☆259 追いかける約束
長いツインテールをリボンで結い上げた希未は、オレンジ色のドレスを着ていた。けっこう短いスカートの裾をひらひらさせながら、会場にある食事を元気に食べている。
「それでさー、結局私は相手は見つからなかったんだよねえ」
「そう」
「貴重な女子高生という期間を無駄遣いしている気もするけどさ、こりゃもう縁がなかったと思うしか!」
その言葉を聞いて、私はふと思ったことを言う。ノンアルコールのカクテルをちびちび飲みながら、
「じゃあ、松葉と一緒に来れば良かったのに」
「へ?」
「うちの式妖も相手が決まらなかったみたいだから」
それを聞いた東雲先輩が噴き出す。くっくと笑いを堪えている姿に違和感を覚えるも、希未の放心している様子に首を傾げた。
「無理!」
「結論早いわね」
「私、八重に向ける愛情の一割でもアイツに注げる気がしないし! 多分あっちだって似たようなものだし!」
そうかなあ。
案外、幸せになったりするかもしれないのに。
「まあ、栗村さんは月之宮さんが一番って感じだもんね」
ケーキを食べていた白波さんがのんびり呟くと、希未はブイサインを送る。
「私、八重のことは人生で一番愛してるからね」
堂々とした言葉だった。
大げさなと疑いたくなったけれど、なんとなくそれが友人の本音なのだろうと悟る。
「……私はそこまで希未のことを好きじゃないけど」
思わず気恥ずかしくなった私が言うと、希未はにししと笑顔を浮かべた。
そのまま、東雲先輩の方に押し出してくる。
「はいはい、2人はそろそろ踊ってきなよ。私はここから1人でのんびり眺めてるからさ」
そのセリフが妙に強がっているように聴こえて、私は不安に思って振り返る。けれど、彼女の笑顔はびっくりするぐらいにいつも通りで、それが不思議と心に引っかかった。
「……本当に行ってしまっていいの?」
寂しくはないの?
「本当は少し寂しいけど……だってさ、そろそろ前に進まなきゃでしょ」
「……そうかしら」
「ずっと私が縛っているわけにいかないって。私は全然平気だからさ、楽しんできて。お願い」
前髪に隠れた目は見えなかったけれど、希未の口は笑っていた。
淡雪のように消えてしまいそうな儚い声だったけれど、私の耳には強く響く。
ずっとこのままでいられそうな気がしていた。
私が初めて出会った人間の友達である彼女と、いつまでもこの学校でおしゃべりできると信じていた。
親友の希未さえいればいいと思っていた時期だって、確かにあったはずなのに。
ごめんなさい。
好きな人が、できたんです。
ごめんなさい。
あなたに貰った幾つもの宝物。そのお返しだってしてもしきれないほどなのに。
前に進まなくてはいけない、そのことがこんなにも切ないだなんて。
「では、行きますか」
希未は、手を振って微笑む。
振り返った私の手をとって、東雲先輩は滑るようにダンスホールの中央へと私を連れていく。
視界の端では鳥羽と白波さんがステップを踏み始めたのが見えて、気が付くと東雲先輩と私は音楽に合わせて踊り始めた。
いつもは退屈だと感じていたダンスが、こんなにも楽しい。
悩み事で一杯だったはずの脳内にアドレナリンが分泌されて、次第に熱狂していく。
互いに見ているのは相手だけ。
こんなに大勢がいる会場で、私と東雲先輩が世界の中心になったかのような錯覚を感じた。
バイオリン。ピアノ。ヴィオラの生演奏。
オペラ歌手の歌声が胸を打つ。
どうか、どうか、この一瞬が永遠に続けばいい。
サヨナラなんかずっと来ないで、あなたと居るこの時間が終わらければいい。
それは東雲先輩だったり、白波さんのことだったり、もしかしたら希未だったのかもしれない。自分でも定かではないこの気持ちが駆け抜けて、気が付くと私と東雲先輩は笑い出していた。
やがて、ダンスを終えた東雲先輩に中庭へと連れ出される。
冷たい夜空から白い結晶が降ってきているのが見えて、私は喜びの声を上げた。
「わあ、雪! どうして、今日は降らないって聞いたのに……」
「恐らく柳原か花咲の演出でしょう。あの2人がいればこのくらい朝飯前です」
それでも、久しぶりに見る粉雪だ。
比較的温暖なこの地方ではこの時期に見られること自体が珍しく、私は心配ごとを一時的に忘れてはしゃいだ。
「すごく綺麗……」
白い息を吐いて笑う。
すると、東雲先輩が笑い声を上げた。
「まるで子供に戻ったようですね」
「東雲先輩には私のことが幼稚に見えるんですか?」
ムッとして返すと、しばらく考えた彼は肩を竦めて告げた。
「全くそうは思いません」
「ならいいですけど」
少しだけ不安だった。
長生きをしている彼には、私の精神年齢が釣り合わないのではないかという疑いが、ふとした拍子に恐れとなって表れてしまう。
背伸びをしたい。
好きな人には、子どもではなく女性として見て欲しい。
「東雲先輩は、この学校を卒業したらどこに行くんですか?」
「東京の名門大学を受けるつもりですよ」
「私と連絡がとれなくなったりとかは……」
「ちゃんと会いに来ますから、安心なさい」
なんだか東雲先輩の目を見ることができなくて、俯いた。
一つ上の学年である彼は、これで卒業してしまったら離れ離れになってしまう。そのことを思い出したら急に動揺してしまって、遠くなる距離が悲しかった。
「……本当は留年することも考えたんですけどねえ」
その時、思いがけないことを言われる。驚いた私が視線を上げると、東雲先輩はフッと笑った。
「けれど、それをしたら君の父上に見限られてしまうでしょう。僕の成績では浪人するのも不自然に映るでしょうし」
「しなくていいです! なんでそんなこと考えるんですか!」
慌てて叫ぶと、彼が私の手に触れてくる。
そのまま指を絡めるように繋がれて、そこから電流が流れたように感じた。
「……僕だって、できるなら君とは離れなくないんですよ」
「…………っ」
「でも、八重ならきっと僕の受ける大学に来ることもできるかと思いまして。そうすればそこで一緒に通えるじゃないですか」
ああもう、そこまで計算されているなんて。
魔法みたいに甘い言葉に、ついその気にさせられてしまいそうになる。進路先がこんなことで決まってしまうだなんて、なんて誘惑に甘いのだろう。
「……追いかけてもいいんですか?」
私が、追いかけてもあなたは後悔しませんか?
先輩に訊ねると、かがみながら唇にキスをされた。
「追いかけて来てください」
そんな一言に、恐ればかりの暗闇に灯りをともされたような気分になるのだから、どうしようもない。
潤んだ瞳で、私のヒーローに口づけを返す。
「……先輩、私、本当は知ってるんです」
放心した顔でこちらを見ている東雲先輩に、私は言った。
「……全部、私のせいだったって。私が自分のことを嫌いだから、白波さんが返そうとしてくれている神名を受け取ることができないんだって……。
でもね、思うんです。
ここで諦めてうじうじ泣くような自分より、前を向いて先輩を追いかけられるような自分の方が、私は好きだって」
「……そうですか」
息を吐き出した東雲先輩の腕に、抱きしめられた。
その温もりに目を閉じて、しばらくの間私たちは寒い夜空にくっついていた。
「そのことは誰に聞いたんです」
「……えっと」
あ、やっぱりそのことは話さなくちゃダメですか?
誤魔化したままでいてはいけませんか?
ぎこちなく視線を逸らそうとすると、顎を上げられて無理やり正面を向かされる。どうしたらいいのか怯えている私に、不機嫌そうな東雲先輩は口を開いた。
「…………八重?」
「あの、偶然だったんですけど、この学校に、あのアヤカシが……いまして」
そうやってしどろもどろに説明しようとした時、何者かが中庭に飛び出してくるのが見えた。
「月之宮さん、大変だ!」
行事の手伝いをしていたらしいウィリアムが、血相を変えて駆け寄ってくる。その姿を見た東雲先輩が眉間にシワを寄せた。
「お前……」
「邪魔をしてごめん! でも、君を探しに来たんだ!」
そうして、顔を歪めた西洋鬼は私に告げた。
「あの女の子が! 白波小春が、パーティの最中に倒れて保健室に運ばれたんだ!」
残り時間は、あとわずか。
何かを待つ時間は長く感じても、
終わりに近づく時間は、駆け足のように早い。




