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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
冬――ゲームマスターの告白
302/361

☆283 彼の恋心(霊魂)の存在証明




 日之宮邸に立ち入ることは容易いことだった。

小さい頃はよくお互いの家に出入りをしていたので、この屋敷の構造は身体に染みついている。月之宮家が和洋折衷の建築様式だとすれば、日之宮は西洋の小さな城をモチーフにしている。


「……奈々子様は、ずっと臥せっておられます」

 いつも思うけれど、この屋敷に勤める使用人たちはどこか血が通っていないように見える。誰に対しても冷たく一線を引いている。


この独特の空気が昔から私は苦手でしょうがなかった。日之宮では陰陽師という特別な存在が一番の権力を持っているので、術師である私の行動を阻もうとする人間はどこにもいない。

だから、仮に私がもしも奈々子を殺そうとしたとしても、それは見過ごされることだろう。

『陰陽師同士』のことなら、この家は全てを容認するだろう。


 なんだか寒気がした。

まるで得体の知れない怪物の体内にいるみたいだ。この鬱屈とした排他的な世界にいたら、誰でも頭がおかしくなってしまうかもしれない。


 ……早く帰りたい。

そんなことを考えながら、私は奈々子の自室までみんなを連れて歩いて行った。

ノックをすると、中から返事が聞こえた。


「……誰?」

「……私よ」

 声だけで、そこにいるのが私だと気が付いたらしい。しばらくして、彼女が低い調子で言った。


「……今更何のつもり?」

「何って……」

 その態度に苛立ちが募る。

自分の気持ちをぐっと堪えて、

「学校に来ないから」そう紡ぐと、彼女はけたたましく哂った。



「良かったじゃない、何もかも思い通りになったんでしょう! 目障りなあたしも学校に来なくなったし、幸せそうでいいことじゃないっ

どうせあたしはここで一人よ! そんなの云われなくたって分かってるわ……」


 何故だろう。強気なセリフが涙で滲んでいるように聞こえた。

そのことに戸惑っていると、自分の部屋に閉じこもった奈々子が言う。


「ぐず、あたしは負けたわけじゃないのよ……」

 拗ねた彼女に反省している気配はない。

そのことに東雲先輩も苛立った顔になる。私も怒りを感じたけれど、どこか先ほどの言葉に引っかかるものを感じた。


「……日之宮、具合は大丈夫か」

 そこに、今まで黙っていた夕霧君が唇を開く。


「……あなた、誰よ」

「夕霧だ。オカルト研究会で前に会ったことがあるだろう」


「は……?」

 淡々と返事をした夕霧君に、奈々子は一瞬思考が停止したらしい。しばらくして、焦ったように叫んだ。


「な、なんであなたがこんなところに来ているのよ! 馬鹿じゃないの!?」

「覚えていてくれたようで何よりだが、このドアを開けてもいいか? 先生から託されていたプリントが山のようにあるから、できれば手渡しをしたいんだが……」


「い、いい、いいわけないでしょ!」

「じゃあ開けるぞ」

 どこまでもマイペースな陛下は、丁度鍵のかかっていなかった部屋のドアを無造作に開いた。

床一杯に散らかったルーズリーフと筆記用具に囲まれて、ベッドの上で布団を被ってパソコンを開いていた奈々子が瞳を大きく見開いた。

そこには少女漫画や文庫本が沢山転がっており、とても大財閥の令嬢の部屋だとは思えない有様になっている。


「…………」

 ひく、と唇をわずかに開け、パジャマ姿の奈々子は茫然とこちらを見た。

意外なことに女の子らしい大人しめの恰好をしていた。

仇のように東雲先輩の方を見て、次に私と福寿を見た後で、夕霧君を視界に入れた瞬間に真っ赤になる。


「ああ、何か作業をしていたのなら済まない。これ、持たされてきたプリントと新しい教科書だ。もしも足りないようなら後で柳原先生に……」

「……なんで勝手にあたしの部屋に入ってくるのよ」

 低く声を震わせた奈々子が、手当たり次第に近くにあった本を夕霧君に投げつけ始めた。


「早く帰ってちょうだい! 用事が済んだのなら放っておいてよ!」

「はは、思っていたよりも元気そうだな。安心したぞ」


「生まれた世界も違う庶民のくせに、アンタにあたしの何が分かるのよ!」

 奈々子が怒鳴りつけると、夕霧君は至極真面目にその返事を考える。

 そして、やがて眼鏡越しの黒い瞳を緩ませた。


「そうだな。オレもお前が何に悩んでいるのかは知らないが……」

 ……そして、恥ずかしさと怒りに震える奈々子に、無自覚に爆弾を叩き込んだ。


「だけど、できるなら日之宮の力になってやりたいと思う。多分オレは、日之宮のことを好きなんだと思う」

 その言葉の衝撃に、抵抗を続けていた奈々子が呆気にとられた顔になった。


「……あなたって馬鹿じゃないの」

「そうか?」

 放心したように、奈々子の毒が抜ける。唇をわずかに開けた彼女が、一瞬だけ感情の抜け落ちた顔になった。

その虚無的な無表情に、私はぞくりとしたものを感じる。

星の見えない闇空のような霞みががった彼女の瞳から、水が溢れそうになる。


「…………っ」

 その場にへたり込んだ彼女は、震える声でこう言った。


「……帰って」

「日之宮、オレは……」


「帰ってよう……っ」


 ――この子が可哀想だ。

何故だか、不意にそう思った。

あれだけ怒っていたはずなのに。傷つけられた心の痛みだって癒えてなんかいないのに。

 ……ねえ、こんなのおかしい。

本当は、次に会ったときは殴ろうと思っていたの。抱えていた恨みを全てぶつけて、関係が修復できないぐらいに怒鳴ってしまいたかった。

そんなことしても気なんか済まないと分かっていたけれど、相手の非を認めさせたくて……そうして、私は何がしたかったのだろう。


「……オレ、待ってるから」

 泣きそうな奈々子に途方に暮れた夕霧君は、必死に告げた。


「あの部活で、日之宮が来るのをずっと待っているから」

 ……その言葉に対する、返事はなかったけれど。





「どうして泣かれてしまったのだろうか」

 帰り道、陛下は助手席に頬杖をついて呟いた。

そう響いた問いかけに、私はどう返答したらいいのか困ってしまって、目を逸らす。


 致命的なほどに、陛下は空気が読めない。

けれど、恐らくは彼は明瞭な解答を期待していたのではなかったらしい。

誰とはなしのため息が車内に満ちると、夕霧君はこんなことを話し始めた。


「今更だな。泣かせてしまったものは仕方ない、か……。話は少し変わるが――オレは、小さい頃に霊魂を見たことがあるんだ」

 初めて聞く話だった。

その言葉を耳にし、私の隣にいた東雲先輩が目を見開く。組んであった長い脚が少し動いた。


「……それはそれは」

 若干面白そうに妖狐は忍び笑う。

 それを私は目で諫めた。


「幼い頃に、オレの好きだった祖父が死んだ。まだ誰もが早世と嘆くような歳で、孫のことをとても可愛がってくれたのに。何度も墓参りに従兄弟と行ったのだが、もうじき夕方になりそうなお盆が近い夏の日のことだ」

 夕霧君は、懐かしそうに語る。


「祖父が好きだったカステラを供えて、従兄弟が悩み事を相談した。今となっては他愛もないことだけど、当時にしては重大な悩みのように感じていただろう。もう一度会いたい、と願ったせいだろうか。気が付くと、オレたちの目の前に青白い霊が浮いていたんだ」

 彼は懐かしそうに笑う。

暗くなっていく窓の外を見ながら、その瞳は過去を追いかける。


「その一瞬の出来事は……不思議だけど、怖いとは思わなかった。それは幼い子供を魅了してしまうぐらいに神秘的で、けれど誰もがその体験を信じようとはしなかった。

親も学校の先生も友達も、みんなが口をそろえて目の錯覚だとか嘘つき呼ばわりをしてくれてな。だけどどうしても忘れられずに、オレと従兄弟はその体験の本物を証明する手立てはないものかと今もずっと探しているんだ。

……なんだか日之宮に対しても、それと同じような気分だ」


 彼の声はどことなく切なさを帯びている。

私の頭に、奈々子の婚約者である義兄の存在がよぎった。釘を刺さなくてはいけないと思うのに、どうしてもそれが口に出せない。

舌が痺れてしまったかのように、私の口腔にはりついていた。


「知り合って僅かの時間しか経っていないけれど、オレはあの娘のことが好きなんだ。証明する手立てなんてどこにもないが……」

「証明する必要なんてないでしょう」

 今までずっと機嫌が悪かったはずの東雲先輩が、すっきりとした笑い方をした。


「人魂はきっとこの世にありますよ」

 まさか自分の高校の生徒会長が肯定してくれると思わなかったのだろう。夕霧君が戸惑った気配を出す。


「……そうか」

「そうね。私も幽霊はいると思うわ。きっと夕霧君の恋も成就することを祈りましょう」

 運転していた福寿が穏やかな声で笑う。

私にはその無責任な言葉を否定することができなかった。


「ありがとう」

 夕霧君は、ふは、と笑う。

清々しく、嬉しそうな笑顔が零れた。


 もしかしたら、奈々子にとっての義兄との縁談は、彼女を苦しめるものでしかないのではないか?

夕霧君だったら、彼女のことを幸せにできるのでは?

そんな疑惑が生まれて、人魚の溶けた泡のように夕刻に立ち上っていった。





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