☆7 君の未来を望んでいる
その日の晩のことだった。
誰がいたずら心を起こしたのか、それとも少女が寝ぼけて眠る布団を間違えたのか。果たして真相は分からないけれど、明け方に目を覚ました杉也は隣で寝ている八重の存在にびっくり仰天した。
「…………っ !?」
驚きの声を上げそうになるものの、どうにか少年は堪える。
(一体これはどういうことだ。何がどうしてこんなことに!)
「……おい」
「……おいっ」
揺さぶっても、相手は起きない。それに深々とため息をつき、杉也は色濃く頭痛を感じた。そのままやることもないので静かに少女を眺めて観察をする。
こうして見てみると、この半神は随分容姿に恵まれた童女だった。今はまだガキ臭さが残ってはいるとしても、あと五年もすればこの聡い娘は匂い立つような美貌を持つことになるだろう。
どこか控えめな桜の花にも似ている少女の成長した姿を想像しながら、杉也は不思議とその光景を心待ちにもしたくなる自分の気持ちに驚いていた。
「俺は、この生意気な娘の……未来を望んでいるのか」
どうして。いつの間にこんな感情。
少年の琥珀に近い茶色の瞳が揺れる。
その時、うわごとのように八重が呟いた。
「……いいよ……あたしを食べても」
眠っていたはずの少女の言葉に杉也はぎょっとする。慌てて横を見ると依然としてその瞼は閉じたままだった。
……寝言か。
「……だって、杉也が可哀そうだもの…………一人は、寂しいわ……」
「…………っ」
(どうして。
どうして、お前は)
これが起きていなくて良かった。その純真な眼差しに今の表情を記憶されてしまうからだ。この無様に歪んだ自分を知られたくなかった。
コイツがもっと悪い人間だったなら幾分助かったろうに。
『すごいよ杉也!』
(自分はただ鉛筆でなぞっただけだったんだ。
模写されたモノクロな世界。白黒の写景を見て笑っていた彼女の。あの真昼の透明な思い出が脳裏に蘇る。あの日のコイツの瞳はガラスよりも綺麗で、真っすぐにこちらへ向いていた。
白い肌に夜空に近い黒髪。幼さを抱えた無垢な笑顔。
この魂に、描かれていく。
少女の存在一つで、行灯に愛されても根深く残っていた虚無が、少しだけ救われたような気がした。
馬鹿馬鹿しい。そんな錯覚、心底嘘であって欲しい)
「……ハッ」
(……所詮、俺は化生の者だ。
このお綺麗な娘とは、生きる世界が違う。百年も経てば、この娘だってこの世から消えていなくなる)
自嘲気味に笑うと、少年は白い明け方の月を見る為に静かに布団から出た。
朝になり、ぼんやりとした頭で八重は起きた。
「……あれ、どうしてこんな場所で」
ここは、自分が普段寝泊まりしていた部屋ではない。
誰の布団だろう。まどろみが残ったままに背伸びをして、腫れぼったい目を冷やそうと井戸へ向かう。
冷たい水で顔を洗い、手ぬぐいで拭いていると誰かの気配がして振り返った。
「…………あ」
「…………お、」
そこに佇んでいたのは、複雑そうな表情をした杉也だった。
昨日の記憶を思い出し気まずい心情になりながらも、精一杯努めて八重は彼に声をかけようとする。
「あの、昨日のお話のことだけど」
「知らねーよ、そんなこと」
ぶっきらぼうな返事がくる。
その不機嫌そうな口調に戸惑いながらも口を開こうとすると、少年は叩きつけるようにこう言った。
「お前は神と人間の血を引いているくせに、救いようのないお人よしだよな。同情なんかしてんじゃねえよ、ブス」
「え……」
「俺だって、お前のことなんか嫌いだ」
八重は、杉也の一言に少なからず傷ついた。
悲しくて泣きそうになったけど、最初に杉也に向かって酷い言葉を投げたのは八重の方だった。この少年は悪くない。そんなこと当に分かっていたはずなのに、胸が痛い。
この天狗とは一度打ち解けた時間があったと思っていたから、余計に息が苦しい。
行灯さんの事情を知ってしまったら、これまでの日々がどんなにまやかしのようなものだと気付いてしまったけれど、それでも全てが嘘だったとは思いたくなくて。
まるで、お前は関係ない他人だと今になって線引きされてしまったようで。
(……あたしだって、二人を助けたいと思っているのに。
行灯さんも、……杉也のことも救いたいって思うのに)
すれ違うように天狗はすっと歩き去る。冷たい一瞬。その後ろ姿を、八重は見送ることしかできなかった。
返せる言葉なんてなかった。
だって、杉也の云ったことは当たっているのかもしれないから。
この気持ちは、同情からくるのかも分からない。
朝露のついた草木が、八重を慰めるようにサラサラと音を立てて揺れた。
辺りにはツンとするヒノキと笹の匂いがしていた。




