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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
番外・失夏――恋する始まりのフォアシュピール
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☆65 初恋 (2)

 教師をすることになった青火がまず向かったのは、月之宮邸の2階にある1室だった。


 とある八畳の部屋は散らかっていて、灰色の埃と木のにおいがする。

広さとしてはそれなりにあるはずだが、板張りの床に布団が敷きっぱなしになっているせいか、青火にとって窮屈な印象がした。


 脱ぎっ散らかしの靴下。サスペンダー。……おや、鉢巻きに手ぬぐい、鉛筆の削りくずまで散らばっているではないか。

 大きな姿見と、ひょろりとした釣竿、手垢のついた竹刀が壁際に置いてあった。

 本棚には小さな船の模型とガラスの瓶が飾られており、紙でブックカバーをかけた漫画と教科書が並んでいる。



「ここ、俺の部屋じゃないか!」

 五季がたまらずに突っ込んだ。それに三津も続くように、

「……おいおい。青火さま、冗談はともかくホントの教室はどこにあるんだ?」と訊ねた。


「冗談でここまで来るか。必要なものがこの中にあるんだ」

「……この中に?」

 青火の答えに、うげえ、と三津は嫌そうな顔になった。


「このとっ散らかったとこから探し出すんかよ」

「安心しろ。失くしようもない物だが、持ち出すのに手間がかかるだけだ」

と、綺麗好きな青火は呆れながら言った。


 足元の綿ぼこりが風によってフワフワと転がっていく。ネズミくらいの大きさになっているが、そのうちに本物がでてもおかしくなさそうな衛生環境だ。

 窓辺のカーテンは、五季が留守にしていたはずなのに全開になっている。小まめに閉めるのがめんどうになって、いつでも開放感たっぷりにあけっ放しになっているのだ。


「前に千恵子に片付けてもらったんじゃないのかよ、きったねえ部屋だな!」

 辺りを見回した四津の感想に、五季の顔が少し赤くなった。

 良かった。羞恥心は辛うじて残っていたか。


「四津兄さんの部屋だって、似たようなもんじゃないかっ」

「オレよか、お前の方が絶対ヒドイね。

どうせ、かわいい婚約者に世話してもらいたくて散らかしてんじゃねーの?」

「そんなわけあるか!」


 どちらも青火にいわせれば、五十歩百歩だ。

傍若無人な初代よりはマシだということで結論がでる。


「兄さんは、怒った千恵子のやかましさを知らないだろ!」

 五季はそう叫ぶ。

憤然と掃除を始めようとした彼は、止めようとした青火に肩を掴まれた。


「……目的を見失ってるぞ」

「だって、兄者が!」

「掃除なんてあとにしろ。今は、あの鏡をとりにきたんだ」

 青火がため息をつき、指で差したのは1つの姿見だった。足下に傷がつくほどに使い込まれていて、どことなく生活臭が漂っている日用品だ。

みんなは、それを見てポカンとする。ガシガシとまぶたをこすった者もいた。


「お前たちの部屋からも姿見をとってくるぞ。それが無かったら、なるべく日頃から使っている鏡を持ってこい」

 青火から一番最初の指示を下されたのだが、生徒たちはなかなか動きだせない。

 何かがかみ合わない一同の中から、三津が質問をした。


「……水晶玉とかで未来を視るんじゃないのか?オレたちが使ってんの、家具屋からフツーに買ってきた鏡だけど?」

「『普段ではみえないものがみえること』が重要なんだ。ここまで鏡を作る技術が進んでいれば、鉱物の種類にこだわらなくても大丈夫だ」

 青火は腕まくりをして、そう返答した。


 生徒たちは不可解なものを感じながらも、

よっこらせっ!と五季の部屋から姿見を引きずり出した。もうもうと埃が舞い、三津がむせた。

 男が4人も揃っているので、部屋の外から居間まで運んでいくのは簡単だった。三津、四津の姿見もそれぞれ持ってくる。

 こうして揃った3点の大きな鏡(それも背高の男性用)が居間の絨毯に自立して並ぶと、それはけっこう異様な空気を放つことになった。見事に和洋の趣味がバラバラになっているので、骨董品屋のような胡散臭さが溢れている。


 考えてみれば月之宮そのものだって不思議な家であることには違いなく、その混沌が表出してきたようで、一番年少の五季はビミョーな心境となった。


 彼らが向けてくる疑惑の眼差しに、青火はこう告げた。

「……そんな顔をするな。僕は、お前たちを騙すつもりはない」


 双子と五季は、互いに目と目で会話をする。心の気持ちを口にするまでもなかった。

 ……青火さまはこう言ってるけど信じられるか?

 毎朝のように睨めっこしてるけど、この鏡が変なものを映したことなんかないぜ?

 きっと、俺たちが農作業で文句を言ったから仕返しをしてるんだ。


「そんなに僕のやることが信じられないなら、この部屋からすぐに出て行け」

 青火がきつい声をだして、ドアを一瞥した。

 反射的に兄弟の背筋がびっと伸びる。各々に首を横に振ると、狐神は満足して頷き、その長い指で鉛筆を持った。


「では、まず――お前たちは、未来を予知することで何をしたい?」

 そう言った青火は、試すような目を向ける。

「四津、言ってみろ」

「……え、オレ?」


 指名された四津は「そりゃお国のために、戦争に勝つために占って……」と返事をしかけて、ん?と目を丸くした。

「……あれ? 占いで未来が分かると、戦争のどこで有利になるんだ?」


 その言葉に、相方の三津がずっこけた。

「あれだけ将棋をやってて、わかんないのかよ……。

どんな風に負けるのか知ることができたら、あらかじめ対策ができるじゃないか!」

「だって、手持ちの資金や兵隊の数は変えようがないじゃん。戦艦だっていきなり建造するわけにはいかないだろ」


「だれが、戦う直前に占えって言ったんだよ!普通、もっと前の準備してる時から占っておくもんだろ!」

「もっと前って、具体的にいつだよ?」

「いつって……」

 四津にツッコみを入れていた三津が、口ごもった。


 そのやり取りに何かに気が付いた五季が、青火の方を見た。

「……そういえば、一守兄さんは戦争になる前から忙しかった気がする」


 ……まさか、俺たちが呑気に暮らしている間から?

見透かしたような兄さんはこの戦争のことをいつから知っていたんだろう?

 背筋が少し寒くなった五季の視線に、青火がくっと口端を上げた。


「覚えておけ。不都合な未来を予知するのは、なるべく早くにやった方がいい。起こる事件が遠い時間にあるほど、それを少ない労力で避けやすくなるんだ。

……お前たちは、タイタニック号がどうして沈んだのかを考えたことがあるか?」

 1912年に、豪華客船が流氷にぶつかって沈没した事件を聞いたことがあるだろう。と青火は言った。

 手に持っていた鉛筆で、藁半紙に流氷を書いていく。水の流れも書き足していく。


「青火さま、タイタニックなら海の上になきゃダメだろ。その図じゃ、川の流れみたいになってるぜ?」

「タイタニック号は例えだ。時間は体感として過去から未来の一方向に流れているから、この図の書き方でいいんだ」


「なんか、はっきりしないなー。その説明じゃ川下りなのか、クルージングなのか分かんねーよ」

「……じゃあ、川で想像しておけ」

 後ろから茶々を入れられ、青火は投げやりにそう言った。絵心のある彼に、五季が羨ましそうな表情をする。


「青火さまの言ったタイタニック号の沈没って……たしか大きな流氷があることに気がつかなくて、うまく回避できなくてぶつかった事故だったよな……?すげえ豪華な船だったせいで、大勢亡くなったんだろ?」と三津が曇った声で言った。

「そうだぞ兄者!あれは世界最大の客船として設計されたんだ!」と五季が言う。


 2人の答えに、青火は頷く。

「三津の覚えている通り、あの事故は、霧のせいで衝突の『直前まで』流氷に気づくことができなかったのが原因だ。もしも障害物に接近しないうちに船の舵をきっていれば、このような惨事は起こらなかったかもしれないな」

「……それと占いと、なんの関係があるっていうんだよ?」


「不幸な未来を避けるということは、この事故と奇妙に似ているんだ。

この絵に描いた『流氷X』を、仮に『不幸な未来』とすると、

その流氷Xを避けるときに、その間近にある船A‐1と遠くにある船A‐2では、方向転換に必要な角度も猶予となる時間も大きく異なるだろ?

この障害物に向かって船を連れていく『水流』は、『時間の流れ』に置き換えて想像してみたらいい」

 流氷Xの近くにいればいるほど、そこから逃げるには労力がいるはずだ。


 青火の講義をすぐ理解できたのは、三津だけだった。

 首を捻った四津の方は、おもむろにテーブルにあったシュガーポットを持つと、その蓋を外しにかかった。柔らかい白色をしている、これの中身は砂糖が手に入りにくくなったせいで空っぽになっている。半ば飾りとしてテーブルに置いてあった可哀そうな食器だ。


 どうするのかと思いきや、その蓋を藁半紙の上に乗せて、ひとしきりに流氷Xに近づけたり、遠ざけたり、くるっと回転させたりして考え込んだ。

シュガーポットの蓋を船に例えて、納得するための足がかりにしているようだ。

 そこまで時間もかからずに証明し終えた彼は、弟の五季にそれを放ってよこした。


「言いたいことは分かったぜ。A‐2の方が、小さい角度変更で流氷X(不幸な未来)を避けられるってことだろ?

――これ、なんか『あみだくじ』にも似てるよな」


 あ、あみだくじ?

聞き間違えじゃないよな?

ひょんな発想にみんなが呆気にとられると、四津は得意気に言った。


「はじめの決断で、辿る道すじが大きくかけ離れていくってのは……、なんか、あみだくじを選ぶときと少し似た感覚がしないか?」

「あみだくじでは、進路の途中変更ができないだろう。人間の未来が、そこまで融通の利かないものだと思うのか?」

「……あー、忘れてた! あみだくじってそういう風に進むんだっけ」

 青火が呆れた口調になると、四津は頭をかいた。


 三津が口を挟む。

「四津は、木の根っこのようなものを想像してるんじゃないか?いくつも分岐している感じの……」

「流石は兄弟! そう、それだよ!」

 そう叫んだ四津は、目を明るく輝かせた。嬉しそうな顔になる。

 ……あみだくじに、木の根っこ……。

「ああ」

 青火は、彼らの言いたいことがようやく理解できた。

「つまり、お前の頭の中では系統樹のような図を想像してるのか」


 双子はしばらく思考停止した後に、

「「……お狐さま。系統樹とやらの意味がすぐに分かる奴なんて、この部屋にいねーよ」」

と白けた眼差しで言った。




 ――一方、それを近くで聴いていた五季は、はっと閃いた。

 シュガーポットの蓋を手のひらに包んで、小さな呟きを漏らす。


「…………そうか。根っこだってルートっていうもんな……」

 ……って、ここまでいったらキリないか?

 道すじのルートとは綴りも違うし、馬鹿っぽい発想か?

 千恵子に喋ったら、どんな顔をされるだろうか。……やっぱり、哀れみの目を向けられると思うか?

 イギリスから来た色白な陶器。ミス・シュガーポットは、少年の肌に抱かれながら、ナンセンスなその言葉に冷笑した。



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