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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
秋――消えゆくメモリー
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☆175 梅干し入り番茶とアドレス帳



 時刻は20時を超えた頃。

電車を使って自宅へと帰ると、私の姿を見つけた月之宮邸の使用人たちが大慌てで駆け寄って来た。


「お嬢様、無事にお戻りになられてよろしゅうございました……」

「ごめんなさい、心配かけたわね」

 執事長がほろりと涙を拭う真似をする。


「黒魔術のサバトに出席なされたとのことでしたが、秘密裏に魔術教団からのお客様が来日でもされていたのでしょうか? こちらにそのような情報は入って来てはおりませんが……」

「……そのことは気にしないで。私はただの友人と美味しいラーメンを食べに行っただけだから」


「なるほど、教団のご友人と会食を……流石お嬢様でございます!」

 夕霧君が下手にサバトだなんて表現を使ったものだから、我が家に勘違いの嵐が吹き荒れている。……かといって、本当のことを喋るわけにもいかない私は、あえて濁した返答をすることにした。

私の居場所はどうせGPSから割れていただろうし、この市内から外に出ていないことぐらい知れていたはずだ。


「八重さま!」

 我が家の敷地を素早く駆け抜けた松葉が、大きく眼を見開いて叫んだ。くつろいでいた訳ではなさそうで、まだ制服のスラックスにワイシャツを着たままだった。


「……松葉」

 門の前に立っている私に抱き付くと、彼は悲壮感溢れる声で、


「一体、ボクにも連絡を寄越さないでどこに行ってたの! まさか陛下と男女交際でもするつもりになったとかじゃないよね!? しかもこんな時間にまで帰って来ないし……っ」と戦慄いた。

 小柄な松葉の細い腕の中で、私は浅くため息をつく。とりあえず、今の誤解は解かねばなるまい。変な噂で夕霧君にこれ以上迷惑をかけるわけにいかないからだ。


「……ちょっと文化祭について話し合っていただけよ」

「そんなことで夜の八時までかかったの!?」


「食事も一緒に済ませればそれぐらいの時間になるわよ……。松葉、苦しいからそろそろ離してくれない?」

「……やだ」

 どうやら私と陛下が男女の仲になっていないことを察した松葉は、嬉しそうに私をかき抱いた。腕の締め付けはより一層強くなり、密着度が増す。


「ちょっと、松葉?」

「八重さまが可愛いから、手放したくありません」


 その言葉に、私は目をパチパチさせる。……こんな長身の『男みたいな女』のことを可愛いと言い切れる松葉はやっぱり頭のどこかがおかしくないだろうか。

このカワウソは出会った当初から半ば狂っていたようなアヤカシだし、今でも感性のネジが緩んでいるのかもしれない。

ふと気づくと、松葉が切なさを含んだもの欲しそうな顔でこちらを見ていた。渇望感を隠せぬ瞳の色は濃さを増し、静かに視線を合わせてくる。


 そこに、第三者の男性からの咳払いが響いた。


「……ゴホン、従者の身でお嬢様に何をしているんですか、松葉君」

「……チッ」

 いいところを邪魔された松葉は、舌打ちをして渋々腕の中の主から距離をとる。強張っていた八重は、やって来た山崎を見て罪悪感の見える笑顔を浮かべた。


「山崎、今日はいきなりのことで悪かったわ。慌てさせたみたいでごめんなさい」

「いただいた電話には、本当にどうなることかと思いましたよ。お嬢様……。

あの夕霧君というお友達も自分の言いたいことしか喋ってくれないものですから、こちらとしても非常に対処に困りました。……もしも誘拐だったら、とね。あと30分帰ってくるのが遅かったら警察に連絡するところですよ」


「まあ、ギリギリのところだったのね」

 私が首を竦めてみせると、山崎さんは疲れた顔をした。




 持っていた合鍵で玄関から家の中に入ると、やけに静けさが浮き上がった空間があった。ついつい水色の髪をした子どもが大きな足音を立てて歩き回っているところを想像してしまい、それが裏切られたことに淋しさを感じてしまうのだ。

もうこの家に蛍御前はいない。


「ただいま帰りましたー……」

 小声でそう言いながら身をかがめて居間に入ると、そこにはテレビを見ながら1人でお茶を飲んでいる着物姿の母がいた。


「まあ、お帰りなさい。八重ちゃん」

 にこやかに挨拶を返され、私がホッと息をつこうとしたところで――、


「――こんな時間に帰るなんて珍しいこと。お友達との火遊びは楽しかった?」

「はい!?」

 云われた言葉に私と松葉が仰天すると、その反応を見て母が小さく笑みを洩らす。


「あ、一文字間違えちゃった。火遊びじゃなくて、夜遊びって言いたかったの」

「ひどい違いだ!」

 松葉が叫ぶと、悪気のない母は椅子から立ち上がる。困ったように笑いながら、人数分の湯呑を戸棚から取り出してお茶を注いだ。


「せっかくだから番茶をどうぞ。お家で漬けた梅干しも入れる?」

 いらない、と首を振ると、そう、と母は微笑んだ。

そう答えたはずなのに、差し出された湯呑の番茶の中には、何故か大きな梅干しが1つ沈んでいた。


「…………むう……」

「梅干しは身体にいいのよ」

 釈然としない。

これが、選択肢のない強制イベントというものか。善意なのか意地悪なのか、悩みながらも私は酸味のある番茶を一口飲んだ。


「……お父さんは?」

「旦那様なら、今日も仕事でいないわ。帰りは12時過ぎになるって聞いたけれど……」

どうしたの? と母が不思議そうに訊ねてくる。


「なんでもない」


 叱られたかった訳ではない。

心配して欲しかったってほどでもない。

……ただ、ほんの少しだけ寂しくなっただけ。心が鈍く痛んだ、だけ。

梅干し入りの番茶を勢いよく飲み干すと、俯いて私は湯呑をテーブルにコトリと置く。そうして、踵を返すと走って階段を駆け上がって自分の部屋に飛び込んだ。


「八重さま!」

 松葉の声が後ろから聞こえた。無視をした。

ベッドに胎児のように寝転がって、スマホを眺める。息苦しさを感じながら東雲先輩の名前をアドレス帳から探し出す。

ぽっかり空いた心の隙間に痛みを覚えながら、しばらくの間、じっとそれを眺めていた。

結局、一晩が過ぎてもこのスマホが彼に繋がることはなかったけれど、傷心の私にとってはそれだけで良かったのだ。




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