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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
秋――消えゆくメモリー
203/361

☆191 すり替わったヒロイン



「じゃあ、演劇のキャストを決めていくぞ~」

 太陽が高く昇った正午。柳原先生が軽やかな声でそう言うと、大きな黒板に丁寧に役柄の名前を書いて並べていった。主役は、太田豊太郎。ヒロインはエリスだ。狙い目は豊太郎の親友の相沢謙吉だろうけれど、残念なことにこれは男子に割り当てられるだろう。

原作の舞姫はそこまで長い小説ではない。だけれど、観衆に分かりやすく演じて見せる為に、脚本を書き直した遠野さんは5,6の端役を捻出していた。これならばみすぼらしく映ることもないだろう。


「ふん」

「……」

 首筋にひっかき傷をつけた希未と、叩かれて頬を赤くした遠野さんは互いに険悪な関係のままだ。眠そうな鳥羽はうつらうつらし、白波さんは不安そうに顔を俯けている。


「じゃあ、紙に推薦したいクラスメイトの名前を記入して箱に入れていってくれ! それで決めれば公平でいいだろう?」

 何故かこれを聞いたクラスの注目は白波さんと私の方に集まった。

 ぼそぼそと囁かれる声がする。


「やっぱりここは月之宮さんでしょ……。このクラス一の巨乳だし」

「お前はどっちにヒロインやって欲しい?」

「バカだけど白波さんって可愛いしな……正直、決めかねる」


 誰よ、私にセクハラ発言をしたのは!

私は顔をしかめると、チラリとヤル気のない天狗の方を見る。演技力は見たことないけど……豊太郎ってエリートだし、このクラスの成績上位者の中では鳥羽くらいしか見た目のいい該当者っていないのよね。

でも、バンドの練習で忙しい鳥羽に主役を回したら、殺人的なスケジュールになってしまうのではないだろうか。それは流石に気の毒だ。えっと、他の人、他の人……。


 しばらく悩んだ私は、閃くものがあった。

そうだ。穴馬で柳原先生って書いておけばいいじゃん!

……で、エリスは遠野さんにしておいて……、と。よし、これでいいでしょ。


 ボールペンで書いた白い紙を畳んで、教卓の上の箱に入れる。何かいい仕事をした気分になった私が清々しい思いで席に戻ると、自然と鼻歌まで零れてしまった。


「不気味だぜ……月之宮の機嫌がいい」

 失礼なことをほざいた鳥羽を睨むと、彼は嫌そうな表情をしてこちらを見ていた。


「うるさいわね、一日一善よ」

「はあ?」

 伝わらなくても結構。

これでも、私はちゃんと気を遣ったんだから。


「白波ちゃん、白波ちゃん、誰に入れた?」

「えっと……月之宮さんを」


「そうだよね~、エリスはやっぱり八重だよね!」

「え?」

 目を瞬かせた白波さんが、おどおどし始める。それに違和感を持った希未が促すと、彼女はこう喋った。


「私、月之宮さんを……主役に入れたんですけど」

「はああ!? 八重に男装させようっての!? そんな発想……あ、ありかも……?」

「えへ、絶対似合うと思ったんです」


 気恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた白波さんに、私たちは言葉を失ってしまった。


 男装……まあ、してもいいけど……。

もしも白波さんがヒロインになったら、私、素面で口説けるかしら?


 遠野さんが納得した笑みを見せて、得意気に、

「……実は、この脚本では、キスシーンがあるの」と宣言した。


 教室がどよめきに包まれる。

な、なんてふら……大胆なことを……。



「……窮地を助けた豊太郎と、……惹かれあうエリスが窓辺でキスをする……男装した月之宮さんで想像したら、すごくいい……」


「遠野や、現実に戻って来なさい」

 恍惚としている遠野さんの肩を、複雑な顔をした柳原先生がポンと叩く。ハッと我に返った彼女は、気まずそうに目を逸らした。

しばらくの間、紙が全部開かれて帳簿に数がつけられる。


「で、では、集計結果を発表します」

 咳払いをしたクラス委員の女子が、白いチョークで黒板に選ばれた人の名前を書いていくことになった。


「まずは、主役の太田豊太郎役は、鳥羽杉也くん」

 きゃあああああああっ――と女子の甲高い悲鳴が上がり、鳥羽の口端が盛大に引きつった。顔に縦線が入り、ただひたすらに絶句している。

想定はできていたけれど、本気でこれは嫌がっている態度だ。


「次に、ヒロインのエリス役は……あれ? 柳原先生?」

 名前を挙げようとした女子の声を遮って、柳原先生が強引に引き継ぐ。


「ヒロインは、月之宮だ」

 閉口してしまった私だったが、クラスメイトから雄々しい歓声と一部の女子の嬉しそうなどよめきが両方発生した。

……あの、今、明らかに名前をすり替えましたよね? 先生?

こちらに必死で目配せをしてくる柳原先生の様子を見る限り、恐らく本来のヒロイン役は白波さんになっていたはずだ。

記憶力の覚束ない彼女がのっぴきならない事情で辞退したいと云っていたので、次点の私にお鉢がまわってきたのだ。


 悪役令嬢の私がヒロイン……。

微妙な心境でそれを噛みしめていると、希未がポツリと呟いた。


「あれ、主役とヒロインの間ってキスシーンがあるんじゃ……」


 一気に私と鳥羽の顔が青ざめた瞬間だった。

「私が鳥羽と……」

「俺が月之宮と……」


「「キスシーン!?」」


 最悪だ。

硬直して銅像になった私たちに、お調子者のクラスメイトがはやし立ててくる。それに鳥羽が怒鳴り返した。

「うっせえ、こっちの気もしらねえで! このせいで俺が東雲先輩に殺されたらどうしてくれるんだよ!」


 うん、そりゃ怖いよ。

なまじ天狗はイケメンだから動物園のラクダにキスをするよりはマシだけど、その後の余波が怖すぎる。

私までもが東雲先輩の怒りを想像してガタガタ震えていると、クラス委員の女子が続けて言った。


「エリスの母親は、遠野ちほさんです」

 クラスの空気が静まり返る。


「……なんで私に……?」

 困惑した遠野さんに、クラスメイトの一人が恐る恐る発言した。

その内容に、私は頭を抱えるしかなかった。


「だって、遠野さんって誰かを苛めることがすごく似合いそうっていうか……」

「…………」

 冷やかな眼差しになった遠野さんに、希未がゲラゲラと笑い出した。遠野さんの方を指差し、失礼なことを言っている。


「そりゃ、あんだけの衆前観視で八重を殴れば……ねえ?」

「ちなみに、相沢謙吉役は、栗村希未さんに決定しました!」


 勢いよくそう告げられた希未が押し黙った。

今度は遠野さんが失笑する。希未は無表情にそれを見ている。ただただ、無表情に目が死んでいる。


「なんで私が八重を苦境に貶めるような役を演じなきゃならないのさ!」

 最後のオチになった希未の嘆く声に、クラスの中がどっと賑やかに沸いた。

 やーい、と辺りからからかわれ、それにムキになっている。


 私がそっと白波さんを見ると、鳥羽の恋人である彼女は少し寂しそうに笑っていた。

どこか釈然としない想いの私は、日蔭を選んだ可憐な花である彼女への疑心がそっと生じたのである。




 ねえ、本当にこれで白波さんは良かったの……?






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