☆3 特別な秘密の名前
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命からがら助け出されて。気まずさを隠せないままに、出された渋いお茶を飲む。
それは月之宮家で味わうものよりも質が悪いわけでもなく、深みのある風味のほうじ茶だった。視線を彷徨わせると、仏頂面で正座をして、大きな石を膝に乗せている少年が視界に入って来る。彼の横顔はとても今の処遇に対して不服そうなものだった。
殺されそうだったやえのことを助けてくれた白くて長い髪をした男の人は、どうしたらいいか分からないというようにため息をつく。
そうしてから優しい諦めにも似た笑みをこちらへ見せた。
( ……この笑顔は、あたしに同情をしている)
それは攫われた被害者をこの山から帰すことのできない彼らの罪悪感によるものだと悟ってしまったから、こちらはこれ以上何も言えない。
(お父さん、お母さん。お爺ちゃん、お婆ちゃん。養子縁組で、できたばかりのお兄ちゃん。幼馴染のななちゃん。ツバキ)
窮屈に感じていたはずの居場所だったのに、戻れないことが悲しい。
少女は、この場所から帰れない。
「……、どうして……あたしだったの? 陰陽師だったから?」
少女が質問をぶつけると男の人は困った顔になる。
「それは……」
「財閥のお金が目当てじゃないのなら、あたしが霊能者だったから狙ったの? それとも、お爺ちゃんのいうことをきかない悪い子だったからさらったの?」
後悔ばかりが湧き上がる。
「ちがう」
絞り出すように、少年が言った。
「俺は、そんなことでさらったんじゃない」
激しいほどの熱量で、少年の琥珀の瞳が燃える。復讐心を持った赤い、暗い炎がゆらぐ。
「俺は霊能者なんてちんけなものは連れてこない。お前が、生来神の名前を持っていたからだ……っ 知っているはずだぞ、お前、秘密のもう一つの名前を持っているだろう!」
ぎくりと心臓が鳴る。
全身の血流が凍り付きそうになって、恐怖で何も言えなくなってしまう。
(どうして、この子は私とお母さんの内緒の約束を知っているの? 誰にも知られていないはずの名前のことを分かってしまったの?)
「な、んで」
「その匂いだ。隠すように香が焚かれていても、すぐに分かった」
「…………っ」
引き攣ったやえに、男の人が眦を吊り上げる。
「杉也。お前が話してもいいと誰が言いました?」
「でも、こいつが……」
「この子も可哀そうに……私の名は行灯といいます。この社で、道祖神をやっています。君はご両親から何も聞いていませんか? 自分がどうして特別で、どのような輩に狙われやすいのか」
首を振ると、彼は穏やかにその真実を話す。
「君はね、半神。半分の神様ではありませんか?」
「神様?」
目の前の世界の色が変わった。
「君の名前は?」
「月之宮……」
言いかけて、こちらではないことに気が付く。
もう一つの名前。これまで一度も誰にも名乗ったことがなかった特別なもの。
「――メブキノヤエ」
言ってみてから、その重みに鳥肌が立つ。なまじ陰陽師として修業をしていたものだから、言葉自体が何らかの力を孕んでいることが一瞬で分かった。
「……不肖ながら、ヤエ様とお呼びしても?」
「八重でいいです。行灯さんは、神様だって……」」
「私なんて本当にいつ消えてもおかしくないような末席の身ですから。あなたのような生来神の血を引く高貴な姫君を呼び捨てになんてできない」
「でも……」
「では、ヤエさん、と」
(何を云われているのかは実のところよく理解できていない。けれど、あたしはそんな恭しい呼ばれ方でいきなり神様扱いされたって困るだけ。
心のどこかで、こんなの嘘だとまだ疑っている。何か重大な誤解があってこんなことになったんじゃないかと信じている)
(特別な名前を持っていたって、あたしは人間だ。あたしの親は普通の人間だ。そうじゃなきゃ、あの家族の中であたしだけ神様だなんておかしいじゃないか。
だけど、彼らがそう言い張るのなら少しだけ納得したようなフリをして様子を見るしかない。そうやって、情報を少しでも集めてこの山から下って脱出するんだ。
どうしてまだ助けが来ないんだろう。あたしはGPSを持っていたはずなのに……)
ポケットの中をさりげなく触ると、機械が沈黙していることに気が付く。まるで息絶えてしまったかのようだ。
「そこに仕舞ってあった機械なら壊したぜ」
「え……」
「まあもっとも、この山の中は現実の世界とは少しずれた位相に存在しているからな、助けなんて死んでも来ないさ」
くっくとカラス天狗は笑う。
その頭を行灯さんが勢いよく張り飛ばした。いっそ爽快なほどの一撃だった。




