☆1 攫われた少女
パラレルストーリー。鳥羽杉也と主人公がもしもくっついていたらの話。
兄である月之宮幽司に占術で邪魔をしなければ、本来の運命ではこう進んでいたかもしれない……というIFルートです。
小さなアヤカシと小さな神様のちっぽけな恋の物語。
完全に悪役令嬢要素がないので、完結記念のおまけになります。お付き合いいただける方はどうぞこのままお進みください!
少女は思った。
……あたしは、幼い頃から高いところが好きだった。
昔から続く陰陽師、月之宮の家の落ちこぼれ。それがあたし――月之宮やえだ。
陰陽師って、適当におまじないでも唱えていればいいと思うでしょ? でも、本当はそんなに簡単なことじゃない。
この世界は視える人間にとってはゾッとしてしまうくらいに物の怪で溢れていて、あたし達陰陽師はそういう化け物が人間に危害を与えないように戦うのが本来の仕事。
それなのに……あたしはどんなに修行を頑張っても、お兄ちゃんや奈々子みたいに術を制御することができない。いつもぱん、と弾けて失敗してしまう。
そんなあたしに、周りは嫌になってしまうくらいに口やかましくお説教をしてくる。それは家の皆に隠れて一緒に遊んでいた妖狐も例外じゃない。
きっかけは忘れてしまったけど、あたしは小学校二年生だったその日、とにかく色んなことにうんざりしてしまって、小高い丘の上にある一本杉まで全力で走った。
「お兄ちゃんのばか、奈々子のばか。お爺ちゃんも……ツバキも馬鹿!」
夕方の冷たい空気を吸い込んで、少女は怒鳴った。
(あたしだってこれでも頑張ってる。陰陽師の跡継ぎになれるように一生懸命努力している)
ただそれが報われないだけだ。どんなに頑張っても、一度も成功しないだけなのに。
どうしてみんな分かってくれないのだろう。何故、あたしはお兄ちゃんと違って期待を裏切ってしまうの。
ひんやりとした林の中を走っていると、木立がざわめいて囁いてくる。
どうしたの? 何か悲しいことでもあったの? って聞いてくる。
気付いたら、涙が溢れてきた。重圧が辛くて、やえは走りながら泣き出した。
「……うう、」
いっそ、狼のように吠えてしまいたい。
人間ってのは損だ。悲しい時に叫ぶこともできない。今更獣にも戻れない。
悔し涙を噛みしめて、心配そうに枝を揺らす木々に返事をすることもできなくて、少女はひたすらに地面を蹴る。
「……あたしが変なんだ」
やえは分かっていた。
陰陽師の中でも、自分が特に変わってることを。
普通は植物の気持ちなんて分からない。アヤカシのような木々を操る異能だって持ってない。それって、あたしが月之宮家に流れる化生の血を継いでしまったからだって、みんな陰で噂している。
自分の正体は、本当は化け物なのかもしれない。人間じゃないから、一度も発動できない術があるのかも。そんな暗い考えが頭の中をぐるぐるして、気持ち悪くなるんだ。
ようやくたどり着いた丘のてっぺん。森を抜けた先にある一本杉。いつもだったら誰もいないはずのそこに、誰かが木の上で立っているのが見えた。
やえは目を見開く。そこにいた人は……こちらと同じくらいの歳をした少年だった。
サラサラとした長い黒髪。それをまとめて縛ってポニーテールにしている。肌の色は白っぽく、その顔立ちは女の子と間違えそうなくらいに綺麗なもので。
神秘的な東洋の雰囲気をした和服の少年は、あたしの気配に振り返る。その切れ長の瞳がすっと横へ流れる。
「……お前は誰だ」
(あ、この子。少し雰囲気がツバキに似ている)
そう思って呆けていた少女は慌てて返した。
「やえ。あたしは、月之宮八重」
「…………」
少年は、立っていた枝から身軽に飛び降りる。息を呑んだこちらの心配をよそに、風が渦のように吹いてクッションのように彼を受け止めた。
ポニーテールが翻る。
険しい表情で近づいてくる彼から視線を逸らすことができない。
やがて、顔と顔がくっついてしまいそうなほどに迫った少年が、低い声で呟いた。
「……やっと見つけた。お前、神名を持っているな」
「……へ、」
「ただの人間じゃない。神力と霊力を両方持っている。お前だったら……アイツへの生贄として捧ぐに相応しい」
その言葉を聞いて、血の気が引いた。
生贄って……。
思わず数歩後ずさる。やえの周りにいた植物が一斉に叫んだ。
――その少年は、ただの子どもではない。少女を捕まえにきた、邪悪なアヤカシであることを……。
「……っ」
警戒したやえに、彼は笑う。
「噂は本当だったな。この辺りに生来神の子どもが住んでいるという情報が入ったから来てみたが……」
「こ、来ないで……」
息を呑み、やえは震える声でそう言って。踵を返して逃げ出す。
自分は体力はある方だ。この辺りは昔からよく遊んでいたから、どこを逃げればいいのかも分かってる。
森のみんなだって足止めをしてくれている。頑張れ、頑張って逃げてって声が聴こえる。
でも、それでも。ふかふかの落ち葉がつもった地面は柔らかくて、不安定で走りにくい。やがて見えなかった小石に躓いて、やえは転んでしまった。
「やだ、やだぁ!!」
ゆっくりと近づいてきたアヤカシが、やえの後ろ髪を掴む。まるで捕らえたウサギの耳でも掴むように乱暴だ。その痛みに顔をしかめると、少年は本当に嬉しそうに笑った。
「これで、アイツは助かる……」
怖い。
捕まったことに怖くて泣きそうになる。
(あたしは、今までアヤカシというものを侮っていた。ツバキが優しかったから、分かりあえるものだと心のどこかで思ってた。そのせいで、こんなことになったんだ。
一人で出歩いちゃダメだってお兄ちゃんも言っていたのに。逆らって、誰も連れずに外へ飛び出した)
やがて、風が吹く。
冷たい木枯らしが、吹き抜ける。
首に衝撃が走って、やえの意識が途切れる。
こうして、陰陽師の家の少女は、見知らぬ少年のアヤカシによって遠い場所へと攫われたのだった。




