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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
秋――消えゆくメモリー
239/361

☆224 今まで、本当に幸せでした




 私と鳥羽との闘いは、剣術の斬り合いになった。互いにルール無用の乱取りだ。一瞬の判断ミスをしてしまえば、その時点でお陀仏である。


 東雲先輩はウィリアムと戦い、蛍御前は風を操り私たちを援護する。役立たずだったのは松葉だ。打ちどころが悪かったのか後方で頭をぶつけて脳震盪を起こしていた。


 己の本能に頼って、刀を握った。

打ち合い、斬りかかり、打ち落とす!

爆発しそうな霊力を刃に込めると、相手も同じように妖力で対抗してくる。

真言から成る衝撃波と風の異能のぶつかり合い。


甲高い音を立てながら、私と鳥羽の勝負は互角になった。


 ……なに? この違和感は……。


 だが、その途中で私は気が付く。

いくら人外に片足を突っ込みかかっているとはいえ、人間である私とせめぎ合いになる程度の異能しか相手が使ってこないというのは、少々おかしい。東雲先輩が苦戦するほどのアヤカシが、そんな出力でしか攻撃ができないわけがない。

妖狐を手こずらせるような戦闘ができるアヤカシが、どうして私と互角でしか戦えないのか?


 そのことを悟った時、蛍御前が叫んだ。

「八重! その天狗、お主を殺さないように手を抜いておるぞ!」


 弾かれたように、鳥羽の持っていた日本刀が地面に落下する。

彼の喉元に異装した武器を当てながら、私は厳しい眼差しで問い詰めた。


「……どういうことかしら?」

「…………」

 疲れた顔色で息を切らせた鳥羽は返事をしない。深々とため息をつくと、脱力しながら言った。


「殺すなら殺せよ」

「なんでアンタが私に手加減なんかするのよ! 八手先輩たちにはあんなに酷いことをしたのに!」

 視界の隅では、ウィリアムが負けて倒れた。東雲先輩も疲弊したように膝をつく。

 真っ赤になって怒鳴っても、鳥羽は視線を逸らせたままだ。


「白波さんの遺体はどこにやったの! 答えなさい!」

「それは……」

 何があっても自白する気がないらしい。私が彼の喉元に当てた刃物が一筋の赤い傷をつけたところで、どこからか静かな声が聞こえた。



「――そこまでにしておきなさい、杉也」


 視線を上げると、離れた場所から和服姿の存在感の薄い男性がこちらに歩いてくるところだった。白い髪は背中まで長く、あっさりした顔だちをしている。


「行燈……」

 鳥羽の口から、そう漏れる。

にこりと笑った男性がエスコートしていたのは、笠を被って顔を隠している女性だ。一体誰なのか訝しく思っていると、ぱさりとそれを外した彼女と目が合う。


「月之宮さん……」

 じわりと涙を浮かばせた白波さんが、そこに立っていた。

生きていた。そのことに、私の荒れ狂っていた霊力が穏やかに収束する。


「お前の気持ちは有難かったけどね、私には可愛らしいこの子を食べるなんて到底できないよ」

 行燈と呼ばれた男性が、説得するような口調で鳥羽を窘めた。


「なんで……」

「そんなことをしたら――」


 ――突然の出来事だった。

誰も予測しなかった不意打ち。

話し合いを聞いていた私の口から、血のようなものが吐き出された。


「え……っ」

 私の方を見た白波さんの表情が変わる。


地面に倒れていたはずのウィリアムが不意に起き上がり、私の背中に深々と何かを突き立てていた。

事態が呑みこめなくて、赤い液体が体内から漏れ出して、私は激痛にぐらりと崩れ落ちる。世界が眩み、鳥羽の悲鳴が聞こえた。


「月之宮っ!?」

 そのまま、意識が闇に侵される。




 ……なんて生臭いんだろう。

痛くて、居たくて、気が遠のいていく。

あ、これ、マジでやばい奴だ。

もうこの世に戻ってこれない系の深手だ。

こんな山に病院はない。救急車も来ない。医者もいない。

東雲先輩が、何度も私を呼んでいる声がする。プライドも何もかなぐり捨てて、むせび泣くように叫んでいる。

 泣かないで。

私はほんの少しだけ微笑む。


 泣かないで。

動かない指先。


 泣かないで。

冷たくなっていく身体。


 なか……、




 結果。

あーあ、東雲先輩に好きだという前に死んじゃったな。

真っ白な空。溢れんほどに咲き乱れる花畑に囲まれて、私はそんなことを思った。この場所は天に続いているのか、それとも臨死体験をしているのか。その辺りは分からないけど、温度のないここはすごく寂しかった。


 さて、どうしようか。

今世では前世のことを思い出すことができたけれど、次も同じように月之宮八重の思い出を引き継ぐことができるとは思えない。

焦るように短い生を終えた私に訪れた唐突な空白の世界。このまま川のせせらぎを渡ってしまうには、少しだけ切ない。

今の時間がどれくらい経過しているのか、それとも此処はそういったものとは断絶した場所なのか。

 誰もいないところで、いつの間にか私は涙を流していた。


 ごめんなさい。

ちゃんと生きることができなくて、ごめんなさい。

こんなに弱くて、ちっぽけだった私。

残してきたモノの大きさに泣くことしかできなかった折に、誰かの声が聞こえた。



「――月之宮さん、聞こえますか?」

 温かい春風のような、彼女の声がする。


目を見開くと、私だけであったはずの花畑に白波さんが微笑を浮かべて立っていた。カラメル色の髪、透き通るような白い肌、長いまつ毛。青くなった唇。


「どうして……」

 呆けた私の言葉に、彼女は瞳を潤ませて笑う。

 抱きしめられて。いつものような、優しさに包まれる。


「……私が月之宮さんを助けたいと思ったら、ここに来れたの」

「それはおかしいわ。刺されて死にかけたのは白波さんじゃないのよ。あの世は簡単に来れる場所じゃない」


 険しい表情にこちらがなると、白波さんは穏やかな口調で、

「ええと、そうじゃなくてね……死にそうな月之宮さんを助けたいと思ってあなたの肌に触れたら、この場所に来ることができたの」と言った。

 その言葉はどこか満足そうで、迷いなど一片の曇りも感じられなくて、だからこそどうしようもなく物悲しい。


「……私ね、何をすればいいのかすぐに分かった。頭の中に、知らない間に手順は全部入ってたみたい」

 白波さんの冷たくなった手が、私の手に触れる。それはまるで死人のような体温で、そのことに心の底からぞっとする。

いつの間にか、彼女の表情が見えなくなっていた。辺りの風景は私のことを拒絶するが如くに闇が深くなり、恐怖というものを覚えさせる。


「白波さん? 白波さん!」

「私ね、月之宮さんを助けたい。ここまで助けに来てくれたんだもん、今度は私があなたを助ける!」

 だから、行って。

そう言われて、私は振り返ろうとする。


「そんなこと言われたって……」

「後ろは見てはダメ」

 私の目が、白波さんの冷たい指で塞がれる。何が起ころうとしているのか、未知の恐れを感じている私に、彼女の迷いのない決心した声が掛けられる。


「ありがとう、月之宮さん。こんな私と、友達になってくれてありがとう! 今まで、私は本当に幸せでした!」

 遺言のように聞こえて、私は息を呑む。

そのセリフが終わると同時に、深い谷底みたいな空間の割れ目に背中から突き落とされた。深く、深く落下していく感覚。

白波さんの気配が置き去りになって。天地が逆さまになり、意識が浮上して……。


「やえ……八重!?」

 ようやく目を覚ました私の視界に飛び込んできたのは、蒼白になって覗き込む東雲先輩の顔だった。




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