☆261 カワウソの告白
その日以来、白波さんは時折やって来る貧血に悩まされるようになった。
冬休みになっても、状況は改善せず。お正月に会った白波さんは、「疲れやすくなったみたい」と、自分の体調の変化をおっとり笑う。
不安になった私は、保険医である雪女の福寿に会う時間を休みの間に作った。
「つまるところね、白波さんの今の状態は霊的に消耗しているということなのよ」
私のおごりであることをいいことに、店のメニューに載っているパンケーキを片っ端から頼んで食べていた福寿は、冷静にそう分析をした。
「……霊的な消耗?」
何も食べずに珈琲だけを飲んでいた私は、いぶかしく眉を潜める。
福寿はハムスターのように頬張りながら喋った。
「つまるところ、今の白波さんは霊的なものに常にアクセスしているってこと。いつもつけっぱなしのテレビは、いつかくたびれて壊れてしまうじゃない?
分かりやすいたとえで云うとこんな感じかしら」
なるほど。確かに分かりやすい解説だった。
本来霊能力者ではない只人の白波さんが、霊的な世界にチューニングを合わせていること自体が無理なことなのだ。四六時中その状態が続けばやがて破綻が訪れるということなのだろう。
「……そう。ありがとう」
三年しかもたないと、鳥羽は言った。
長くもないその期間。少しずつ、白波さんの命は削られていく。
考えれば考えるほどに、白波さんを苦しめている自分のことが嫌いになっていく……。
「焦ってはダメよ、月之宮さん」
福寿は微笑んで告げた。
「……そんなことを云われても、私は」
「こういうのはね、ゆっくり育むべきことなの。恋とか愛とかは、そんな風に焦って促成栽培できるものではないわ。……たとえ自分自身のことであってもね」
焦燥感に満ちた瞳で福寿を見ると、彼女はにっこり笑って私の頭を撫でてきた。その大人びた仕草にこちらが赤くなると、
「……ところで、私もお願いがあるのだけどいいかしら?」
と可愛らしく言われる。
「……なに?」
「月之宮さん、やっぱり私と子作りをしない? ほら、新たな命を宿せば自分自身に対しても考えが変わってくるかも……」
そのセクハラ発言に、反射的に近くにあったナイフを投げつけた。福寿の頭の横にステンレスの食器が飛んでいく。彼女の顔色が少し悪くなった。
「……ななな、なーんてこともあるかも……」
「あるわけないじゃない!! この万年発情期!」
真っ赤になった私は、そう叫んで勢いよく席を立った。
何かあるはずだ。探せば、何か。
焦りながらも私は冬休みの時間を使って、月之宮家の蔵書が保管された倉を漁った。
亡くなった祖父母が集めた呪術にまつわる様々な文献が保管されているこの倉に、懐中電灯を携えて潜り込んではみたものの、やはりそうたやすくは目的の本に巡り合えない。
私がその違和感を覚えたのは、調べ始めて三日後のことだった。
「……おかしい」
まるで初めから存在しなかったかのように、神に関係している書籍が、この蔵には置かれていない。
古今東西のありとあらゆる文献が収集されているはずなのに、まるで綺麗さっぱり保管されていないようなのだ。
以前にも感じていたことではあるが、自分への偏った教育のされ方といい、何か重要な秘密を内外から隠していたことは否めない。
……それほどまでに、私の存在を隠匿しておきたかったのだろうか。お爺様とお婆様は。
「……それでも、探せば何か残っているかもしれないわ」
片付けそこなった資料の一つくらいは、もしかしたら。
しんみりしかけた自分を勇気づけ、私は改めて一から探し直そうとした時のこと、誰かがこの蔵に近づいてくる気配を感じた。
「誰?」
返事はない。
振り返ると、暗闇に白っぽい茶色の髪が見えた。
「……松葉」
暗い眼差しをした松葉が、入り口から入ってきたところだった。ほっとした私が笑いかけるも、返ってくるのは不穏な気配を宿した意志の強い瞳だけだ。
「…………っ」
壁際に後ずさりをした私に、近づいてきた彼が腕をつく。
逃げ場のない状態になり、いつもと違う松葉の様子に思わず息を呑んだ。
「……ねえ、八重さま」
聞いてよ。
「八重さまって、東雲のことが好きなの?」
低い声で問いかけられ、私はドキリとした。
こちらの表情で答えは分かっているのだろう、彼はこうも呟く。
「ボクじゃ、ダメなの?」
返事ができない。
何でもないことのように聞き流すには、その言葉は余りにも切羽詰まったものに聞こえて。
悲しみが混ざっているように、聴こえて。
「ボクは、八重さまのことが好きだよ。
……恋愛として、あなたのことが好きなんだよ」
そんな告白をされた私は茫然として、松葉を見た。頭の中が真っ白になって、その衝撃は全てを溶かしてしまいそうなほどだった。
松葉は、私にとっては恋愛対象に見たことがない身内の存在だった。それなのに、相手は……。
私の反応を見て、松葉は落胆したようなため息をついた。
「でも……八重さまはそうじゃないんだね。ボクと八重さまは、違うんだね」
――私と彼はこうも違った。
哀しそうな彼にどんな言葉をかければいいのか、私はまるで分からなかった。
あれだけ学校で勉強したことのどれもが役に立たなかった。今の私は、無知な女でしかなかった。
今までどれほど傲慢であったのかを私は知った。
「松葉、ごめ……」
「謝らないで」
松葉は、俯いて言った。
「……お願いだ。まだ、……まだ、あなたを好きでいさせて」
「…………」
その切々とした声に、私は心の奥が痛んだ。
断らなければならない。断ち切らねばならないと思うのに、それと同時に悲しくなった。
これまで、私と松葉は一体の主従だった。
契約を交わした時から、ずっと彼は私のことが好きだったのだ。そして、これからも報われないと分かっているのに、好きでいたいと望むのだ。
かつて1つであると思っていた繋がりは、もう、なかった。




