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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
秋――消えゆくメモリー
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☆169 アイアンクローにチョークスリーパー


 廊下をずんずん歩いて行く鳥羽は、不愉快そうに吐き捨てた。

「くそ! あいつら好き勝手いいやがって!」


 困り顔の白波さんが、その後ろ姿を小走りに追いかけながら口を開く。

 カラメル色の髪が細い背中に踊っていた。


「待ってよ、鳥羽君!」

「おちょくるだけおちょくりやがって、俺のことを一体何だと思ってるんだ! オタクってのは変な奴しかいないのか!」


 ぐいっと伸びをした希未が、怒り心頭の鳥羽に向かって言う。

「ああいうのは、キモオタっていうんだよ。普通のオタクと一緒くたにしちゃったら他の人が可哀そうなんじゃないかな……。

それに、鳥羽のゲーム好きだって考えてみればオタクの仲間にならなくもないよ?」


 その発言を耳にした鳥羽は、ピタッと歩行を静止した。立ち止まった廊下の真ん中で、顔が次第に怖くなっていく。


「俺とあのキモオタが仲間だってのか……っ?」

「発想の如何ではね」


「…………そうか」

 よっぽど耐えられないことを言われたらしい。

希未の頭を大きな手で掴んだ鳥羽が、無表情でメリメリとアイアンクローをかけた。驚いた白波さんが、私の隣に避難してくる。


「言えるもんならもっと言ってみろテメエ」

「いだだだだだ、歪む! ヤメテ、私の顔が歪んじゃう!」

 悲鳴を上げた希未に衆目が集まるが、天狗の怖さに誰も彼女を救助しようとはしなかった。たっぷり3分間ほど苦痛を与えた後に、ようやく鳥羽は指を外す。

涙目になった希未が鼻をすするので、それを私が慰めようとした時のことだった。


「……鳥羽だけじゃなくて、ネット小説を買い漁っている八重だってオタクみたいなもんだってフォローしようと思ったのに……」

 こんな声が希未の喉から聞こえてきて、私は自分の寛容な心にピキリとヒビが入った音を感知した。


「ぐ、ぐええっ」

 今度は、私が笑顔で緩めのチョークスリーパーを希未にかけることになった。

いくら事実といえど、言っていいタイミングと悪いことがある。毎月30冊前後しか書籍化されたネット小説の新刊を買っていないのだから、私はまだ一般人から足を踏み外していないのだ!

 ……多分!


 鍛えている私の技で希未が死んではいけないので、プロレス技の力加減は保育園児を扱うようなものに抑えてある。

やがて、解放された希未はぜえぜえ息をしながら、青い顔色で呟いた。


「……し、死ぬかと思った……」


 ……やだなぁ、本気で技をかけたらこんなものじゃ済みませんよ?

私が善良そうな笑顔を作ると、寒気でも感じたのか希未が身を震わせる。心外なことに怯えた目つきまでされた。


「ダメだよ2人とも。栗村さんは普通の女の子なんだから」

 白波さんが咎めるようにこちらを向いた。その焦げ茶の瞳はじっと据えられている。

 目と目を交差させた私と鳥羽は、どちらも微妙な顔になった。


「それに、鳥羽君はもうお礼のお菓子を食べちゃったんでしょ? それなら引き受けなきゃいけないじゃない」

 白波さんの言葉に、鳥羽はバツが悪い思いになったらしい。

「そりゃそうだけど……」


 心理的な抵抗が先立って、気持ちが整理できないのが手に取るようによく分かる。義理は通されていても、いざオタクバンドのボーカルを張り切ってやれるかというと、それはまた別問題になってしまうのだ。


「たかがサブレなんだし、食い逃げしちゃえば?」

 希未が思い切ったことを提案してくる。それに鳥羽は複雑そうな表情を返した。


「いや、栗村。サブレってわりと菓子にしては高い分類だぞ」

「でも、大判小判が忍ばせてあったわけじゃないんでしょ? それならまだ引き返せない?」

「……お前にしては、いいこというじゃねえか」

 苦笑いをした鳥羽は、希未の肩をバシンと叩く。その言葉を聞いた白波さんが、驚いて叫んだ。


「ええっ! 鳥羽君ったら、逃げちゃうの!?」

「さあて……」

 わざと曖昧な返事をした彼に、白波さんが拳を握りしめて力説する。


「一度した約束は守らなきゃダメだよ! ここで逃げたら人としてどうかと思う!」

 それを聞いた鳥羽が、うっと息を呑む。


「……それは、道に反することだって言いてえのか?」

「うん!」

 困り切った天狗の嘆息が、廊下に響いた。




 軽音部の男子にまとわりつかれた鳥羽の迷惑そうな顔は、赤の他人にとったら見ものな騒ぎだったろう。翌日も翌々日も、授業が終わったのと同時に、軽音の3人組が目を光らせて教室に飛び込んで来るようになった。


「鳥羽君はいないか!」

「……いません」

 さっとルパン三世のごとく身を隠した鳥羽を思い返してから、私は笑顔を取り繕ってこう返した。


「本当にここにはいないのか?」

「さっきアチラの方向に走っていきました」


「チッ、化学の講義が5分長引いたせいで時間を無駄にしたか! 情報ありがとう、感謝する!」

 片手を挙げてこんなことを言った軽音部は、いかり肩で人ごみをかき分けて廊下を走っていなくなった。その後ろ姿を見送っていると、隣のクラスから教科書を持って出てきた男子と偶然に目が合った。


「……わわ、月之宮さん。そこで何をやっているんですか?」

「……辻本君」

 硬い表情を解いてにこりとすると、相手の頬が赤く熟れたトマトのようになる。手にもっていたはずの筆箱がぼーっとしている彼の手元から滑り落ち、カシャンと音を立てて落下した。


「落としたわよ?」

 筆箱の中身のペンが散らばってしまったので、それを拾い集めるのを手伝うと、彼はもごもごと口ごもりながらも礼を返してくれた。


「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして」

 優しげに微笑むと、辻本君は照れた感じで笑った。


「そそ、それで、月之宮さんはここで一体何をしていたんですか?」

 廊下に面した教室の入り口に立っている私は、辻本君に曖昧な表情で説明をする。


「それが、軽音部のオタクさんと鳥羽との間にちょっとすれ違いがあってね? 毎日彼らに追いかけ回されているみたいなの」

「軽音部と?」

 詳しく言おうにも、どう説明すればいいのやら。


「辻本君はあの人たちと知り合いなの?」

「まあ、同じクラスにも何人かいますから。……でも、軽音の一部は確かにオタクですが、そこまで悪い人間じゃないはずなんですけど……」

視野が狭いことは否定しませんが。と、戸惑いながらも辻本君は困り顔になった。それにどう答えたらいいものかと考えあぐねていると、当事者である鳥羽が教室の中から顔を出した。


「いい人間とか悪い人間とか、そういう問題じゃねーよ」

 げんなりとしながら、鳥羽が半目で呟く。


「鳥羽!」

「軽音への応対サンキューな。月之宮。流石にもういないよな?」

 外敵を探すプレーリードッグのようにキョロキョロ辺りを見渡している鳥羽に、私は呆れながらもこう訊ねた。


「……それで、今日は一体どこへ隠れていたの?」

「ベランダの影だ。

いざとなったら、他の教室に裏から逃げ込むつもりだった」

 欠伸を噛み殺した鳥羽のセリフに、辻本君はこの追いかけっこに何を思ったのか口を開いた。


「彼らと何があったんですか?」

「バンドのボーカルを頼まれたんだけど、まさか実体がオタクバンドだと思わなかったんだ。こうなったら向こうが諦めるまで根競べの最中だ」


「……あの、オタクってのは執念が強いんですよ? その作戦は上手くいくんですか?」

「じゃあ、俺にどうしろっていうんだ」

 そんなことを言ってくる辻本君に、気が滅入りそうな鳥羽はヤンキー座りをしながら低い声を出した。


「諦めるしかないです。あれでも話してみれば愉快な奴等ですから。あの夕霧君と同じ部活でやっていかれているんですからどうにかなりますって」

「辻本、魔王を変人の代名詞みたいに使うなよ」

 辻本君に鳥羽が突っ込む。

 あのオカルト好きな部分に着目すれば無理もない話ではあるが。

考えてみれば夕霧君と最初に出会った時も結構衝撃的な思いをしたような気がする。オタクといえば、陛下だってオカルトオタクだ。


「……オタク繋がりで夕霧に相談してみるか」

 思案しながらも、鳥羽が精神的に弱った声で呟いた。

 万策尽きているのなら、それが一番無難かもね。




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