☆14 迎えに来た人たち
「オーライ、オーライ」
桜や紅葉を移植すると簡単にいっても、なかなか用意するのは大変なことだった。
地主である隣県のオオダヌキに話をつけに行くので一か月。用意された桜を植えるのにもっと多くの時間を要した。
それまでの間に、八重は一つ歳をとり、杉也も見た目が大きく成長した。
「むう、ずるいわ。どうしてそんなに背が伸びてしまったの」
「そんなこと云われても知るかよ」
憮然としている杉也の頭には雪が乗っている。身長の高くなった杉也を不服に思った八重が思い切り投げつけたのだ。
反撃されて服の隙間が冷たくなってしまった八重は朗らかに笑う。
「ようやく準備ができたわね」
石畳に桜並木。新しく作った行灯のお社を振り返って満足げに八重は語った。
「これでじゃんじゃん観光客間違いなし、よ! 人は神秘的なものに惹かれるわ、ついでにパワースポットになるように陰陽道の結界を構築しておいたわ!」
「水晶を埋めただけだろ」
「違うわ、これは先祖伝来の月之宮の術の一つで……」
ムキになって怒る八重を見て、杉也はうっすら笑う。
「それにしても、本当にお前に冬に桜を咲かせるなんてことができるのか……?」
「できるわ」
両手を広げ、次に八重は大地に触れる。
息を大きく吸い込んで、瞼を伏せた。
「お願い、みんな……!」
その呼びかけに、朧に光が発生する。
眩いほどに輝き、大地はやがて緑に染まっていく。枝の先の蕾はピンクになり、次第に大きく膨らんだ。
杉也は絶句した。これまで半信半疑だった彼女の神技に、それが嘘やまやかしではないことを知る。
桜はふんわり美しく花弁を開いた。辺り一面が春になったかのように、ゆっくりと絶景の桜並木が生まれていく。
こんな神秘的な光景、見たことがない。
「ね、綺麗でしょう?」
桜より、お前の方がずっと綺麗だ。
そんな言葉を発しそうになり、杉也はどもる。そんな少年の手をとり、八重は笑いながら駆けだす。
息を切らしながら桜道を二人で走って。いつしか互いに笑顔となっていた。
「いやあ、これは凄いねえ」
ウィリアムが遠見をしながら呟くと、行灯もゆっくり頷く。
「まさかこれほどまでの規模で疲れもせず神技を発動させるとは、流石生来神の流れの姫御なだけありますね」
「つくづく杉也も大変な娘さんを浚ってきたものだよ」
ウィリアムが笑うと、行灯も微笑む。
チラチラ舞う雪の中、狂い咲きで桜色に染まった山の景色はとてつもなく美しかったのだ。
いつしか、人間はここに向かって歩いていくようになっていた。
ある日突然降ってわいたように出現した桜色の山景色。事の真相を確かめようとした人間が初めに数人現れ、そのうちに口コミでどんどん奇跡が広まった。
次から次へとやってくる人間たちを見て、八重は行灯に茶屋を開くように指示を出した。勿論、自分でももてなしの手伝いをする。
神秘的な雰囲気に、観光名所として山は有名になっていった。道祖神の祠に供え物をして帰る客が次第に増えていった。儚く消えてしまいそうだった行灯が、日々存在感を増していく。その様子に杉也は手を挙げて大喜びをした。
「少しは休めよ」
「大丈夫、ここの掃除をしてしまってからね」
茶屋の前の道を綺麗にしている八重に、杉也が気まずそうな顔をした。
元はと云えば、浚って強引に連れてきてしまった身の上だ。こんな労働までさせてしまって、何か不自由でもしているのではないかと少し懸念が浮かぶ。
「おい、お前……。今、何か不満とかないのかよ」
「どうして?」
「お前は、うちの恩人だ。希望とかあるのなら、なるべく聞いてやりてえ」
「ないわよ、そんなもの」
しいて言えば月之宮家の様子が気になるが、この状況でそれを言ったところで仕方がない。しかし、そう考えた八重の様子に苛ついた少年が眉を上げた。
「逆にムカつくな、それ」
「あ、そう」
「いいか。俺を恩も返せないようなアヤカシだと思っているのなら、それは間違いだってことだ」
自分を指差してそう言った杉也に、八重はふふっと笑う。
随分と綺麗になった。
振り返った少女の美しい眼差しに、杉也は思わずドキリとする。青みのがかった黒の双眸は水よりも澄んでいるように見えたから。
「そうね、たまには我儘も云わなくちゃね。杉也、あたしもね、あなたとずっと一緒にいたいって最近強く思うの」
「……俺と?」
「もしもね、あたしの身に何かが起こったら……、」
その時は、もう一度。
八重が続きを話そうとした時、大きな風が吹いた。
思わず瞬きをして振り返ると、二人。誰かの人影が外に立っていることに気付く。
ぞわり、杉也は放たれている殺気に背筋が寒くなった。
「お兄ちゃん……」
八重の口から零れ落ちた言葉に、杉也は息を呑む。
まさか、彼らは月之宮の刺客……っ
少女の手をとり、少年は咄嗟に逃げ出した。ツバサを広げ、羽ばたき宙へ飛ぼうとしたところで一行の中にいた白金髪のアヤカシが炎を乱舞したのが眼に入る。
その熱気に広げたツバサが炙り焼かれた。霊体で構成されているはずの羽が焼かれたことに驚愕し、激痛に喘ぐ。
「ツバキ、止めて!」
火傷を負い、地面に堕ちた少年に向かってくる彼らに八重が叫ぶと、炎を操っている能力者である妖狐のアヤカシ、ツバキは失笑の顔つきとなった。
「何故に僕がそんなことをしなくてはならないのだ? 月の宮の姫を浚ったこの大罪人を前にして、罰を下さぬ道理があるとでも?」
その隣にいるのは、月之宮家次期当主である八重の義兄、月之宮幽司だ。
「久しぶりだな、八重。……少し痩せたか」
「お兄ちゃんお願い! 杉也を傷つけないで、ツバキを止めて!!」
「気の毒に、すっかり誘拐されて思考までもがおかしくなってしまったか。彼の云う通りだ、私には今のツバキを制止する筋合いがない」
八重は衝撃に目を見開く。
そんな妹に対し、幽司は両腕を開いて力強く抱きしめた。
「八重、お前の出してくれた合図はとても分かりやすかったぞ。冬に咲く桜並木など、そんな馬鹿げた真似ができるのはお前くらいのものだものなあ?」
「な……っ ちが!」
杉也はハッとした。
そうか。
この人たちは、八重の咲かせた桜によって居場所を突き止めたということか。
「さあさあ、早く家に帰ろう。隠れて八重と遊んでいたお前の友人の狐と手を組むなんて到底腹立たしいことこの上なかったが、この際贅沢は言っていられなかったものでな」
「杉也! 杉也ぁ!?」
ボロボロにいたぶられ、地面に膝をついた少年へ少女は泣きそうになりながら叫ぶ。
全身を炎に焼かれながら、それでも不屈の眼をしている天狗は、月之宮の追手に向かって歯ぎしりをした。
「返せ……よ、そいつは、俺のだ」
「これは世迷言を」
勢いよく少年の腹に一撃、喰らわされる。幾度も内臓のある腹を蹴られ、拷問を受けながら、それでも地面に倒れようとはしない。
「八重とは一緒にいるって約束したんだ!」
淋しそうな、或いは憎々し気な眼で、妖狐は呟く。
「あるべきものはあるべき処へ、それだけだよ」
(誰……か)
「誰か、助けて……」
暴力を振るわれている杉也を見て八重は願う。強くぎゅっと目を閉じた、その瞬間。悲痛な声を聞き届けたかのように一名の影が割り込んできた。
「オレ、さーんじょうしました!」
窮地に気が付き、ウィリアムが駆けつけてきた。
彼は反射的にガードをしたツバキを蹴飛ばして、遠くへ放り出す。
稲わら色の髪を乱反射させた西洋鬼は、ニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「お前は……まさか!」
月之宮幽司は、取り出した勾玉を変化させる。紡がれた真言によって、玉は姿を溶かされ、禍々しい大鎌へと変貌した。
まるで死神の持つような、そんな雰囲気を放っている。八重はこの大鎌はアヤカシを退治する時の義兄が強敵に対して使う一振りだということをよく覚えていた。
体勢を立て直し、月之宮からの二人は苛立った視線でウイリアムを睨みつけた。
「不滅の迷鬼、ウィル・オ・ウィスプ……」
「へえ、なんだか懐かしい通り名じゃない?」
来るなら来なよ、瞳を燃やしながらウィリアムはそう挑発した。
……激突。
その言葉が正しい戦闘の仕方だった。
残虐に、正義に、傲慢に、真摯に、乱暴に、王道に、彼らは互いの主義主張によって闘った。
地面は抉れ、空気は弾けた。
殴り合い、蹴りあい、事実として弱体化していない妖狐の炎はウイリアムに少々相性が悪かった。
殺しても殺しても、不滅の穢れた魂を持つアヤカシ。瞬間的に死んでは生まれ直し、燃やされ直しを繰り返している。
その生に対する執念深さに舌打ちをし、ツバキと幽司は攻撃をしかけていた。
「あ、これってヤバーいかも……」
ぐら、と体勢を崩しながらウイリアムが上唇を舐めた。
八重は叫ぶ。
「ウイリアム!」
「ごめん、姫様。これってただの消耗戦だわ。俺は死なないってだけで永遠の命を持っているわけでもないし、……そのうち残留思念核に対して決定打を放たれたら動けなくなる」
炎で揺らめいた世界。
その中で、極限まで透明に近づいている杉也は、八重に囁いた。
「八重……待ってろっ!!」
「いつか必ず迎えに行く。だから、それまで待っていろ!」
やがて、少年はちっぽけなカラスの雛の姿へと変化してしまう。そんな杉也を見て泣きじゃくりながら、八重は応えた。
「待ってる。どこにいても、いつまでも……私は、待ってる」
ウイリアムが雛になった少年を拾い上げ、脱兎の如く逃げ出す。その後ろ姿に舌打ちをしたツバキが、負傷した腕を押さえながら八重の前で跪いた。
「ご無事で何よりでした、姫君」
「…………そうね」
温度の消えた、冷え切ったよう眼差しで、八重は妖狐を見た。
(苦しい。
本当は、二人とは二度と会えないと思ってたから)
「まさか私のことを忘れたとは言わないね? 八重さん」
「ええ、お義兄さま」
記憶にあるよりも、義兄は大人になっていた。
きっと彼からみた八重も、同じように見えていることだろう。
心を閉じて、外界から遮断する。人形のような笑みを浮かべる。
見たくない。今の現実を受け入れたくなかった。
「帰ろう、話したいことが沢山あるんだ」
そう優しく声をかけられる。
この胸の中。残った杉也との日々の思い出が、悲しく叫んでいた。
決して忘れないで、と。か細く、途切れ途切れに。




