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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
秋――消えゆくメモリー
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☆226 最後の務め


 人事不省で意識のない白波さんを運んで移動した先にあった社は、比較的綺麗なものだった。ただ、気なしか主と同様に室内の存在感が薄く、儚い印象がある。

練炭で温められた室内に敷かれた布団に彼女を降ろし、私たちはその周りで集まる。自分のしてしまったことに気付いた鳥羽は、部屋の隅で体育座りをしていた。


「ねえ、先輩……」

 あることを察した私が東雲先輩の袖を引くと、指差した方を見た彼が眉を潜める。無言でうなだれている鳥羽の肉体が、おぼろげに透けてきていた。


「……このままでは、白波小春が死ぬのと同時にアイツまで消えてしまいそうですね。自業自得ですが、これは……」

 東雲先輩の厳しい視線の中に、少しだけ同情が混ざる。


 ようやく落ち着いてきた松葉が、ポツリと呟いた。

「感情から生まれたアヤカシは、心が死んだ時に滅びるんだ」

「それって……」

 鳥羽の心を占めていた白波さんへの思いの純粋さを初めて知った。それは前に言っていたように損とか得とか利害関係で構築されているものではなくて、だからこそ彼女が死んだその時には悲しみが劇薬と化すのだろう。

 そんなことになるのなら、死ぬほどに自分を責めてしまうくらいなら最初からこんなことをしなければよかったのに……あの天狗がどんな事情でこのような事件をしでかしたのかを私はまだ知らなかった。


 それに、強い憤りも感じる。

白波さんを形代などにしていた陰陽師への激しい怒りが私の身に襲い掛かっていた。誰がこのようなことをしたのか……それを突き詰めて考えていくと、容疑者は1人しかいない。

占術によって予めこの事件が起こることを知っていた、私が死にそうになることを分かっていた奈々子しかいないのだ。

元から好きだったわけではないけれど、彼女は自分が何をしでかしたか理解できているのだろうか。

人間の命をもてあそぶような行為をした奈々子のことを、私は許すことができな――っ


 そこまで考えたところで、思考が不意に停止する。冴え冴えとしていた脳内に靄がかかったような感覚がして、たった今、何を考えていたのか分からなくなった。

 ……あれ? 私はさっきまで何を考えていたんだっけ……。

何かによって唐突にキャンセルされた考えに、戸惑いを生じる。

ぼんやりと目の前の畳を眺めていると、眼前に薄いお茶の入った湯呑みが差し出された。驚きに視線を動かすと、行燈さんは微笑む。


「……どうも」

「いえ」

 警戒心というものはないのか、蛍御前は迷うことなくそれに口づけている。怯えながらも私が手を付けずにいると、東雲先輩が眉間を寄せて口を開いた。


「さて、では全てを説明してもらいましょうか」

「分かりました」

 あっさり返事をした行燈さんは、正座を崩さずに真剣な表情となる。部屋の隅に縛られて放置されている西洋鬼に視線をチラリとやると、空咳をした。


「この度は、息子の杉也が皆様に多大なご迷惑をお掛けしましたことを深く謝罪申し上げます。本当にすみませんでした」

 真摯に頭を下げられ、私はどうしたらいいのか分からなくなる。

アヤカシに育ての親というものがあるとは思ってなかったけれど、その眼差しはどこか鳥羽のふと見せる表情によく似ていた。


「どうしてこんなことを……」

「全ては、私の不徳の致すところでございます。八つ裂きにするなら、まず私からにしていただきたい。子の行った不始末は親の責任ですから」

「…………」

 湧き上がる怒りのやり場がなくなり、私は押し黙る。思った以上にまともな神経をしているこの存在感のない神に、何を言ったらいいのか困惑した。

 お茶を飲んでいた蛍御前が言う。


「一体どのような事情であったのか説明してもらえぬか? このままでは、関係者を弑せばいいのか判断がつかぬ。……もっとも、粗方の予想はつかぬことではないがの」

「それは……」

 困り顔になった行燈さんに代わって、部屋の奥で放置されていたウィリアムが口をきいた。ギラギラした殺意は、今はすっかり落ち着いている。


「行燈は、願成神なんだ」

 コイツは、自分に発言権があると思っているのか。

私が凄まじい殺意を込めて睨んだけれど、相手はそれに負ける様子がない。


「この山にある街道は、昔は塩などを運ぶ交易で栄えた土地だった。そこに集った道案内の神を望む信仰によって生まれたのが道祖神の行燈だ。……だけど、近年は車やカーナビなどの科学の発展で徐々に必要とされなくなって、今の行燈は消滅の寸前になっているんだ」

 行燈さんは、ため息をつく。深々と、すまなそうに。


「私はそれが時代の定めなら消えることも受け入れていたのですが……。杉也とウィリアムは、それを是としてくれなかったんです。遂には、私のために神名を奪ってくると言い残して行方不明になって……ようやく帰ってきたと思ったらこの女の子を浚ってきていました」

 疲れたようにそんな言葉を吐き出され、話を聞いていた私に戸惑いが浮かぶ。震えた声で、そっと訊ねた。


「でも、鳥羽はあなたのことは一度だって話してくれたことはなかったわ」

「君は、生来神が消滅するときに起こることは知っているだろう。忘れたのか? 八重」

 東雲先輩が額を押さえる。

最悪だ。静かにそう呟いたのが聞こえた。


「生来神が消えるときに起こること……?」

 記憶を探った私は、あ、と声を洩らす。

確か、生来神は神様の種類の中でも、消えるときに周囲から自分の記憶が消失してしまうタイプの神だったことに気が付いた。


「……この社を離れた鳥羽は、今まで行燈さんのことを忘れていた?」

「恐らくはそういうことだ」

 東雲先輩が頭の痛そうな表情になる。


「どういうきっかけで思い出したのかは知らないが、これだけ暴走したということはそれだけこの道祖神を大切に思っていたということだろう。

一時は白波小春の命を差し出してもいいと割り切っていたつもりだったのだろうが……心というものは、そう都合よく出来ているものではない」

「バカじゃないの、コイツ」

 松葉が唾を吐くように言った。


 それを聞いたウィリアムが、ノロノロと顔を上げる。

「……そう思うかい? じゃあ、お前は俺たちと同じ立場に立たされたらこんな結果にはならないと?」

「それは……」

 馬鹿にしていた松葉の目が揺らぐ。


「でも、馬鹿だよ。そうとしか言えないよ、だって……このままじゃあ共倒れじゃないか」

 共倒れ。本当にその通りだ。このままでは、行燈さんも白波さんも鳥羽もこの世からいなくなってしまう。

そのことに私が涙を堪えると、行燈さんは静かに西洋鬼に言った。


「……ウィリアム」

「なんだい」


「君は、人間は醜いといつも口にしていたけれど、それは今でも思うかい? この陰陽師の子を助ける為に命を投げ捨てようとしている彼女の姿を、愚かしいとまだ言えるのかな」

「……さあ?」

 顔をしかめたウィリアムに、行燈さんは淡々と喋った。


「私はね、君が人間に失望していると語る度に考えていたことがある。何度も麓に下りては人の街で道に迷っている君の姿に、感情のままに人を傷つけては悩んでいる君の顔色に、ずっと言いたくて仕方がなかった。

――君は、もしかしたら人間のことが好きなのではないだろうか」

「……は?」

 怪訝な顔をしたウィリアムに、行燈さんは微笑む。


「失望するということは、心のどこかで人間に期待をしているからそう思うんだ。君は愛されたいと思うから悲しくなるんだ。

私は、君は案外おぞましい怪物なんかではなくて、人を愛して生きることができるんじゃないかと期待しているんだよ」

「んな、こと……」

 できるわけがない。そう言いたそうに、けれど何も言えなくて。

 否定ばかりが泡のように浮かんで、弾けて。


けれど、それを聞いたウィリアムの表情は確かに変わっていた。人に触れたくて、触れられない。近づけば傷つけることしかできず、自分はそうとしか生きられないと思っていたのに。


「……俺が、人を愛すだって?」

 奇跡があるとしたら、もしかしたらこういうことをいうのではないだろうか。

 実は、行燈さんの言葉は案外的外れではないのかもしれない。

私たちは、この西洋鬼を仇のように思っているけれど、その心にももしかしたら愛を求める寂しさのようなものが存在しているのかもしれない。


「だからね、愛されたかったら、愛さないといけないよ。何かを壊して気を引くことができても、それは愛情には繋がらない。

君にずっと言いたかったことだけど、……言えなくて悪かった。私は、お前の道案内をしていることがずっと楽しかったから、少しでも長く続けたくて口を噤んでしまったんだ。

お前たちの中でも、私が一番業が深いね」

 フッと笑顔になった行燈さんは、ゆっくりと立ち上がる。


 蛍御前が素っ気なく言った。

「そろそろ行くつもりかえ」

「そうですね。いつまででも話していられそうですが、そろそろこれが潮時というものでしょう」

 何をするつもりなのか。

目を見開いた私たちに、行燈さんは告げた。


「では、私は最後のお努めをして参るとしましょう」

「え……」

 透き通った鳥羽の頭に手をおくと、行燈さんは囁く。


「生まれたばかりのお前を拾ってずっと教え導いているつもりだったけど、逆にこちらが道案内されていたような気もするね。お前と一緒に道を歩くのはいつも楽しくて、本当はもっと早く消えなければならなかったのにこんなに長く居座ってしまった。

かけがえのない日々をありがとう。杉也」

「……うるせえ」

 すすり泣くような、声がした。


 顔を伏せた天狗が返す。

「……ありがとう。父さん」

 驚いたように動きを止めた行燈さんが、にわかに嬉しそうな顔になった。鳥羽の頭を優しく撫ぜている道祖神の周りに光の粒が浮かぶ。


「お前の好きな子が現世に帰ってこれるように、三途の川へ最後の道案内に行ってくるよ」


 そして、行燈さんは私に会釈をした。

「この子のことを、どうかよろしくお願いします」


 返事をする間もなかった。その言葉を終わりに、行燈さんの身体が一気に発光して色が薄くなっていく。少しずつ消滅していくその姿と同時に、私たちのいる社までが消えていった。

座っている畳が冷たい地面になり、さえぎられていた風が吹く。

 消滅した建物。

消えてしまった行燈さん。

そのことに茫然となっていると、ふらりと座っていた鳥羽が線が切れたように崩れ落ちるのが見えた。




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