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バルタサールが立ち上がった。まったく短気なやつだ。
俺は冷静かつ大らかな心で接しているというのに。
「なんなら、オレがオーガ族を鍛えてやろうか? ああん?」
バルタサールはグランガチ族だ。
肉体系であるオーガ族とも相性が良い。
種族的にはかなりの上位互換になるが、訓練で得るものも大きいだろう。
俺は考えてみた。「これ、意外にいい案じゃね?」と。
「でしたら……」
お願いしてみようかなと思ったり。
「その代わり、訓練が終わる度にオーガ族の数は減るけどよ!」
「……ん?」
「一度に二体か三体ずつ、オレがこの手でくびり殺してやるわ」
……あれ?
これ、喧嘩を売られている?
俺がこんなに下手に出ているのに?
それで何?
オーガ族を毎日くびり殺すの?
この目の前の男が?
ほーう、それはそれは……。
俺が目を細めたのが分かったのか、バルタサールが「やんのか、こらぁ!」と威嚇してきた。
「とりあえず座って下さい。話を聞きましょう……」
俺が着席を促すと、「この腰抜けめ」と吐き捨てながら座った。
俺はたびたび思う。前世の道場って、何でもアリだったなと。
相手の気勢を削いで、こっちのペースで喧嘩を始める方法なんてのも習っていた。
バルタサールが、ドカッと腰を下ろした瞬間に、俺はテーブルを蹴り上げた。
「……って言うと思ったか、ゴルァ!」
テーブルは半回転してバルタサールの顔面に直撃する。
「うわっ!?」
ひっくり返ったバルタサールだが、ダメージはないだろう。
俺はこれから先の手順を素早く組み立てた。
「くびり殺すだとぉ!? どの口が言ってんだ!」
口とは裏腹に、俺は冷静だ。
ここで焦って殴りかかっても、相手にダメージはゼロ。
俺の魔素量では、見て分かるほどの傷は与えられない。
悔しいがそれが魔界の現実だ。
ゆえに俺が持てる力――オーガ族の渾身の力でもって、バルタサールの指を折りにいった。
――ぽきぃ
軽い音が天幕に響く。
それでも効果は絶大。
「痛ぇて!」
バルタサールの情けない声が聞こえた。
全力で指を折りに行く。俺の方が「なんて情けない!」と言われるかもしれない。
だが、オーガ族より三段階くらい上のグランガチ族相手では、これが精一杯なのだ。
奇襲だったこと、意外にもグランガチ族の指が長かったこと、まさか指を折られるとは思わなかったことで成功した。
ここで戦いを止めたら、俺の運命はここまでだ。
いま運良く、利き腕の指を折れた。ここから畳みかけないと、後がない。
起き上がろうとするバルタサールの顔面に、転がっていた水差しを叩きつける。
水差しが割れ、中に残っていた水がバルタサールの顔にかかる。
「……くっ!」
その隙に、今度は全体重をかけて、指をもう一本折った。
――ボキッ
今度はくぐもった音が聞こえた。
俺の膝の下にあったからだろうか。
何にせよ、これで利き腕は二本の指が使えなくなった。
「さあて、ここからが本番だぜ。覚悟しろよ」
「……てめえ、ぶっ殺してやる」
「三下ってのは、バラエティがないのがツラいな」
バルタサールが立ち上がって、掴みかかってくる。
そう仕向けたのは俺だ。
はっきり言って、身体のどこか一カ所でも掴まれたら、俺の負けだ。
相手もそれはよく分かっている。だから敢えて、俺は掴みかからせてやった。
「よっと!」
俺の腕を掴んだバルタサールは、何が起こったか分からなかっただろう。
俺が使ったのは、合気道の技。
生前俺が道場で女性相手によく教えていた技。
痴漢に腕を掴まれたときの対処法だ。
掴んだ腕は固定なので、そこを起点に身体を回転させてやると、自動的に腕が捻りあげられる。
「なっ!?」
合気の技を食らったことがないと、こうなる。
バルタサールは地面に仰向けに倒れ、腕は捻られたまま力が入らない状態になっている。
そして無防備な顔は俺のすぐ近くに晒されている。
足は、腕の三倍の力が出せるという。
俺は転生してから今日まで、強敵と戦うエア訓練をずっと続けてきている。
どこを狙えばいいのか、様々な種族に対応できるよう、日本で習った武術の応用を欠かしていない。
「ハッ!」
片手でバルタサールの額の毛を掴み、地面に縫い付ける。
その上で、顔面目がけて膝を叩き込んだ。
何度叩き込んでもダメージは与えられないのは承知の上だ。
だがこれには目的がある。
「ハッ! ハッ!」
何度も叩き込むうちに、膝にようやく満足いく感触があった。
キバのひとつが折れた。
――キバ折り
相手に屈辱を与えるくらいしか意味が無いものだが、俺は繰り返し膝を落とし、それを成し遂げた。
「これなんだ?」
折れたキバを掲げて、俺はニヤリと笑う。
「てめえ……」
バルタサールがいい顔になった。
折ったキバの長さは数センチメートル。他の歯と比べて、多少長い程度である。
それでもコレには使い道がある。俺はポケットにしまうと、片手を挙げて挑発した。
「そろそろ泣きを入れる時間じゃないのか? 跪いて許しを請えよ」
これはただの挑発。
そろそろ周囲が止めに入ると見越してのことだが。
「……あれ?」
だれも止めにはいる気配がない。このままだと俺、死んじゃうんだけど。
「うぉおおおおお」
バルタサールが突進してきた。
そろそろネタは尽きてきているというのに、向こうはやる気だ。
捕まえて殴り殺すつもりらしく、目がイッちゃっている。
「やれやれ」
俺は片手を上に、もう片手を下にして構えをとった。
「これは落としどころの先まで考えないと駄目そうだな」
俺は周囲がだれも止めに入らないことに嘆息した。
だったら周囲には、その責任を取ってもらおう。




