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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
秋――消えゆくメモリー
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☆166 スケッチブックは記憶している



 美術の時間、校内の風景を写生することになった。スケッチブックを持ちながら友人とポイントを探しまわった結果、中庭の花壇を描くことにする。

4Bと2Bの鉛筆や消しゴムを使いながらスケッチをしていると、視界の端で鳥羽がさらさらと上手に描き込んでいる姿が映った。

その切れ長の目は真剣そのもので、その伏せられた長い睫毛に私の胸は切なく痛んだ。遠くを眺める彼の様子に見惚れていると、希未がポツリと呟いた。


「……あ、東雲先輩だ」

 その言葉に動揺して視線を動かすと、中庭の渡り廊下を青いファイルを持って横切っていく生徒会長の存在に気が付いた。

こちらから視線を逸らした白金髪の青年は、生徒会役員の女子と話しながら通り過ぎていく。何事もなかったみたいな表情をしているけれど、少しだけ目元が険しくなっていることに私は気付いてしまった。


「どうしたんだろ? 月之宮さんがいるのに話しかけないなんて……」

 白波さんが不思議そうに言う。


「……珍しいね」

 希未も無表情で言った。


……まさか、今の私が、鳥羽のことを見ていた場面を先輩に目撃されてしまったのだろうか。

そのことに気付くと心臓が、罪悪感で締め付けられたみたいに苦しくなった。


 そんなつもりは無かった。

東雲先輩と鳥羽のことを比べるつもりなんて……。

どちらも私にとってはかけがえのない存在で、両者を引き比べようとしたことなんて一度もない。

……そうは分かっていても、かなり気まずい。


「そういうことも、たまにはあるでしょう」

 私が誤魔化すように笑うと、「そう?」と白波さんが困りながらも笑みを見せる。


「でも、気になったりしないの? 一緒に話していた女子のこととかさ……」

 希未に突っ込んだことを訊ねられ、私は平気なところを見せる為にスケッチに没頭しているフリをした。


「……だって、私と先輩は付き合ってるわけではないもの。誰と話してようと、それは東雲先輩の自由だわ」

 そんな言い訳を口にしてから、少し後悔をした。強がりでしかない言葉を自分で吐いて、それに落ち込んでいたら世話がない。


「八重! 消しゴムがちぎれてる、ちぎれてるって!」

 いつの間にか握りしめていた私の消しゴムが、四肢切断の憂き目に遭って青息吐息になっていた。無自覚に爪を立ててギリギリ力を込めていたらしい。


「……あら、」

 私がつい馬鹿力で八つ当たりをしてしまった消しゴムを隠して仄かな笑みを浮かべると、みんなの顔色はどこか青色に近くなった。

鳥羽の方を見ると、彼はさっと視線を逸らす。

「みんなどうしたの? そんな顔をして……」

「……ナンデモアリマセン」


 遠野さんが私に向かって、おっかなびっくり囁いてくる。

「月之宮さん、顔が、怖いよ……」

その声を掛けられた私がにっこりと笑顔を作ると、文学少女は余計に怯えた表情になった。

どうしたんだろう。そんなに小刻みに震えて。


「つつつ、月之宮さん! 絵は、どこまで描けましたか!?」

 白波さんの言葉に、私は自分の持っていたスケッチブックを表にする。みんなに見えるようにすると、微妙な沈黙が辺りに流れる。


「が、画伯だね! この沢山あるナルトとかすごくよく描けてると思うよ!」

「……それは花よ」


「こ、この食パンとかも!」

「……それは窓よ」


「じゃあ、この2つのドーナツは……」

「そこを飛んでいる蝶々になるはずだったんだけど、見て分からない?」


 鳥羽と希未はこのやり取りを聞いてぶっと噴きだした。


 ……この絵、そんなに変かしら。

自分史上ではむしろ上手く描けた方だと思うんだけど。

やっぱり、鉛筆の削り加減が悪いんだわ。もうちょっとこだわって削らないからこうなるのよ。

真面目に反省した私は、じろりと爆笑している2人を睨み付ける。


「人の絵を見て笑うことないじゃない。失礼だと思わないの?」

「お前の作品は絵画じゃねえよ。どんぶりに入ったミミズのナポリタンスパゲッティだっつーの」


「な……っ」


 むっ なんて失礼な奴!

腹が立った私は、鳥羽の持っていたスケッチブックを取り上げた。そんなこと言うんだったら、どんな凄い作品を描いたっていうのよ!


「あっ」

 予想外のことに鳥羽が声を洩らす。取り返そうとしてくる腕をかわして勝手にスケッチブックを見始めた私は、不満に唇を尖らせる。


「何よ、普通の絵じゃない。なんでこんなに早く綺麗に描けるのよ……」

 鉛筆で描かれた美麗な風景デッサンにつまらない心境になっていると、予兆もなく中庭に突風が吹いた。

怯んで目を閉じると、パラパラと手にもっていたスケッチブックのページが捲れていく。目を開いた私の視界に飛び込んできたのは、随分前の課題で描かれた綺麗な人物画だった。


「…………!」

 私が息を呑むと、真っ赤になった鳥羽がスケッチブックを怒鳴りながらとり返す。


「……見るなって言ってんだろ!」

「えー、私も見たかったー」

 希未が退屈そうな顔になる。遠野さんは喧嘩を察知して遠くに逃げた。


「うるせえ! マイマイガは黙って手を動かしてろ!」

「そんなに隠そうとするだなんて気になるなー。まさかヌードでも落書きしてあったとか? にしし」


「誰がんなもん描くか!」

 からかう希未に、鳥羽が怒鳴り散らす。

いつも通りの光景に半笑いを返しながら、私はぼうっと先ほど見てしまった一枚の絵を思い返して胸がざわめいた。


 そこにあったのは、

例えば、誰よりも繊細で長い睫毛。

 そこにあったのは、

例えば、照れたような少女の笑み。

 そこにあったのは、

例えば、せせらぎのように流れる髪の毛。

 そこにあったのは、

例えば、彼女から零れる優しさを忍ばせた輝く瞳。


そのページに描かれていたモノクロの白波さんの姿は、ため息をつきたくなるくらいに美しかったから――これを一生懸命に描いた鳥羽が、どれだけ強くあの子に片想いをしているのかを知ってしまったから。

今まで見ないようにしていた自分の壊れた片思いを認識してしまった私は、呼吸を忘れてしまうほどに辛くなった。


――私は、この先どんなに頑張ったところで――。彼にとっての白波さんにはなれないことに気付いてしまった。



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