれていたようだ。
「俺ではなく……そっちに聞いてもらえませんか?」
頑張れ、俺。ここが正念場だ。
バルタサールよ、ちゃんと終わらせてくれよ。
「それもそうじゃな。のう、バルタサールよ。おぬしはどうじゃ?」
バルタサールはまだ寝転んだままだ。
自分がやられそうな所を止められたのが、衝撃的だったのかもしれない。まだ呆然としている。
「……油断しました。次は勝ちます」
あんな脳筋でも、メラルダ将軍相手だと、素直になるようだ。
そして俺は心の中で喝采を送った。「偉いぞ、バルタサール」と近づいて頬ずりしてもいい。これで終わらせられる。
俺は天幕の支柱を掴むと、力任せに引き抜いて、空にぶん投げた。
獣の皮を縫い合わせた天幕は、かなり丈夫につくられていた。
天幕は破れることなく、支柱と一緒に飛んでいった。
「…………」
無くなった天幕の周りには、呆然とする集まった兵たち。
これも予想通りだ。
「おい、リグ!」
「はいっ、ただいまっ!」
無言の兵たちをかき分けて、副官のリグが顔を出した。
「俺の荷物からアレを持ってこい。いいか、予備に金棒も忘れるなよ」
「わ、分かりました」
リグがダッシュで駆けていった。
あの場で武器の名を出したくなかった。
あいつは空気の読める奴だから、意味は分かっただろう。
「ゴーランよ、この天幕のことじゃが……」
将軍は、俺が天幕を取り払った理由を測りかねているようだ。
先ほどの喧嘩の音が響いたからだろう。
いまここには、多くの種族が集まっている。
どれも俺より魔素量が多いんだから、凄い。
さすが魔王国の兵だ。
俺はバルタサールに跪いた。
「なあ、俺に喧嘩で負けて、どんな気持ちだ?」
「ッ!?」
バルタサールが目を剥き、周囲がざわつく。
「骨を折られて転がされて、いまどんな気持ちだと聞いているんだ」
「キサマ……メラルダ様に戦闘を止められていなければ今頃……」
「骨を折られた……」
「転がされたって……だからあそこに?」
「負けたのか? バルタサール様が?」
周囲が思い思いの解釈をしている。
「なあ、教えてくれよ! 喧嘩を売って負けたときの気持ちってやつをさ」
「キサマ……言わせておけば」
俺は握っていた手を開いた。
先ほどバルタサールの目を刺すときに使おうとしたキバだ。
「だったら、質問を変えよう。キバを折られたときの気分はどうだ? こんなキバでもグランガチ族の誇りなんじゃないのか?」
これ見よがしに折れたキバをひけらかすと、そのまま地面に落とした。
キバを凶器に使おうと思ったのは、膨大な魔素を含んでいるからだ。
俺の拳なんかよりもよっぽど効く。
だから早めに折って、確保しておいたのだ。
足下に転がったキバを俺は踏み、ねじり潰す。
魔素を多量に含んでいるため、壊れたりはしないが、バルタサールの矜持を傷つける役目は果たせるだろう。
――メリメリメリ
あるえ?
足を離すと、粉々になっていた。
(……あっ、持っているうちに魔素が抜けたのか)
魔素が抜ければ、普通のキバと同じ強度くらい。
オーガ族の力で踏めば、そりゃ粉になるか。
「………………」
「………………」
「………………」
俺を含めて、バルタサールやメラルダ将軍、周囲の兵たちの視線が俺の足下に注がれる。
「こ、殺す!」
バルタサールが立ち上がった。
「ゴーランさまっ、持ってきました」
リグが現れた。ナイスタイミング。
「おうゴーラン、リグが武器を取りに来たぞ。下克上か?」
「またなの? ねえ、またなの?」
「さすが味方殺しのゴーランだぜ」
「味方殺し! 味方殺し!」
リグの後から部下たちもやってきた。
いやその前に、いつの間にか不穏当な二つ名がついているんだが……。
あれだけ身内を大事にしている俺のどこが味方殺しなんだ。
「…………」
気勢を削がれたバルタサールが、拳を振り上げたまま固まっている。
大丈夫だ。この喧嘩、いまだ俺のコントロール下にある。




