☆49 ハニーレモンを噛みしめろ
慌てて私は、机から転落した紙袋に身をかがめた。
落っこちてしまったお菓子のパッケージを手に取ると、にやっと笑ったスマイルマークがプリントされていた。
今の自分は、恥ずかしさに赤くなっているかもしれない――。
火照った私が紙袋に詰めなおしていると、希未と鳥羽君も床一面におちている菓子を拾い集めてくれた。
「なんでこんなことになったの?」と聞かれたので、
恐らく遠野さんがリクエストしてあったレモングミをお礼にくれたことを、小さく説明した。
「……瀬川とつるむ奴のやりそうなことだな」
鳥羽君は、彼女にとって可哀そうな評価を下してしまった。
遠野さんに対する印象が、『あのカワウソと会話が成立した変人』になってる……。
「何、このやけくそみたいなグミの量!?いくら八重の好物だからって限度があるってっ」
希未が文句を言いながら、紙袋からこぼれる菓子をどうにか押し込もうと頑張っている。
「……倉庫にあった在庫まで買ってきた感じだよな、これ」
鳥羽君は、いっそ尊敬したように言った。
内気そうな遠野さんが夜の買い物に走ったことに、意表をつかれている。
「沢山あればいいってもんじゃないの!こんなに貰ったって、困るじゃん」
「え、嬉しいわよ?」
希未のセリフに、私がキョトンとする。
「まさか1人で全部食べる気!?虫歯になるよっ」
「流石にオカ研と兄にも差し入れするわよ……でも、半分以上は私のものだから」
そこは、譲れないもん。
「も~やだ、八重がすっかりこんなお菓子に目が眩んでる……お金持ちなんだから、自分で買いなよ……」
生ゴミを漁っている飼い猫を、発見してしまったような言い草だった。
希未の嘆きをスルーして、この紙袋を机のサイドに引っかけられないか試してみる。
だって、私の好みストライクのお菓子ばっか入ってるんだもん。
金貨チョコが懐かしいのよ!
紙袋はゆらゆら不安定に動く。このフックに掛けておくのは、無理そうかな……。
「……ってか月之宮。よく見たら、お前も菓子折り持参してきたのかよ」
私が持ってきた手提げに気が付いて、鳥羽君が吹きだした。
「おんなじ発想だったみたい」
私は、にっこり笑って指を3本立てた。鳥羽君は、その意味に気が付いて爆笑する。
「ひでー奴だな、お前……っ そこまでして、東雲先輩から逃げたいのかよ」
「ちょっとこれ……。そりゃあ、陰陽師の立場とか色々あるんだろうけど……さ。高そうな菓子折りを貰って喜ぶのは2人だけじゃん」
私はとぼけた。
「……なんのこと、カシラ?」
「目を思いっきり逸らさないでよ、八重!」
鳥羽君は、隠しきれない笑いを浮かべて言った。
「――月之宮。そんなにいい性格してんなら、今日から猫かぶるのやめて普通に話せよ」
「……え?」
不意打ちのことに驚いた。
「清楚なお嬢様ぶられたら、俺いつ吹きだすか分かんねーし」
と、鳥羽君はかなり失礼なことを言って、
「んで、ついでに俺のことはもう鳥羽って呼び捨てにしろよ。瀬川と戦ってた時にでっかい声で怒鳴られたせいか、なんか今日になっても違和感あるんだ」
いつも通りの穏やかな朝に、天狗はごく自然に笑った。
私は、狼狽しそうになる。泥だらけな記憶に心当たりもあった。
「……聞こえてたってこと……?」
「そ、もー無理すんな」
鳥羽君は、口端を上げてから髪を払った。焦げ茶の瞳が私を映している。
どこまでも気軽な口調であった。
天狗のセリフはフランクなものだ。
そのことに戸惑っていると、その切れ長の目と合いそうになって――焦って顔を背けた。
引いたはずなのに、気恥ずかしさがやってくる。
「……わかったわよ…………鳥羽」
そっけなく、言った。動揺と少しばかりの緊張がバレませんように。
「オッケー。じゃ、そーいうことで」
このくすぐったい想いなんて、彼は気付かない。
鳥羽は嬉しそうに笑った。なじまない響きだけど、当人にとったら落ち着くみたいだ。
なんだか、鳥羽の提案通りにこうやって呼ぶと……ちょっとだけ負けたような気分になった。
そして、まだ悔しいと思えることにほっとしていた。
アヤカシと慣れあうな、と兄さんが出立前に言い残したことは覚えている。
どんなに人間らしく見えても、アヤカシはアヤカシでしかない。
寿命や価値観が全然違うことは分かっていても……、それでも鳥羽杉也という人格に惹かれていることを否定することができなかった。
――全てをリセットできる魔法、か――。
菓子をいくつか手元に残して、紙袋本体はどうにかロッカーに入れた。菓子折りの方は机のフックにかけることで落着した。
その帰りに視線を上げると、寝ぐせのついた希未と彼が話していた。
希未が何かを言って、鳥羽がゲームを片手に言い返す。暖かい雰囲気で楽しげに笑っている。
……私は、しばらくその平和な光景を遠くから見つめていた。
「おはようございます」
ちょっと張り切った挨拶が聞こえた。
そちらへ顔を向けると、登校してきた白波さんが教室に入ってきたところだった。本日は、ちょっと顔つきがちがった。
「……ぽにーてーる?」
……というか、なんか髪型がちがった。
白波さんのふわふわしたロングヘアが、ポニーテールにまとめられている。
女性らしく華やかにボリュームがでていた。
「はいっ」
白波さんは、キリッと真剣な表情になった。
今日のみんなは髪型を変える打ち合わせでもしてきたのかと、私は困惑した。
「まさか、髪型変えれば今までと違う自分になれるかも~とか、思ってないよね?」
希未が疑わしそうな目になった。
折角オシャレしてきたのに、そんな言い方しなくても……ベタな発想してるわけないでしょ。
「なんで分かるの!?」
白波さんに、鳥羽がぼそっと言った。
「……俺、コイツとお揃いにしてると思うとすっげー嫌なんだけど」
ポニーテール歴が長い男子の言葉に、「ええっ!?」と新参者の白波さんが叫ぶ。
「キャラ被りにもほどがあるよ。鳥羽が可哀そうじゃん」
希未のメタっぽい一言が、炸裂した。
私はなにも言わない……。
ちょっと後ろから見ると華厳の滝みたいだな、とかチラリと思ってもいわない。
この滝、自殺の名所でも有名だし。
「そんなあ……」
みんなの手厳しい酷評に、白波さんはしょんぼり髪をほどいた。そこにくっつけていたピンクのシュシュを手首にはめる。
手鏡をのぞいた彼女は、整髪料でうねったヘアーを涙目で直そうとする。
私は、壁掛け時計の針を見て顔をしかめた。
「ちょっと、いいかしら?」
「月之宮さん?」
そのスローペースさに見ていられなかった。
不器用な私でも、流石にこれぐらいのヘアアレンジはできる。……ましてや、他人の頭だし。
私は、白波さんの髪をとりハーフアップにまとめた。先ほどのシュシュも、結わえたゴムの上からつけなおして……こんな感じ?
「わあ、ありがとう!」
白波さんが鏡を見て、ぱあっと顔を明るくした。それを横目に、希未が恨めしそうに言った。
「……八重、私の髪は放置してんのに」
「……いつものツインテールが私にできると思ってるの?」
希未は授業の支度をしている白波さんの頭を眺めて、納得した。これでツーカーになってしまうのも悲しい。
真ん中分けという高等技術はできなくても、衝撃波は出せる女子高生って我ながら色々おかしい気がする。……悪役令嬢というよりは、悪役(令嬢)だと思う。
「どう、いつもと違うよねっ」
「大して変わんねーアホ面だよ」
「あほ……っ」
白波さんのお披露目に、鳥羽がテキトーに返す。少しばかりほっとしているのは、ポニーテールのお揃いになるのがよっぽど嫌だったらしい。
「いつもの、かっわいい白波ちゃんだね」
「こら、希未!」
嫌味を言った希未を、スパンとはたいた。私にたしなめられて、むっすうと頬を膨らませる。
「だって、ポニーテールにしても強くならない実証が目の前にいるじゃん」
これが真理だとばかりに、希未が鼻を鳴らした。天狗の目が座った。
「……おい。誰のことを言ってんだ、マイマイガ」
「…………あう」
「これを聞いて落ち込むなよ、白波!」
白波さんが腑に落ちてしまった。
鳥羽はしばらく渋面を浮かべていたが……、ふと訝しんだ。
「……そもそも、だ。
昨日から思ったんだけど、なんで、白波の態度は変わんないんだよ?
俺、お前からみたら普通に化け物だしその現場しっかり見てんじゃねーか」
そういえば、そうだ。
私は、この世界がゲームであることや、白波さんがヒロインであることを知っているから――そういう仕様になっているんだと一人合点してたけど、鳥羽にとったら不思議で当然だろう。
白波さんは、化け物に異常なくらい優しすぎる。
「……だって。鳥羽君、カッコよかったんだもの」
と、彼女は少しだけ困ったように言った。
「は?」
天狗は耳を疑った。
白波さんの正気を疑って、質問していく。
「気持ち悪いとか……、」
「人間の身体だって、普通にグロイよ?」
「俺ら、お前にずっと嘘ついてたんだけど……」
それはアヤカシだけじゃない。私だって秘密を隠してこの子のそばにいた。
みんなで、嘘のつけない白波さんが怖がらずに笑ってくれることに安心していた。 この日だまりみたいな暖かさにずっと、甘えていたんだ。
光で、白波さんの髪がカラメル色に透けた――ハーフアップがふわり、と窓からの風に舞う。
「じゃあ、嘘つきさんが」
人間の白波さんは、
とびっきりに優しくて、たまらない一言を天狗に贈った。
「鳥羽君が、大好きってことでいいんじゃない?」
親しげな白波さんの瞳は、大きく澄んでいた。
色気も、恥じらいもない、真っ直ぐな友情が込められた言葉だった。
満開に咲いた子どもみたいな笑顔に、俗っぽい疑いを向けることはできなかった。
――どうして私は、この瞬間に邂逅してしまったんだろう。
呼吸すら忘れて、白波さんに魅入られたアヤカシを見てしまった。
……どうしてだろう、鳥羽はどこか泣き出しそうですらあった。
気づいていたか分からないけれど、その仕打ちに疲れたように笑っていた。
彼は、口元を手でおさえたけれど、耳が赤くなったのまでは隠せなかった。
……もう、私と出会った時には砂糖壺に落っこちていたのかもしれない。
「ふーん。熱烈な愛の告白だことお」
「え、なんで!?」
「……ほらあ、鳥羽の姿見てごらんよ。固まっちゃったじゃん」
希未の、にやあっとした言葉。
赤面した鳥羽を見つけて、白波さんは飛びあがった。
「誤解だよ、そんな大げさなこと言ったつもりないから!」
「……お前の、破滅的なバカさ加減に呆れてるんだよ」
「そりゃ、そーかもしれないけど……って、違うよ!?」
「……思いとどまれ……こいつはバカだ。
そんじょそこらの馬鹿じゃなく、死にそうな目にあってもケロリと忘れちまう奴だぞ……こいつが死ぬまで世話する気かよ、俺…………」
鳥羽は、頭をかきむしらんばかり。
「老々介護……?」とか、白波さんが呟いちゃってる。
ヒロインには、これっぽっちも特別な想いなんか芽生えちゃいないようだ。そして、天狗が陥った状況もよく分かってない。
ラブがないのに攻略された男が、哀れすぎた。
ゲームエンドのスチルなら、全国の乙女が喜ぶようなキラキラした青春を演出しなさいよ……。
「じゃあ、俺は、更にバカってことかよ……」
ちょっと、なんでアンタの背景ベタ塗りなのよ。
鳥羽は、己の身に起きた惨事に落ち込み始めた。希未が嬉しそうにスマホで写真を撮った。
パシャッと音が鳴る。
彼が視線を向けると、いそいそ2枚目をゲットしようとカメラを向ける希未がいた。
「んなもん消せ、栗村!」
「クックロビンになんか渡すもんか♪」
カメラマンが挑発して逃げ出すと、鳥羽はムキになって取り上げようとした。
もう、授業も始まるのに……。
希未が意外とすばしっこくて捕まらない。追いかける天狗も、クラスメイトに正体が露見しないよう気を使っているからだ。
白波さんは、オロオロ2人を呼び戻そうとしている。
……私が目で追っていたことに、彼はまったく気付かなかった。
これだけ鈍いのなら、お似合いかもね。
舌打ちをしたい気分になって、もらったグミのパッケージを勢いよく開封した。
グミを口に放り込んで、ぎゅっと噛みしめる。……フルーツの香料がはじけて、甘酸っぱさがとろけていく。
【DONOTYOUSEEME】
分かってたのに。
この味が消えていくのが寂しくて、すぐに次のグミをかじった。
――頑張ったって手に入らないものはある。
結局、このゲームが終わるまで知らんぷりをしていた気持ち。
淡い心を小さな箱に入れて、そっと蓋をとじた。名前は、友情とでもガリガリ刻んでおこう。
……お蔵入り。
甘ったるいレモンと蜂蜜がしみていく。
暖かな日ざしが、桜並木の青葉を照らす。
窓の外の、灰色雲がなくなった空には涙がでそうなブルーだけがあった。
嘘ばかりついた春は、もうすぐ終わるのだ。
【2015/02/22】大幅に改稿しました。




