愛二乗と大君動く
この前、平田さんを家まで送った。
その記憶を頼りに平田さんの家まで向かう。
歩いて数十分、平田さんの家に着く。
表向きはコンクリートで作られた近代的な家。
けれど少し裏に回ると木製の大きな建物がある。
立て掛けられた看板には「平田道場」と書いてあった。
「あら、門下生希望かしら?」
後ろから声をかけてきたのは30代の女性。
スーツを着込んだ上に買い物袋をさげている。
ほがらかに微笑む姿に、大君は肩の力を抜く。
「いや、平田さんに用があって来ました」
「平田さん?私も平田さんなんだけど……」
なんだか、からかわれているような気がする。
「いえ、あの」
「分かっているわ。果穂子ちゃんのことよね。
今の時間なら道場にいると思うわ。ここをまっすぐ行けばいいから」
「はい、ありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げて、大君は進んだ。
女性は鼻歌を歌いながら家に入る。
「今日はお赤飯ね」
道場からは様々な音がしていた。
けれど悪い気はしない。
真剣に取り組んでいると言う証なのだから。
空いていたドアから中の様子を伺う。
平田さんが道着を着て、相手と向かい合う。
学校とは違って、髪を高い位置で一つに結い上げている。
姿勢のよさが際立っていた。
そして、組み手をする姿に衝撃を受けた。
綺麗だった。
一つ一つの動きに無駄が無い。
彼女の目線も、体の動きも、飛び散る汗でさえ魅入っていた。
「何じろじろ見てるんだよ。変質者」
「へ、変質者!?」
生まれてこのかた変質者なんて言われたことは無い。
文句の一つでも言ってやりたいが、目線が自分より上にあるので大君はすくみ上がる。
「あー!!林君、また入門者を追い払ってる!駄目でしょ。
ごめんなさい。門下生が失礼なことを言いましたね」
俺と林と言われた少年の間に、平田さんは割り込んで深く腰をおる。
「いやいや、顔を上げてよ。平田さん」
彼女は聞き覚えのある声に肩を震わせる。
そして恐る恐る顔を上げた。
彼女は俺と目が合うと泣きそうな顔をした。
どうしてここにいるの、と目が言っている。
「話がしたいんだ」
「私は話すことなんてない」
隣をすり抜けようとする彼女の手を掴む。
だが、彼女は無言で手を払った。
完全な拒絶だった。
大君が帰った後、果穂子は部屋に篭った。
窓から月明かりが入り込む中、独り膝を抱える。
もう傷付けられたくなくて、自分から離れた。
彼の手が宙を彷徨っていたけれど、彼の目が悲しみに満ちた色をしていたけれど、もう戻れない。
どうか私の恋心を消さないで下さい。
私に残った宝物を。
悲しい思い出があった。
沢山泣いた。
けど、
大君くんの笑顔がよぎる。
それ以上に楽しい思い出があるから。
生まれて初めてした恋。
まだ好きでいたいよ――。
果穂子は泣きたくなるような気持ちで膝に顔をなすりつけた。




