☆257 渡したくない人
昔から何かを待つ時間は、ひどく長く感じる。
パーティーというものに飽き飽きしているはずの私でも、やはりクリスマスというものは特別に感じて。
罪悪感とか後悔にまみれて、変わろうと思っても変われない自分でも。
やっぱり己のことを大嫌いだという本音をなくせない毎日なのに。
聖夜は生きとし生ける誰にも等しくやって来る。
――12月24日。
「……八重さま、綺麗だね」
「…………ありがと」
マイナスに傾く心を表すみたいに、漆黒のドレスを身に纏った私に松葉は呟く。
以前のパーティーで着たものとは違って、肩の見えるオフショルダーのドレスだ。極細の糸で編まれた高価な手編みのレースが幾重にも施され、ボリュームのあるスカートが冬の装いとなっている。
「…………」
八手先輩に手を引かれながら、私は待たせていたベンツに乗り込む。同じ車内に乗り込んだ松葉は、ぼそりと呟いた。
「……渡したくないよ」
その声が聞こえたと思った時、手首が強く掴まれる。
「ねえ、八重さま。やっぱり東雲と一緒に行くのはやめない? ボクの方がずっと八重さまのことを知ってるしさ、アイツなんかより大事にするし、幸せにしたいって気持ちでは負けないし……」
手首の痛み。松葉の、苦しそうな笑み。濁った瞳。
いつものように、ふざけているわけではないのだろうか。
「松葉……」
「お願い、八重さま。東雲と一緒にパーティーに行っても、ボクのことは忘れないで」
押し殺すような声に、私は黙って頷いた。
意味が分からなくても、否定してはダメだと思った。それが主の責務なのではないかと思ったから。
しばらくの間、私たちは手を繋いだままだった。
伝わってくる微熱と、指先の冷たさを行ったり来たりして、沈黙が車内に満ちる。
松葉に何を言いたかったのか自分でも分からなかった。
それでも、その乾いた髪を撫ぜて。優しく励ましてあげなきゃと思った。
そう思っているのに、まるで痴呆症になったように言葉は浮かばない。
拙いロッカーの歌みたいに。凪いでいる海に唄う鳥のように、松葉に何か云ってあげられたのなら良かった。
この口が、ほら吹きになれたらもっと優しくしてあげられたろうか。
車が学校に、着く。
「……松葉、私」
「……離せない」
そんなことを言われても、もう着いてしまったのに。
車から出たところで困惑の眼差しを送っていたら、車に同乗しながら傍で見ていた八手先輩が松葉のことを引きはがして突き飛ばした。
夜のアスファルトに、松葉が尻もちをつく。
それが可哀想に見えて、私は思わず駆け寄りそうになる。
「……助けてはならない。月之宮」
けれど、八手先輩に制止される。
表情に影を落とした松葉が泣きそうになっている。
「どうしたんですか」
そこにやって来た東雲先輩が、険しい顔でこちらにやって来た。
このままでは松葉が殴られてしまうかもしれない。そう判断した私は式妖を庇おうと慌てて彼の近くに進み出る。
「……別に何事もありません。ここまで迎えに来てくれてありがとうございます。東雲先輩」
駐車場には他の生徒たちを送ってきた車で溢れている。
浮足立ったその場の空気は流石に12月なだけあってひどくひんやりとしていて、そこに立っているだけで頬が赤くなりそうになった。
少し素肌に寒い。
そんなことを感じていると、誰かの上着が肩にかけられる。
「そんな恰好でここにいたら風邪を引きますよ」
「あ、ありがとうございます」
自分のジャケットを手渡してくれた東雲先輩にお礼を言うと、彼は青い瞳を眩しそうに細めた。
「……綺麗だな、八重」
散々聞き飽きたお世辞だと思っていたのに、好きな人に言われるとこんなにも胸に響くのだろうか。
締め付けられるような感覚に陥った私は、顔をみるみるうちに真っ赤にしてしまう。
そんな様子を見て、東雲先輩はくっくと笑いを零した。
「随分可愛い反応をするんですね」
「…………なっ…………」
そういう歯の浮くようなセリフを素で言うな!
こんな人目のある場所で! 近くにはクラスメイトもいるのに!
「あなたはどこの外国人ですか!」
「生粋の日本人です」
そもそも相手は人間ですらないのにこんな話をしても仕方ない気もする。精神的には日本人であるつもりなのだろうか。
「もういいです! 行きますよ!」
残していく松葉のことは気になるけれど、ここでずっと立ち話をしてもしょうがない。
「はいはい」
肩を竦めた東雲先輩は、楽しそうに笑って歩き始めた。
その反応に手のひらの上で転がされているような思いになりながらも、私は彼の姿を横目で盗み見る。
長袖のワイシャツに黒のベスト。高そうなネクタイ、下は長いスラックス。
無難な衣装を着ているはずなのに、どうしてこんなにも様になって見えるのか。
「……先輩」
私は呟いた。
「先輩も、すごくカッコいいです」
一緒に歩きながら、勇気を出してみる。
「……それはどうも」
「……嘘じゃないからね?」
私が囁くと、先輩はその場でくるりと振り返った。
あとちょっとでダンスホール。その手前の扉の前で、彼は手を口元に当てて何かを堪えているような顔をしていた。
私は思わず笑ってしまう。
「…………ふふっ」
「笑わないでください」
だって、こんなの笑うしかない。
ずっと遠くにいると思っていた人。遥かに長生きで、自分よりも大人だと感じていたのに。
思わぬ反応に笑っていると、東雲先輩は呟いた。
「これでも僕は色々取り繕っているんですよ……」
バツが悪そうにそう言って、彼は私の手をとったのだ。




