愛二乗と猫
翌日、教室に入ったら皆が静まり返って私を見た。
何なの?
「果穂子、ちょっと」
友人の皐月が手招きして教室の外に連れ出す。
そこでようやく理由が分かる。
いわゆる横取りしたって噂が立ってるらしい。
は?
「ほら、あんたさ日曜日大君くんと買い物行ったじゃん?
私は理由を知ってるけど、知らない人から見たら“この泥棒猫!!”よね。
大君くんには彼女がいたんだし、やっぱ軽率だったかな~大君くんが」
「私じゃないんだ」
友達に嫌われなくてほっとした。
「彼女がいるのに誘ったのは大君くんでしょ。それなのに非難されるのは果穂子って何様な訳?
ああ大君様か」
皐月が切れてるっ。怖っっ!!
皐月だけは怒らせちゃいけない。
「今回のことは大君くんが悪いわね~」
「う~ん、でも今更どうにもならないよ。
人の噂も七十五日って言うしね」
「ってあんたのんきすぎ。
まぁ大君くんにすぐ新しい彼女が出来るといいわね」
「えぇ!?別れたの?」
「うん。でもまぁ、気にすることないわよ」
「大君くんって彼女と付き合いもたないね~」
一年の三学期に帰り道偶然会った時もすぐ別れちゃったっけ。
……あれ?大君くんが別れるのって私と関わった時だよね。
気のせいかな。
誰もいない教室。
教室を夕焼けが橙色に染める。
「お前どうすんだ?噂されてるじゃないか」
啓一けいいちがニヤニヤしながら尋ねてきた。
楽しんでるな、こいつ。
「どうするもなにも平田さんは関係ないよ」
「関係あるさ。お前が誘ったからこうなった。どうするんだ?」
平田さんは周りからいじめられるようになった。
言葉での中傷。無言のいじめ。見てられない!!
だから俺は
「彼女を作る」
「は!?馬鹿かお前」
「でもそうすれば平田さんは安全になる」
啓一は俺の胸倉を引き寄せる。
「そんなことのために彼女を作るってのか!?
ふざけんな!!お前人をなんだと思ってる!?」
激情する啓一に対して表情の暗い雪哉。
その顔には諦めが見えていた。
「俺から平田さんをいじめるのを止めるように言っても意味がないんだ。
なら、じょうがないじゃないか……」
どさっ、と胸倉から手が放され、しりもちをつく雪哉。
「ほんと馬鹿だよお前」
「それでも守りたいんだ」
瞳の中にくすぶる炎があった。
「そんなに守りたいなら自分の手で守ればいい。
手に入れたいとは思わないのか。
好きなんだろ」
大君は笑おうとして、顔を崩した。
今まで完璧な笑みを浮かべていた大君が笑えなくなったのだ。
ただ顔をくしゃりと歪める。
「彼女は……そんなのじゃないよ。
ただ眩しくて綺麗だから守りたいだけ。
それだけだよ」
啓一は言葉を飲み込んだ。
ならどうしてそんな悲しい顔をする?!
苦しそうに眉を寄せる!?
お前どんな顔してるか知ってるか!?と言いたかった。
でも、出来なかった。
何か壊れてしまうような気がしたから。
「姉さんの教育方針に従っててよかった。
こんな俺でも好きだって言ってくれるんだから。
次、告白してくれた子と付き合おうかな」
大君は皮肉ったように笑って二人きりだった教室を出て行く。
残された啓一は毒づいた。
「ほんと、なんて顔してるんだよ」
ふと、教室の後ろのドアに影が映っているのを発見する。
啓一はすぐさま動く。
「よう、こんなところで盗み聞きか?」
そこにいたのは壁を背に付け、身を縮ませている少女。
「柿本 皐月」
おびえた目で啓一を見る果穂子の親友、皐月だった。
「違う、私忘れ物して」
「嘘つくなよ!!お前は平田のためとか言いながらここにいた。
そして雪哉のあの発言を聞いて喜んだ」
「やめて……」
細い声が確かにそう言った。
「だってお前は――」
「やめて!!」
先ほどとは違った大きな声が妨害したにも関わらず、彼女の秘めていた心は暴かれる。
「雪哉が好きだからな!!」
皐月は首を振りながら震えだした。
「違うもんか。お前はいつもあいつを見てた。
そしていつも失望する。
だってあいつが見てるのは必ずお前じゃないから。
お前はいつまで親友ヅラして平田のそばにいるつもりだ?
雪哉に告白するんだよな、平田を裏切って!!」
「違う!! 私達の友情はそんなものじゃない。
女の友情を見くびらないで」
啓一ははっとして口を閉じた。
そして
「ごめん」
そう謝った。
皐月は首を振る。
「私こそごめん」
たぶんそれは俺をふったことへの“ごめん”だろうと分かった。
俺は去り行く彼女にもう一度“ごめん”と言う。
友情に生きようとした彼女への侮辱をしてしまったこと。
どうやっても雪哉は柿本を見ないと言って傷をえぐってしまったこと。
そしてあっさりふられたはずなのにまだ好きでいることへの“ごめん”。
あいつに馬鹿馬鹿言っておきながら一番馬鹿なのは俺だった。
人は誰しも猫を飼う。
目に映るのにワザと無関心でいたり、その爪が鋭いと知って他者を傷つける。
そして媚びる。
なのに大きい声には怯え、逃げ去る。
人は猫を飼う。




