表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
パラレルIF・杉桜――小さなアヤカシと小さな神様の恋の話
360/361

☆15 そして時は流れ




 月之宮まで帰る道中、義兄は色んな出来事を八重に話した。



「随分心配したんだよ、急にいなくなったりするから。最初はそこの妖狐がかどわかしでもしたのかと思ったんだけど、あちらさんも同じように血相を変えていたのを見て、マジでヤバいことに気が付いてね」


「…………」


「どこかのアヤカシにちびっ子が食われたんじゃないかと大騒ぎさ。お爺様もお婆様も尽力してくれたんだけど、月日が経つにつれて、生存は絶望的なのではないかと思われた。ラッキーだったのは、新聞が季節を無視して咲く桜並木について特集していたのを見たときだ」


 淡々とセリフは続く。


「その頃には、お母様から八重の出生について知らされた後だったから、この件に関わっていても不思議じゃないと思った。そうしたら、案の定だ。アヤカシに酷いことを遭わされなかったかい? 八重さん」


 八重は暗い眼差しをじとりと向ける。


「……彼らは、そんなに酷いアヤカシではないわ」

「ふむ。ストックホルム症候群、か」


「やめて、あの人たちをそんな風に言わないで」

「残念ながら、彼らは人ではないんだよ。八重さん」



(違う、杉也たちは紛れもなく人だった)


 同じように、喜び、悩み、苦しみを持つ一個体だったのだ。彼らは人間よりも一層人であったのかもしれない。そのことを義兄に伝えようかと逡巡し、八重は諦めて俯いた。

生粋の月之宮に何を伝えようが無駄だと思った。


「ツバキ……怒っている?」

 八重が恐る恐る尋ねると、運転中の妖狐は不機嫌を隠そうともせず、


「それはもう」

「どうして」


「貴女をみすみす攫わせた自分自身への悔恨と……いえ、後は言わない方がいいでしょう」

 八重は、ただ頭を垂れるしかなかった。

恐らく、ツバキの言いたいことが何となく分かってしまったから。


(あたしの心はとうに月之宮を裏切っている)


 あの狭く苦しい箱に戻すのが難しいほどに、沢山の想いを知ってしまった。心が搔き立てるのは、自由に走ることができた頃の、大地と大空への思慕。

八重は千本の針を飲まされたような、チクチクとした良心の痛みを感じていた。


「なあ、八重。そんなに家族が嫌いか」

「そんなこと、ない」


 家族を思わない日なんて一日だってなかった。


「私の婚約者の奈々子なんて、気が狂いそうだったんだぞ。もっとも、彼女はいつだって半分狂っているような性格をしているが、実のところ一番に気を許していたのは八重さんだったらしい」


「…………」

「私たちは皆、八重さんのことを心配していたんだ。これからはお山のことは忘れて、自由に生きていくんだ」


 八重は情けない思いになった。

恐らく、その義兄が描く未来の隣には、杉也の姿はないのだ。

誰かの敷いたレールを歩くだけの自由な人生。それは果たして本当の幸福といえるのだろうか。

攫われる前だったら、八重だって何の疑問も持たなかった。アヤカシを倒し、家業を守ることにだって使命すら感じた。


 殺して殺して殺して、自分の心だって殺せた。

血に濡れた生活だって、疑問さえ持たなければ救いようがあった。

ぼんやりとした気持ちで、義兄を見た。


「……それとね、八重さん。驚かないで聞いてほしい」


「…………」

「お婆様は、もう長くない。亡くなる前に、八重さんを見つけ出せて良かった」


 その言葉に、八重はようやく罪悪感を覚えるに至った。




 波打ち際でゆっくりと心が死んでいく。

閉塞的な思いを抱えながら、八重は月之宮へ帰った。

嬉しい気持ちがないわけじゃなかった。これでも、両親を慕う気持ちだってないわけではなかったから。もう二度と会えないはずだった家族に会えたのは純粋に嬉しかった。


「好きだ」


 そう言われたのがもうずっと過去になったよう。

八重は月之宮に戻ってからは、精神の病院に通うことになった。

処方された薬を飲んだら、あれほど悲鳴を上げていたこと。嫌だったことは全部楽になってしまったから。

 不自然に青い『私』の日常。

制服を着て、再び学校に通い始めた。

お母さんから料理を習い始めた。父は相変わらず無口だったけど、たまに映画を一緒に見るようになった。

薬を飲めば、アヤカシを笑顔で殺すことだってできるようになった。

奈々子は嬉しそうに八重にべったりだ。

あれだけ苦しいと思っていたのが嘘のようで、大切だったはずの杉也との日々が新しい何かによって埋もれていく。


(忘れるってこういうことなのかしら)


 まるで欲深な蟻に全身が貪られているみたい。

八重であったはずの自分が消えていく。杉也を好きだと言った過去が馬鹿らしくなってしまう。

(――どうしても思い出せない。

貴方のことを好きだった頃の私を)






 それから、月日が流れ。中学三年の冬。


「お婆様、調子はいかがですか」

「あら、八重ちゃん」


 月之宮の祖母はとっくに癌に侵されていて。余命は残りわずか。

随分とやせ細った祖母の腕にはいくつものチューブが繋がれていて、見ていると痛々しく感じてしまう。


「ごめんね、学校の帰りに来てくれるだなんて」

「いいの、お婆様には昔、随分心配をかけてしまったから」


「でもねえ、遊びたい友達もいたでしょう?」

「お祖母ちゃんとの時間の方がずっと大事」

 有名なケーキ屋で買ってきたプリンを手提げから取り出すと、祖母は切なそうな声でぽつりと呟く。


「ごめんねえ、年寄のわがままに付き合わせてしまったね」

「……? どういうこと」


「私が八重ちゃんに会いたかっただけだったの。いざ死んでしまうってなったら、それだけが心残りでね。貴女を自由からこんな家に連れ戻してしまった」

「何を言って」




「もう、いいんだよ」

 真っ白な髪。カサカサの肌。

彼女はこんなにも儚い人だっただろうか。

小さなかすれ声。


「自由になって、いいのよ……貴女は神様だわ。元々そのために幽司君を養子に貰ったんだから……」

 祖母はゆっくりと八重の手のひらに触れる。


「おいきなさい、八重」

 辛そうに、祖母は微笑んだ。


「お祖母ちゃん……」


 彼女の命の砂時計が尽きていく。やがて静かに瞼は閉じられ、深い眠りに落ちた。

一か月後、祖母は亡くなり、葬式が行われることとなった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ