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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
秋――消えゆくメモリー
191/361

☆180 密会現場はセンセーショナル



 煤けた路地裏に、青臭い悩み。

学校が休みになった翌日に、私は弱腰の姿勢を解かないままに待ち合わせの場所まで自転車で向かった。

執拗に付いて行きたがった松葉を叱りつけて家に留守番を命じ、供を付けずに薄暗い雰囲気の店まで出向いた私は、その雰囲気に少し気後れのようなものを感じた。

 気のせいじゃなければ、目的地はいかがわしいホテル街の手前だ。腰に手を回したそういう目的が感じられるカップルと先ほどすれ違ったばかりである。

どうせなら、本音が許されればばっくれてしまいたい。


 口から出まかせで柳原先生に用事があると云い出してしまっただけで、実際には一緒に同じ時間で会わなきゃならない理由なんかどこにもないのだ。


 こんな時には、いい加減な態度で生きている自分の式妖がほんのちょっとだけ羨ましくなってくる。見習おうとは思えないけど、羨望のようなものを感じなくもない。

いつもだったらハッキリ断っていたのかもしれないけど、どうもアヤカシを相手にすると自分のいつものペースが狂ってしまう。それは昔だったら死の恐怖からだったかもしれないけど、今となっては別の感情によるものだということは明白だ。


陰陽師、月之宮八重は、嘘をつけないくらいにアヤカシのことが好きになっていたのだ。それはライクであり、とある彼にはラブとの境目だったりするわけなのだけど、平均して考えてみれば測定器の針は+の方にぎゅんと傾いた。


 爺様の教えを忘れたわけではないはずなのに、その生い立ちを知ってしまえば同情の念が湧いたのかもしれないし……、あのアヤカシ桜との出会いと別れが自分を根底から変えてしまったのかもしれない。

 思い出したら、泣けてくる。鼻の奥がツンとした。

世の中には、どうしようもないものというものが必ずしもあって、努力が報われないことなんていくらでもある。常に懸命であることが悪いとは云わないけど、それが賢明であるとは限らない。絶対にだ。


「それに……」

 ……認めたくない事実だけど、もしかしたらこの私だって『人間』という種族では無かったのかもしれない。

それに直視するのが怖くて、ずっと避けてきた。様子のおかしいのは東雲先輩だけでなくて、私だってそうだ。

動揺している彼と対峙してこの真実を思い知らされるのが恐ろしくて、やっぱり心のどこかでは人間のままでいたいと願っていて、人外と戦ってきた意味を見失ってしまうことに抗いたいと思っている。

 いつもと同じ日常に戻りたいと臆病に歯向かって、みんなにこのことがばれないように演じている。希未や白波さんなら知っても態度を変えないって分かってる。分かってるんだけど、考えただけでどうしても震えが堪えきれなくてヤバイ。


 もしかしたら、ゲームに登場していたキャラクターの月之宮八重は、大妖怪と戦うことに己の存在意義を見出していたのだろうか。アヤカシを殺しつづけることによって、そこから逃げないことで自分が『弱者としての人間』の救世主たらんと振舞っていたのだろうか。

 思えば、記憶を思い出してからの私は原作ストーリーの彼女の在り方を馬鹿なことだとどこかで蔑視していた。松葉と戦った時にはその考えを少し変えたけれど、心のどこかでは解せないものを抱いていた。


 けれど、原作に描かれていなかった事情が分かってみると、認識は全てが違って見える。アヤカシと戦うことでしかこの世に存在することが許されなかったのだとすれば、そんなの今まで心を殺してアヤカシ退治をしてきた私の立場と何一つ違うことなんてないじゃないか。


生まれて初めてゲームで設定された月之宮八重のキャラクター像が私自身と同一のものなのだと実感ができた。

 月之宮八重とは、人外を殺すことでしか人として生きられなかった哀れな存在だったことに気が付いた私は、自転車を押しながら深く嘆息をした。

本来在ったはずの彼女の呪いから、私はまだ抜け出せてはいないのかもしれない。




 メモにあった指定の喫茶店は、少し分かりにくい場所に立っていた。屋根には錆びた風見鶏が付いている。自転車を止めてドアを開けると、カランカラン、とベルが鳴った。

店内には煙草の匂いが充満していて、口から咳き込む。

中を見渡すと、二人掛けのテーブルに座っていた柳原先生の姿を見つける。灰色の髪に緑色のサングラスをかけた先生は、ゴシップ好きの主婦が好みそうな女性向け週刊誌を漁って熟読をしていた。

 何をしてるんだと呆れた私は、しばし困ってその場に佇んでいたが、こちらを見つけた喫茶店のマスターが無言で好きな席に座れと合図を寄越す。

このまま入口に留まって雪男が気付くまで待っていようかと思ったものの、店主からの圧力に負けて柳原先生の向かいの席に歩いて行く。

 ……本当に、私は一体何のためにここまで来たのだろう?

雪男に聞いても無駄だ。相手だって分かってここに居るとは思えない。

なるべく早く切り上げて帰ろう。こんなことしていても時間の損失だし。


「……ん? おお、月之宮か。そんなお綺麗な私服を着てるからどこの誰かと分からんかった」

 こちらに気付いた柳原先生は、開口一番に私の着ていたワンピースを褒めてきた。クラシックな小花柄のプリーツワンピースだが、クローゼットにあったものを適当に着てきただけだ。


「……それはどうもありがとうございます」

「これはマズいな。今更だがこんな可愛いカッコした月之宮と会ったなんて東雲さんに知れたら、オレは半殺しにされるかもしらん」

 深刻な顔になった柳原先生に、私は困った笑みを浮かべる。


「それはないですよ。あの頭のいい東雲先輩がそこまですると思いますか?」

 最近は口も利いてないし、この間は女の子と一緒に歩いてたし、たまたまちょっと好きになったのが私ってだけで今だにそうだとは限らないし……。

そう思った私がこう言うと、柳原先生は頭を振って即座に否定した。


「月之宮はまるで分かってない! お前さんが関わるとお狐さまは三割増しで狭量になるんだぞ!」

「だからそんなことありませんって」

 杞憂を口にする先生に私が微笑むと、唸り声が返ってくる。

「もうやだ、この子何も分かってない」と、柳原先生が弱弱しくもか細い声で呟いた。それに私は首を捻ると、うっとうしいくらいのため息を吐かれる。


「月之宮って実は馬鹿なの? テストができるだけで、実は白波より馬鹿なんじゃないの?」

「え、何でそんな話になるんですか」


「お前さんって東雲さんのダイヤモンド級の忍耐力が持たなくなったら、どんなことになるか分からないって理解できてないの? 本来アヤカシにあそこまで好かれたらすぐにでも連れ浚われてどこかに監禁されてもしょうがないんだぞ?」


 ……ゑ。

寝耳に水のことを言われた私が硬直すると、柳原先生はどんよりオーラでぴしゃりと雑誌を閉じた。

困ったものを見るような目をこちらに向け、取り出した煙草に火を付ける。やがて、薄暗い店内に香ばしい煙がゆらゆらと立ち上った。


「……そそ、そんなこと、あるわけが……」

「おお、月之宮がめっさ震えてやがる」

 小刻みに震えた私の身体はつま先から冷えていく。

理性的な東雲先輩がそんな蛮行に及ぶはずがない。……ないよね? そんなこと考えたとしても実行するわけないわよよよね?

肩をきゅっと上げて身震いしてしまった私に、やれやれと言わんばかりの柳原先生は勝手にこちらの分の蜂蜜牛乳ハニーミルクと植物性のホイップがたっぷり乗ったサンデーを注文してしまう。


 抗議をしたそうな目で睨み付けると、

「お子ちゃまな月之宮は甘いミルクでも飲んでな。奢ってやっから」とニタニタ笑われて不愉快な気持ちになった。

 届いたのは、天高く苺とアイスとホイップが積まれた大きなサンデーだった。たっぷり苺シロップがかけられている。

結局、この注文を無下にすることなんてできないので(だって、放っておいたら溶けてしまう)、ムッとしながらも安っぽい味のするアイスをつつきながら柳原先生と会話をすることになった。

 ……あ、このハニーミルク意外と美味しい。


「……それで、文化祭のことについて何か相談があるんだって?」

「……はい」

 あらかじめ言い訳はちゃんと考えてある。昨夜家でしっかり予行練習してきたし、何も問題ないはずだ。


「その、白波さんのことにゃんれすが……」

 ――噛んだ。

気まずい沈黙が私たちの間に流れる。一瞬思考停止になった私が、ギンと目を鋭くして言い直した。


「し、白波さんのことなんですが」

「ぶくくくくくく……っ」

 堪えきれずに雪男が噴き出した。

酷い。聞かなかったことにしてくれればいいのに、


「笑うことなんてないじゃないですか!」

 サンデーに勢いよくスプーンを突き立てた私が叫ぶと、笑い上戸に入った柳原先生が口元を押さえて腹を抱えた。


「ちょ……、たんま! 腹がよじれるっ」

「今のはちょっと噛んじゃっただけじゃないですか、そんなに笑うことなんて……っ」


「だって、いつも冷静沈着な月之宮が噛むなんて……っ」

 ――仕切り直しだ。

憮然とした私に、ようやく笑いの波が通り過ぎた柳原先生が真剣そうな顔を今更に作った。


「えっと、白波のことだって?」

「……ハイ」

 ごめんなさい、白波さん。言い訳に使ったりだなんてして。

心の中で謝りながら、ちょっとだけ気にかかっていた彼女のことを私は唇から話題に出した。


「白波さん、セリフが覚えられないから劇の演者になりたくないって云ってたんです」

「ああ……さもありなんだな」


「あんなに可愛いのに、役者になれないなんて勿体ないと正直思ってしまって……、きっとこのままだったら誰かから推薦されるはずなのに」

「うん、なるほど」

 そのうち、私の口調にも熱がこもっていく。

気付いていなかっただけで、本心から私はこのことが悔しいと思っていたらしい。


「これってどうにかならないんですか、先生!」

「どーにもならないんじゃないか?」


「……ちゃんと考えてものを云ってください」

 私がジト目になると、柳原先生が煙草を吸った息を吐き出す。口から白い煙をくゆらせながら、眉間にシワを寄せた。


「こういうものは個人の適正とかあるだろうしなあ……むしろ、オレとしてはヒロインの役は人気もある月之宮辺りが演じるのが順当だと思うんだがどうよ?」

「……私がヒロインに?」

 ドキッとした私が呆然と呟くと、柳原先生が頷く。

 そんなこと……おかしくない?

だって、私は悪役令嬢なのよ? そういう役目は本来白波さんのものじゃないの?


「セリフが覚えられれば白波でも悪くはないと思うがなあ……、いかんせん、そればっかりはどうしようもあるまい」

「そんな……」


「とりあえず、月之宮の願いは一意見として聞いてはおく。それとは別に、お前さん自身が演じることも考えておいてくれ」

「だって、そういうものは白波さんの方が相応しいじゃないですか……っ」


「いや、客観的に見れば月之宮だって普通に可愛いぞ? それとも、白波にこだわらなくちゃならない意味でも何かあるのか?」

「それは……、云えません」

 私が口をつぐむと、柳原先生は不思議そうに目を瞬かせる。

悪役令嬢を辞めたいと思ったことなら何度もある。けれど、白波さんからヒロインの座を奪いたいと思ったことなんて……、

 ……本当にないの?

私は背筋が寒くなった。


 ――白波さんさえいなければ、自分がヒロインになれたかもしれないって考えたことは一度もないの?


 本当に? ねえ……。

遠野さんのようにヒロインに成り替わりたいと願ったなら、今はチャンスなんじゃないの?

ゲーム本編も終わった今なら、それだってできるんじゃないの?


「……おい、月之宮? どうした?」

 凍ったように固まっていた私に、訝しげな柳原先生が声を掛ける。我に返った私が身じろぎすると、相手はため息をついた。


「なんでもありませ……」

「そういえば、月之宮。お前さんこそ最近、なんか様子がおかしくないか? 東雲さんともてんで話していないようだし……」

「なっ、何のことですか!」

 私が動揺を顔に出さないように叫ぶと、柳原先生がふーん、と口端をつり上げて笑った。


「もしかして、アイツを意識しちゃったりしてる?」

「……ぐ、」

 羞恥に顔から火の出る思いになった。

これまで背けていたものを提示され、私は途端に呼吸困難になる。


「……せ、先生だってどうなんですか! とお……」

「シーッ! シーッ! その名前だけは外で出してくれるな! 捕まっちゃうからっ!」

 私の口を慌てて塞いだ柳原先生は、それまで持っていた余裕のスタンスをかなぐり捨てた。その必死の形相に、彼の胸中の変化が感じられて私は驚く。


「もしかして、先生って……」

「あー、もう! 生徒は余計なことを勘ぐらなくてよろしい! オレが誰のことを好きだとか、嫌いだとかそんなことはお前さんには関係なかろう!」


「え。いつからなんですか?」

「そんなの知るか! 黙ってくれないと、もう一つサンデーを追加注文してやるぞ! すごく怖いだろう!」

「そうですね。体脂肪につきそうで怖いです」


 ふふ、と私が笑みを洩らす。

バツの悪そうな先生は、「脅しじゃないぞ! 本当に注文してやるぞ!」と未だにそんなことを言っている。

 わあ、これって聞きたい。根掘り葉掘り、辺りに灰をばらまきながら先生のラブトークに花を咲かせてみたい。

でもそれをしてしまうと柳原先生の教員免許に関わるので、ぐっと堪えることになった。

 この時点では、私は完全に油断していた。

先生と遠野さんのカップリングで脳内は完全に固定していた為、雪男と私がこうやって2人で喫茶店で会っている光景が他者にはどう映るのかをまるで考えていなかったのだ。




「――ねえ、あそこにいるのってもしかして……」

 私立慶水高校に在籍しているごく一般的な女生徒は、同じ学校に通っている友達の耳元に囁いた。

ひそやかに指差しているのは、灰色の髪をした男性と高校生くらいの女子が路地裏を一緒に歩いている姿である。


「やだ、あれってヤナ先じゃん。……え、もしかしてあれって私服だけど二年の次席の月之宮さんじゃないの?」

「この辺ってラブホとかあるのにマジヤバイよね……」


 一般的な女生徒である彼女達は、目で見た光景にショックを感じながらも怒りと軽蔑を覚える。自然と指は持っていたスマホを動かしていた。

 パシャッ

 そんな音がして、教員のアヤカシ、柳原政雪と陰陽師の女子高生である月之宮八重の密会現場は大いなる誤解を招いて一枚の写真へとおさまったのである。




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