☆281 墓穴掘りの名人
そんな思いを抱きながら部活へと久しぶりに顔を出すと、案の定というべきかそこには松葉の姿がなかった。
どうやら病院へ入院した後の彼のカワウソは最早我が家へと帰ってくる気がないようで、学校には通っていることは耳にしているものの、分かりやすく表現するなら絶賛家出をしている状態なのだ。
そのことを思うと暗い心境となってくるので私は深くこのことを考えないようにしている。裏切られた以上は主従の契約を切ってしまえばいいのかもしれないけれど、どうにもその決意ができずにいた。
もしかすればこの繋がりを心の拠り所としていたのは私の方だったのかもしれない。松葉にとっては、私ほどには大事に思っていなかったのだろうか。
……情けない。毅然とした態度をとれればいいのに、今になってもまたひょっこり帰ってくるのではないかと期待のようなものを持っている。
そういうのは余り良くないことだと分かっていはいるのだけど……。
と、そこまで思考したところで、ティーポットを手に持った白波さんがこちらを見て微笑んだ。
淹れて貰った褐色の紅茶の渋みを舌で味わっていると、テーブルの向こう側でトランプで遊んでいる友人たちの姿が見える。
希未がフルハウスを繰り出したところで、部室のドアが乱暴に開かれた気配がした。私が視線を動かすと、憮然とした顔つきの陛下が足早に部屋へと入ってくるのに気が付く。
そのまま、勢いよく鞄を布団に投げ出すと、夕霧君は首に巻いてあったネクタイを乱暴に外した。
「……日之宮さんは今日も来ないのか」
ポツリと呟かれた言葉に一同は目を合わせる。
至極残念そうに言われたので、思わず私はそのセリフに返事をしてしまった。
「ごめんなさい。ずっと休んでいるみたいなの」
「彼女は体調でも崩したのだろうか」
多分メンタル的なものだと思いますよ、陛下。よほど自分の企みが失敗したことがショックであったに違いない。
言いたいことを堪えるように、同じ部室で生徒会の仕事をしていた東雲先輩が眉間にシワを作った。
「……また会いたいな」
「でしたら、会いにいけばよろしいではありませんか」
何も考えずにそう喋ると、意外そうな陛下の顔がこちらへ向く。
「会いに行ってもいいと思うか?」
「丁度休んでいる間のプリントが溜まっているみたいだし、お見舞いにでも行ってあげたらいいんじゃない?」
うかつなことに私は完全に他人事で話していた。
「……別のクラスの生徒でもいいと思うか?」
その辺りは問題ないと思う。
何故なら転校早々に悪目立ちをした奈々子へのお見舞いに立候補するクラスメイトなんて現段階で誰もいないであろうから。
彼女はどちらかというとみんなから嫌われている部類だ。
そう伝えようとして、流石にこの云いようはあんまりであると自重する。言いそうになった言葉を呑みこんだ私に、瞳を輝かせた夕霧君はその手をがしっと掴んだ。
「月之宮、……頼みがあるんだが」
あ、なんだか嫌な予感。
全身の鳥肌が立った私に、魔王陛下は満面の笑みで告げた。
「お前は日之宮の親戚だと噂で聞いたぞ。あの子の家まで案内がてら一緒に見舞いに行ってくれないか!」
無理無理無理無理、ムリーーーーッ!
そのセリフのインパクトに硬直してしまった私に、近くで聞いていた東雲先輩が吐き捨てる。
「そんなこと許すわけないだろう……っ」
「どうしてだ?」
事情を丸っきり知らない夕霧君の素朴な疑問に、私たちは頭を抱える。いつもマイペースな陛下に、空気を読むとか察するとかそういう高等技術を求めること自体が間違っている。
「……月之宮は、余り日之宮と仲が良くはない」
いつもは余り喋らない八手先輩がそう言うと、夕霧君は益々不思議そうな顔になる。
「それはおかしくないか? 少なくとも、日之宮の方は月之宮に好感を持っているように思うが?」
「……それはありません」
そうだとすれば、あんなに酷いことをされるはずがない。
私が暗い顔で呟くと、夕霧君が腕組みをした。
「いや、オレが思うに間違いなく日之宮はお前のことが好きだぞ。ここにあるカバラの魔導書を一冊賭けてもいい」
その賭けは重いのか軽いのか分からない。
「そんなの要らないし」と希未が悪態をつく。鳥羽は壁際にじりじりと避難し、白波さんはオロオロしている。
東雲先輩は冷ややかに告げた。
「君の考えは錯覚にすぎません。あの女は八重に対してとても酷いことをしたのですよ」
「だったら仲直りの機会が必要じゃないか」
「そんな小学生の喧嘩じゃあるまいし、簡単に和解できるはずがないでしょう!」
私が叫ぶと、じと目になった夕霧君がボソッと呟いた。
「そもそも、オレは月之宮に貸しが一つあるような気がするがな」
「えっ……」
一瞬何のことを言われたのか思い出せなかった。
少し遅れて、ようやくその言葉の意味を理解する。煮え立つようにつま先から頭のてっぺんまで真っ赤になった。
……確かに、私は鳥羽に失恋した時に夕霧君の前で泣いてしまったことがある。
この出来事を東雲先輩に知られたら、到底よくは思われないだろう。破局の危機が訪れてしまうかもしれない。
私は勢いよくパイプ椅子から立つと、
「云わないで! みんなには絶対云わないでえっ」と頭を抱えた。
「どうしたものかな」
「案内するわ! いくらでも日之宮に取り次ぎするから! だからあのことだけは……っ」
そこで東雲先輩が咳払いをする。
「……一体何のことを話しているかさっぱりですが、僕に教えたくないことがあるのですか? 八重」
「いや、別に大した話ではない。だが、月之宮が知らせたくないと思うことを不用意に喋るのも憚れるな」
ちゃっかり交渉材料に使ってるくせに!
そう言った夕霧君に複雑そうな目を送った東雲先輩が、ため息をついて一言。
「……この流れでは止めても無駄ですか?」
「云わなくても分かるだろう」
夕霧君の浮かべた満面の笑みに、東雲先輩は憎々し気に舌打ちをした。




