☆248 新しい養護教諭とどうしようもない約束
私の通っている私立慶水高校では、滅多に朝の校長講和がない。そんな暇があるのなら勉強に使ってもらいたいというスタンスなのか、それとも単に面倒なだけなのか。まあ、他の学校と比較したことはないけれど、高校生には自主性を尊重したいということなのだろう、多分。
「ねえ、久々の校長講和じゃない? 何があったんだろ」
好奇心をむき出しにした希未がきょろきょろと辺りを見渡している。名簿順に整列させられることもなく、私たちは各自好きなように集まっている。
「そ、それが、新しく先生が来るらしいんです」
「新しい先生? こんな時期に?」
白波さんの情報に、希未がすっとんきょうな声を上げる。四月や五月や六月ならともかく、今は既に冬真っただ中の十二月だ。こんな時期にやって来る教員なんてきっとろくでもない事情を抱えているとしか思えない。偏見だけど。
「だれか産休をとりそうな先公なんかいたか?」
腕組みをした鳥羽が体育館にあぐらをかきながら呟いた。「さあ、知らないわ」と返事を返して私は前を向く。
前方に居並ぶ頭の群れの向こうで、どこか不安そうにしている遠野さんの姿を見つけた。声をかけようとして、私が動こうとしたところで一気にざわめきが静まり返る。
壇上に上がって来たのは、ふくよかな体型が特徴の校長と、白衣を着た年若い女性だった。灰色のロングボブヘアー。はち切れそうにシャツを押し上げている豊かな胸。網タイツを履いたすらりと長い美脚に、キュッとしまった腰。その色香は抑えようとしても抑えられるものではなく、卑猥なほどに短いタイトスカートからはもう少しでショーツが見えてしまいそうだった。
その容姿には、確かに見覚えがあった。
「あ、あああああ~っ!!」
声を上げそうになった私の代わりに、希未が指差しをして叫んでいた。辺りの生徒の視線が一気にこちらに集い、かなり恥ずかしい思いをすることになる。
「ちょっと、希未、静かにしてよ!」
小声でたしなめるも、希未はぽかんと口を半開きにしていた。
「だって、だって、あの女……。名前、なんてったっけ、え~と……」
「花咲福寿です」
「そう、はなさ……あれ?」
聞き慣れない苗字は、とりあえずアヤカシたちの思い付きで考えたものだろう。大声を出して注目を浴びていた希未ににっこり檀上から笑いかけた福寿は、ひらひらと手を振りながらマイクで名乗った。
「えー、今日から花咲先生には、早期退職をした畔上先生の代わりに保健室の養護教諭をやっていただく予定です」
空咳を繰り返しながら、校長が福寿の紹介をする。
男子生徒の視線はすぐに新しい養護教諭にくぎ付けになり、女子生徒の顔は自信喪失したものになる。
けれど、私は声を大にして言いたい。
むしろ福寿によって身の危険が迫っているのは、女子の方なのだと! 自信を失くしている間があったら、福寿の半径15メートルから逃げ出す判断を下した方がいい。
「皆さん、どうかよろしくお願いしますぅ」
黄色と黒の標識と一緒に、間延びした福寿の言葉が、頭に鮮烈に焼き付いた。
福寿に見つからないうちに教室に戻ろう。
いつもだったら東雲先輩の姿でも探すところだけれど、今の私には冷や汗しか感じない。胸元に下げたペンダントが作り手と引き合うようにひんやりと冷気を発している。周りを押しのけて逃げ出す算段をしていた時、大きな肩を持った男子生徒にいきなり腕を掴まれ、声を掛けられた。
「月之宮……」
「え、八手先輩?」
待て、行くな。と、目線で訴えかけてくる八手先輩に免じて、体育館から逃げ出すのは一時休止する。
「何の用ですか?」
無粋にそんなことを聞いた私に、先輩は言う。
「……いや、この前の報酬の件なんだが」
ああ、そんなこともありましたね、センパイ。いや、忘れていたわけではないですよ?ホントですって、信じてください。
「異議ありー!」
返事をしようとした私に、希未が割り込んできた。走ってくる電車に向かって飛び込んでくる野生のシカみたいに無謀なことだと思うのですが、それってどうなんだろう。
「希未!?」
「異議あり! そんな約束は無効だー!!」
「逆○裁判でもやりすぎたか、栗村。お前がその気だというのなら、女といえども容赦はせんぞ」
そんなゲームもありましたねー。そういえば。
って、黄昏ている場合じゃない。八手先輩がポキポキ指の関節を鳴らしている場面に遭遇してしまった私は、焦って返事をした。
「な、なななんでしょう!? できたら平和的な交渉を望みます!」
「……む?
うむ、交渉か。だがこちらは遠慮はしないぞ、月之宮。何でも好きなものを云っていいといったのは、お前のはずだ」
「は、はい! 確かに!」
「では、夕方の三学年の教室でお前を待っている。以上だ。さっさとクラスに戻れ」
呆れたようにそう言った八手先輩は、掴んでいた私の腕を離した。気のせいか、その頬はちょっとだけ照れくさそうにしているようにも見え、ようやく始動し始めた私の脳内が驚愕に染まる。
放課後の教室で待つって、まるで私に告白でもするみたい……。
え、ええええええええっ! ちょっと待って、まさか八手先輩に限ってそんな!
私のことが好きだとか、そんなことあるわけが……ちょっと待って、センパイ! そんな風にさっさといなくならないでー!!!
「なんで止めるのさ、八重ったら」
「ちょっと待って、ちょっと待って、希未! 私の思い違いじゃないよね!?」
「思い違いなわけないじゃん。もう、八手先輩は100%八重のことが好きだね。どうするの? 東雲先輩と付き合ってるくせに」
「いや、私と東雲先輩は付き合ってるわけでは……」
「じゃあ、八手先輩と付き合うの?」
「ああああ、私の馬鹿! なんでもあげるとか云っちゃった!」
呆れ眼の希未に対し、私はガンガンと壁に頭を打ち付けた。正気に返ってみれば、なんて危うい約束をしてしまったのかと恐ろしくなってしまう。
なんてうかつな……っ
どうしろっていうんだ、こんな約束!




