☆13 翌日の朝、釣り合わない二人
寝ぼけ眼の八重の頭の中に、先日の告白がフラッシュバックする。起きたばかりの布団に突っ伏して、少女は恥ずかしさに悶えた。
自分は、なんてことを云ってしまったのだろう!
こんなこと誰にも言えない。どころか、これから、どんな顔をして杉也に会ったらいいのか分からない。
(これはきっと夢だ。そうに違いない。そういうことにしておかないと、あたしは死んでしまう!)
八重は己の頬を叩き、潤んだ瞳をこする。
煮え立ちそうな脳内。台詞ばかりが反響して止まらない。
八重はそれまで恋というものをしたことがなかった。だから、この感情がそうなのかも分からない。
(杉也のことを思うと胸がぎゅっとする。切なくて、愛おしくてたまらない)
恋愛小説で書かれていた通りの現象が自分に起きている。余りにお決まりすぎて辛くなってしまうくらいに。
そうして平常心を装ってタオルを持ち、顔を洗いに部屋から出ていく。扉を開けた瞬間に、すれ違った存在に硬直をしてしまったけれど。
「……おう、八重」
「……ひゃああああっ」
びっくり仰天して八重は悲鳴を上げる。心臓が早鐘を打って疾走する。
バツの悪そうな顔で立っていた杉也に、真っ赤になった顔を見せてしまう。
「その、昨日は悪かった、な」
八重は小首を傾げた。
つっかえながら吐き出された言葉に、思わず目を見張った。
「あんなこと云うつもりじゃなかった。昨日の俺は、どうかしていたんだ。だから、そんなに真剣に取り合わなくていい」
「…………」
愛想笑いのアヤカシ。
その時、八重はなんだかとても面白くない心境となった。
(何それ、あたしはこんなに悩んでいるのにそれでは言い捨てと同じじゃない)
それってホント……笑えない。
互いに好きあっていると知っているのに。この少年は、昨日の思い出を全て暗中へと葬り去ろうとしている。
「最低」
「え?」
思わず、半目になって八重は呟いた。
予想以上に動揺しているのはあちらだ。ツンと睨みつけて立ち去ろうとした八重を追いかけて、焦ったように杉也が言い募る。
「おい、待てって! いいから話を聞け!」
「あたしは話すことなんてないもの」
「だから! 俺とお前はアヤカシと半神だろう! どう考えったって釣り合いなんかとれやしないから……」
不機嫌な八重が低い声を出す。
「人間の血を引くあたしが杉也に釣り合わないって言いたいの?」
「逆だ! 俺がお前に釣り合わないんだ!」
そんなこと。
八重はふくれっ面で腹を立てる。
そんなくだらないこと、このアヤカシはどうして今更に悩むんだろう。やっと手に入ったと思ったのに、これで帳消しにできると考えているのだろうか。
「臆病者ね」
艶のある漆黒の髪を振り払い、八重は不敵に微笑んだ。
その吸い込まれそうな怒りに燃える瞳と、鮮烈な美しさに、杉也は呆気に取られてしまう。
「それを考えるのは既に遅すぎるのではなくて? 杉也」
もう時を巻き戻すことはできやしない。
気付いてしまった心は引き返すことなんて不可能だ。
八重の言葉の意味を正確に理解した杉也は咄嗟に赤くなった顔を隠す。いたたまれなさと羞恥、これらをまとめて煮込んだような気分になった少年の腕を掴み、八重は接近する。
「あたしは、杉也があたしに足りないだなんて思わない。たとえ神様としてのあたししか要らないのだとしても、孤独を埋めたいと想ったのは自分だから」
「…………」
違う、と杉也の口が無音で動いた。声にならない声。
いいや、違わない。きっと、杉也は心の底で八重の神様としての存在に救われたいと願っている。半分だけの神様と、人の道理で生かされているアヤカシ。中途半端な小さな恋、そう、私たちは既に迷路のような恋に落ちていた。
「いいのよ」
(悲しくないと言ったら嘘になる。
ずっと望んでいたはずで、一番聞きたくなかった言葉。どうしてあなたが、何故そういった残酷な言葉をくれたのが君でなくてはならなかったんだろう)
心が定まった。
どこまでもあなたが神様を必要としているのなら、私がそれになろう。都合のいい、物語におけるデウス・エクス・マキナにあたしがなろう。
人の娘として、杉也に愛されることは諦めよう。
どうかしているのかもしれない。
救われなくていい。報われなくても、いい。
あなたが幸福になれるのなら、あたしはどこまで苦しんでも構わない。
「無理だ」
杉也は辛そうに云った。
「たとえお前でも、行灯を助けるだなんて不可能だ」
「そんなの分からないじゃない」
「行灯は、本当に弱い神なんだ。祭りを開けば人が大勢訪れるような、そういう寺社仏閣の神とは違うんだ」
「……祭りを?」
八重の脳裏に、白い閃光が走った。
(……そうだ。人を、集めればいいのだ。
信仰を集めようと思うから難しくなる。そうではなくて、前段階としてのイベント。
人は、分かりやすい奇跡にはあっさり心を向けるものだ。
どうして今まで気づかなかったんだろう。自分にできることなんてこんなに沢山あったのに!)
「杉也! 解かったわ!」
「何をだよ?」
「行灯さんは、助けられるわ!」
八重は、満面の笑みで答えた。
「桜よ! 桜や紅葉をいっぱい移植して、私たちの手で人間を呼べる祭りを作ればいいのよ!」
呆然としている杉也の手をとり、八重は笑った。
少年にとって流れ出した水のように澄み渡った無邪気な、そんな笑顔だった。




