☆221 肉体の一部
私は、感情的にならずに話すことができただろうか。
突然、天狗の態度がおかしくなったこと。
白波さんのことをあれだけ好きだったはずなのに、別れを切り出したこと。
学校から姿を消し、自宅には書置きが残されてあったこと。
その帰り道に、西洋鬼と一緒に暴虐の限りを尽くした末に車で白波さんを拉致したこと。
私からおおよその事情を聞いた蛍御前は、濡れた和服をドライヤーで乾かしながら片眉を動かした。
「なるほどのお……それは大変な目に遭ったものじゃの」
ふう、と息をついた神龍は、聡そうに金色の目を伏せながらこう言った。
「風遣いの天狗と電流遣いの西洋鬼か……。確かに陰陽師1人の手には余る相手じゃ」
「……勝てると思いますか」
私がすがるような眼差しで問いかけると、彼女はしばし考え込む。そして、隣にいる松葉に話しかけた。
「松葉。そなたはどう思う?」
「……ボクにそれを聞くの?」
嫌そうな顔をした松葉は、渋面で舌を出す。
自分の服にドライヤーを当てている蛍御前は今は下着姿の状態だ。
「例えば、妾たちの操る異能は水の形をとっておる。じゃが、それらは完全に物理学の法則にのっとっておるというわけではない。その本質はあくまでも妖力や神力が姿を変えたものじゃ」
薄く笑顔を浮かべた蛍御前は、続けて言った。
「よって、その西洋鬼が使っている電流は光の速さで攻撃できるわけではなかろう。それに、彼奴の戦い方から察するに雷のような大きな出力を出せるわけではなさそうじゃ」
「それって……」
「妾も参戦するならば、十分に勝算は見込めよう」
ニヤリと神龍が笑う。その不敵な態度がとても頼もしく見えて、私は何度も泣いたというのにじわりと涙腺が潤みそうになる。
「これ、泣くでない。……そんなことをしている時間もないのじゃろ?」
「うん……」
しおらしい私の様子に困り顔になった蛍御前は続けて言った。
「そなたは、未だに自分のことを人間だと思っておるか?」
「え……」
「もしもそう思っているのなら、その思い込みをいっそ辞めてみることじゃ。人外の血を引いている月之宮の姫なら、器だけの状態でも人間の域を脱することも不可能ではなかろう。恐れで自分で己の限界を小さくしてしまうことは芳しいことではない」
人間であることを辞めること……。
いきなりそれを求められて、戸惑いと恐怖を感じた。
緊張した私が黙り込んでしまうと、意味の分からないだろう松葉がふてくされる。
「そんなこと言ったってさ、アイツらの今の居場所は分かってないんだろ? いくらお偉い神龍サマがいたところで、どうやって倒しに行くつもりなのさ!」
もっともな主張だった。
その問題が残っていたことに気が付いた私がハッとすると、蛍御前は考え込んだ表情になる。
「そうさのう……せめて、探知に使えるような天狗か西洋鬼、もしくは白波の肉体の一部が残っておればよかったのじゃが……。こうなると、動物や虫の思念から地道に探すしかあるまい」
「そんなものが都合よく手元に残ってるわけないじゃん。白波小春の家で髪の毛でも拾ってこいって言うわけ?」
「それしかないかの」
蛍御前と松葉の会話を聞いていた私は、何かが頭に引っかかるような感覚がする。何だろう、この思い出せそうで思い出せない感じ……。
「ねえ、松葉。何かなかった?」
「え?」
「例えばオカルト研究会の部室とかに……」
そこまで喋ったところで、私と松葉は勢いよく顔を見合わせる。
稲妻のように思い出した――ある物品に、2人とも一斉に驚愕の声を上げた。
「「あーーーーっ!」」
同時に閃いたのは、陛下の大事にしていた額縁入りの黒い羽根だった。
生乾きになった和服に袖を通した蛍御前と一緒に、神剣野分を抱えた私と式の松葉は防寒着に荷造りをして授業中の学校にこっそり忍び込んだ。
この時間なら、よっぽどのことがない限り陛下も部室に近寄らないはずだ。さぼって中で寝ていたら気絶でもなんでもさせて意識不明になってもらうしかない。
「ふふん、ボクってば本当にナイスプレー! あの時は嫌がらせでやったことだけど何が幸いするか分からないものだねっ」
「……やっぱり嫌がらせだったのね」
額を押さえてため息。
「ボクを褒めてよ八重さま!」
くるんと深緑の瞳を動かしたカワウソの頭をおざなりに撫でる。高校に幼い子供が歩いているのは結構目立つもので、水色の髪をした蛍御前が見咎められないように移動するのには相当な神経を遣った。
「……ここかの」
オカルト研の部室にたどり着いた私たちは、鍵を使って恐る恐る中を覗き込む。都合のいいことに、誰もいないようだ。息を潜めて入室すると、テーブルの上に載っていた額縁に気が付いた。
「誰かが先に壁から下ろしたのかしら?」
「ホントだ」
まさか、東雲先輩もここに羽根を見に来たってこと?
居場所の分からない彼は、もしかしたら先にこの場所へたどり着いたのかもしれない。ぞわぞわと総毛だちそうな思いになりながら緊張して額を外すと、艶やかに冷えた一枚の黒い羽根が出てきた。
「ふむ」
慎重に触ると、つるつるした感触がして……神龍が指先で優しく撫でると、小さな白い光が浮かぶ。厳しい表情になっていた彼女は、しばらくして息をついた。
「ここから、およそ四十里くらいかの」
「分かったの!?」
松葉が驚きの声を上げると、蛍御前は頷く。「これぐらい神になったことがある者ならできるはずなのじゃが……」とチクリと嫌味を言われると顔を背けた。
「予想よりずっと遠いわ。県外に出ているじゃない」
額縁を元通りに飾りながらも私が顔を青ざめさせると、蛍御前は腕組みをする。金色の目を思慮深く閉じると、気軽に言われた。
「さて、では向かうとするかの」
「どこに……って、もしかして」
「……? 助けに行くのではなかったか?」
袴姿で颯爽と歩き出した蛍御前は、にわかに微笑した。
「ど、どうやって! 陸路で行くつもり!?」
食い下がった松葉に、彼女は呆れた口調になった。
「そなた、阿呆ではないか? 妾は龍じゃぞ? 急ぐ時にそのような移動の仕方をするはずなかろう」
天井を指さした神龍は、真珠のような歯を見せた。
「向かうのは空じゃ。
妾の二つ目の異能で、飛んでいくのじゃよ」




