☆203 白波さんの意志
白波さんの肉体から神の欠片を切り離す方法自体は、頭のどこかで念頭に置いていたことだった。私の推測が正しければ、それを実現する呪は現時点で一種類だけ思いつく。
……どうして私はこんなに不安に思っているのだろう。それを実行に移したいと積極的に思えないのだろう。
白波さんが普通の人間に戻って、私が神格を取り戻して人外になる。
そのことを素直に喜べない理由とは、何なのか――。
……ずっと迷っている。
言い訳ばかり考えている己を認めたくないだけ。
友達の命の安全を思うなら、私が人間のままでいたいとか、そんなことは許されてはならないはずなのに……。
「……あの、話があるっていうのは……」
何かを感じ取った白波さんが、オドオドと私たちに口を開いた。人目のない、学校の裏庭に彼女を呼び出したのは私と鳥羽だ。
「……お前に大事な話があるんだ」
厳しい顔をした鳥羽がそう言うと、白波さんは不思議そうな顔をする。
私もそれに頷くと、浅く呼吸をして語り始めた。
「白波さんは、自分の持っている神の欠片が化け物に狙われやすいものだということはちゃんと覚えているかしら?」
なるべく落ち着きを心掛けて尋ねると、白波さんはびくりとした。
呼吸を詰まらせて、彼女は不安げな顔をする。
「……はい」
私は息を吸い込んだ。
「あなたに危険が迫っているの」
「え……」
衝撃を受けた様子の白波さんが、身をこわばらせた。その顔色は青ざめており、怖がらせてしまったことに私の胸が痛む。
「日之宮から入った情報なのだけど、この県に連続殺人を犯したアヤカシが一体入り込んでいるわ。白波さんの匂いを嗅ぎつけられたら、襲われてしまうかもしれない。そのリスクが非常に高くなっているの」
私は、冷静にそれを伝えられただろうか。
動揺しているのはこちらも同じだけど、誰かを守る月之宮の者としてはその気持ちをおくびにも出してはいけないのだ。
正義を貫く立場の自分が恐れを表にしたならば、庇護される立場の人間はどうしたらいい?
「怖がらせるかと思って、今まで黙っていた。……すまない」
白波さんを気遣う言葉を出した鳥羽に、彼女は俯いてしまう。
「私は……、どうしたら……」
「それは白波さんに決めて貰いたいの」
結局、どれだけ考えても結論は同じことだった。
この子を守るために頑張りたい。そのシンプルな気持ちだけが逸ってしまうけれど、できることなら本人にどうしたいか決めて欲しい。
「私の親戚の日之宮の元へ身を隠すという手段もあるけれど……」
「それって、学校はどうなってしまうんですか?」
「雲隠れだから、身の回りのことは一切合財置いていくことになるわ。いつ危険が去るか分からないけれど、ご両親とも会えなくなる」
なるべく淡々と伝えると、彼女は「そんな……」と途方に暮れた声を洩らした。
「……今の学校は退学してもらうことになるかもしれないわね」
その瞬間、白波さんは絶望したような表情になった。いつもは澄んでいた瞳が濃霧の如く濁ったものになり、虚ろな吐息をする。
ぼんやりと眠そうなまどろんだ姿になった彼女は、
「それは……ダメです……」
と夢うつつに紡いだ。
「……おい? おい、大丈夫か白波!」
膝から崩れ落ちた白波さんに、鳥羽が慌てて助け起こそうとする。雰囲気が急に変わった白波さんの様子に私も何か異変を感じた。
「……わた……ワタシは、何があっても、この学校に通わなければナリマセン……」
半分眠っているような口調だった。
「……白波さん……?」
「何があっても、起こっても、ここにいなきゃイケナイんです……それが……約束、ダカラ……」
「それは、あなたの意志なの?」
「わた……しの……?」
そこまで喋ったところで、パチッと白波さんが目を覚ました。
「あれ? 鳥羽君、一体どうしたの?」
「どうしたも何も……」
「ごめんね、ちょっと急に眠くなっちゃったみたいで……あはは、なんでだろ」
儚く笑った白波さんの仕草に、鳥羽が脱力したような姿勢になる。
「お前……変な冗談はやめてくれよ。心臓に悪い」
「え、鳥羽君の心臓ってすごく丈夫そうなのに?」
その声に苛立った様子の鳥羽が白波さんのほっぺをぐいぐい引っ張った。
冗談……。
今のは、本当に只のジョークなの?
まるで、何者かによって『××××××に入っている時』のようだったけれど……。
そこまで考えたところで、プツリと意識が一瞬だけ途切れた。
頭の中がかき回されるような感覚。たった今、何を思考していたのかが分からなくなる。
…………あれ?
私は、何を考えていたんだっけ?
妙な胸騒ぎだけを感じたまま、恐る恐る白波さんに質問をする。
「白波さんは、日之宮に保護してもらいたくないのかしら?」
「……うん」
照れたように、彼女は頷いた。
「いくら危険でもお父さんとお母さんと離れるのは嫌かな。みんなとも離れ離れになっちゃうし……それにね、なんだかすごく不安なの」
白波さんは、地震の予兆を感じ取った猫のように悟った眼差しをしていた。
「私の大事な人と二度と会えなくなってしまいそうな……そんな、予感が……これって気のせいですか?」
「……気のせいにならないかもしれないわ」
恐らく、アヤカシに居場所が知れる度に住む場所を変えることになるだろう。外部との連絡は遮断され、彼女の自由は著しく制限される。
私がそう返すと、白波さんの大きな瞳に水が溜まっていく。
「ぐす。そんなの嫌です……せっかく友達になれたのに」
「私だって……」
ぐらりと心が揺れそうになる。
白波さんに会えなくなることを考えると寂しさがこみ上げてくるけれど、そんな我がままを言うわけにはいかないじゃないか。
私たちの迷いを察した鳥羽が安心させるように笑った。
「大丈夫だっつーの! この学校に通いながらでも、俺たちが白波のことを守ってやるよ!」
「鳥羽君……?」
「大事なのはお前がどうしたいかだって。下手すれば日之宮に預かってもらうよりも俺たちの方が戦力的には強いんだ。そんなに不安そうな顔をするなよ!」
緊張の糸が切れた白波さんの目からボロボロと涙が零れ落ちた。
ふえ……と泣き出した恋人を宥めようと鳥羽が優しくその水滴を拭う。
「私、みんなの傍にいたいよ……。文化祭にも出たいし、卒業したいよぉ……」
「……そう」
私は苦笑いをして頷いた。
「…………では、私も覚悟を決めることにするわ」
アヤカシと戦い、友達を守る覚悟を。
ぐすりと鼻を鳴らした白波さんが頷く。カラメル色の髪がそよ風でふわふわと浮かぶ。その背中に手を回した鳥羽に、私は言った。
「白波さんを守る役割を分担しましょう。日中と夜間に時間を分けて、5時間ごとに交代で警護にあたるというのはどうかしら?」
「異議はないな」
「シフトを決めて順番に……」
「ま、そういうことは月之宮が得意そうだから、任せるわ」
伸びをした鳥羽が、白波さんを先導するように歩き出す。
それに驚いた私が呼び止めようとすると、夕日に照らされた彼は朗らかに笑った。
「ちょっと、鳥羽!」
「これ以上白波を引き留めることなんてないだろ。俺はさっさとバンドの練習に戻るぜ」
なんて無責任な!




