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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
秋――消えゆくメモリー
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☆162 知らなかった事実


 そもそも、私が昔のことを思い出せなくなったのはいつのことなのだろう。

恐ろしいのは、これまでの日常生活で違和感をまるで覚えなかったことだ。普通、記憶が欠損しようものならどこかで支障をきたしそうなものなのに、私の自覚はなかった。

誰かによって私の頭を綺麗に改変されているのか、それとも、乙女ゲームにおける月之宮八重の役割にそぐわない部分がシステム的に消去されてしまったのか。


 ……でも、東雲先輩は人の記憶を操作できるような魔術はこの世界には存在しないと明言していたのだ。前者だとしたら、そこで論理の破綻が生じてしまう。

ちょっと待って。そういえば。

そこで考え事をしていた私は、思い立って充電のなくなりそうなスマホで調べものをした。


「宝石って、確か……」

 それぞれに固有の言葉があったはずだ。

モーニングジュエリーとしての意味以外にも何かあったのではないかと、ジェットについて検索をしてみるとそれはアッサリ判明した。

 宝石言葉は――【忘却】。


「え……?」

 心臓がギュッと掴まれたように竦む。

……こんなことってあるのだろうか。


「これってもしかして……」

考えられる可能性は、1つしかない。

どうして、それを奈々子に伝える必要があったのだろうか。限定的すぎる単語だ。


 まさか。

母は高校に入ってからの私の異変をずっと気付いていたのだろうか?

実の親だ。あり得ないかあり得るかでいえば、充分あり得る。

それを奈々子に知らせる為に、あえてジェットを誕生日プレゼントに選んだのだろうか?


 何が起こっている?

私の身に、何が起こっていたの?

疑問ばかりが頭に浮かび、それを単なる偶然だと打ち消すには躊躇われ、私が病室で呆然としていると。

そこに何も知らない松葉がひょっこり顔を出した。


「八重さま~、これ、頼まれたものなんだけど。普通のプリンは売り切れだったから、牛乳プリンを買ってきたんだ。雑誌はジャ○プしか売店になくってさー」

 消化に良さそうなものを買ってきた式妖は、私の白くなった顔色に気付いてキョトンとする。手に持っていたビニール袋を棚に置き、不思議そうに覗き込んできた。


「……どうしたの? また、胃でも痛くなった?」

「……なんでもない、わ」

 暗い心境でそう返すと、松葉は困り顔になる。


「あんまり1人で我慢しない方がいいと思うよ?」

「……ねえ、松葉」

 私は、ボソボソと彼に訊ねる。


「今の学校に入学する前の記憶って、松葉にはちゃんと残ってる?」

「なんでそんなことを聞くわけ?」


「嫌なこととか、悲しいこととか、嬉しいこと。そういった気持ちや思い出を、あなたは全部思いだせる?」

「うん」

 拍子抜けするくらいの態度で、松葉は首肯した。

 眦を緩め、松葉は照れくさそうにこう言った。


「あんまり思い出したくはないけどね。1人だった頃のボクってそこまで幸せじゃなかったから。でも、なんでそんなこと聞くのさ?

遂に八重さまもボクのことを気になってきたとか?」


「……牛乳プリンありがとう。美味しくいただくわ」


 部分的な記憶喪失に、攻略対象者が巻き込まれているわけじゃないんだ。

東雲先輩もそうなっている素振りは無かったし、やはりこれは私だけの問題なのかもしれない。


 松葉のセリフを無表情でスルーすると、私は買ってきてもらったおやつを小型の冷蔵庫にしまう。ご飯を食べるにはまだキツイので、その代わりにこれを食す目論見なのだ。

普段は読まない少年漫画の雑誌を開くと、ちょうどそのページは麦わらの海賊団が敵と交戦しているところだった。私の知っている時代は仲間が7人だった頃のことだから、随分知識が遅れている。

 ……そういえば、こういう些末な知識は消えていないんだな。と、そんなことを思いながら漫画雑誌を読み始めると、松葉は拗ねた表情で見舞客用の小さな椅子に腰かけた。

胸の傷みを気付かないことにして、たあいもない時間が、そうして過ぎていく。

私の隣にいた松葉の気持ちも分からずに、過ぎていった。




 診療をしていた壮年の医者が、電子カルテから目を離して私の方を見た。その丸い眼鏡はさび色をしていて、古めかしい時代を感じさせる。

診療室に座った私が母の隣で瞬きを返すと、彼は柔和に微笑んでこう言った。


「恐らく、今回の原因はストレス性の急性胃炎ですね。無自覚につもりつもっていたダメージがあったんでしょう。心当たりは何かありますか?」

「……いいえ、特には」

 警戒心をにじませた私が嘘をつくと、男の医者はふうむ……と考え込む。


「思い悩むものはないと? なんでもいいんですよ、どうぞおっしゃってください」

「何もないんです」


「では、勉強でもし過ぎましたかな?」

「そうかもしれません」

 恐らく間接的な原因の一端にはなっているかもしれない。10%くらいは。

こんな場面でアヤカシだの神龍だのと大っぴらに説明するわけにもいかず(そんなことをすれば入院場所が隔離病棟になってしまうので)、私はわざと儚げに微笑んだ。

桜によって過去の記憶を見せられた私は、過去の投薬に参加していたであろうこの主治医のことも信用できなくなっていた。


「まあ、いい機会ですから検査入院として後2日くらいはここで休まれていって下さい。胃の粘膜を保護する一般的なお薬も出しておきますから」

「……ありがとうございます」

 ここで騒ぎ立てない方が早く病院からは解放されるだろう。


「一番いいのは、ストレスそのものを和らげることなのですがね。もしもそれが難しいようでしたら、心療内科への紹介状もお出ししましょうか」

「結構です!」

 反射的にびくりとして断ると、医者の眼鏡が光る。


「月之宮さん、困っていらっしゃる時はご相談していただければ、医療的にもアプローチができるんですよ。このまま悪化させて、胃潰瘍になったらお辛いでしょう?」

「いえ、本当に平気ですから」

 恐らく、この医者は記憶を失う前の私が精神薬を使っていたことを知っているのだ。そのことに確信を持つと、猜疑的な視線をどうしても向けてしまう。

何故から、私が入院したこの病院には月之宮家が経営に関わっていることを知っているから。


「……八重ちゃんがこう云っていることですし、先生。ひとまずは様子見ということではいけないでしょうか」

 母がおっとりと困った様子で発言をする。

鼻白んだ医者が、感情の見えない笑みを浮かべた。


「……では、今後、月之宮さんに何かがあったらこちらに連絡をしてくださいね」

「ええ。それでは、失礼いたします」

 微笑んだ母が優美に礼をする。それを真似た私と一緒に診療室の外に出ると、そこにはもう次の患者さんが待っていた。

スムーズに受付からクリアファイルを受け取ると、私たちは入院病棟へ戻ろうとする。


「ねえ。八重ちゃん。朝食、全部食べられなかったんですって?」

「うん」


「看護師さんが心配なさっていたわよ。栄養補助食品しか食べた痕跡がなかったって……。そんなに胃が痛かったのなら、もっと早くにお母さんへ知らせて欲しかったわ」

「そこまで自覚症状は無かったから」

「まあ」

 多分、私が倒れた原因は胃痛ではなく心因性のもののような気がする。あれだけの妖狐の怒気に当てられれば仕方がないだろう。


「蛍ちゃんがお家に帰っちゃったのがそんなにショックだったの?」

「それは関係ないから!」

 悲しそうな母の言葉に、私が噛みつくように反応する。


「ホント?」

「……本当に本当!」

 まあ、ストレスの元凶の人物でもあるから、蛍御前のせいと云えなくもないけどさ。

 ……でも、きっと彼女だって善意からの行動だったんだよね。

東雲先輩を激怒させたまま、私が気を失っている間に行方をくらませてしまった龍の神様。その行動の理由を聞かないままに離ればなれになってしまったことに、深い悲しみを感じた。

力を使い果たしてでも、私に記憶を見せることをあの桜が望んでいたというのなら……。


「お母さん。……私が倒れた神社って、取り壊しを阻止することってできないのかな」

「八重ちゃん?」

 母が困った顔で振り返る。


「私、あそこの桜が好きなの。好きだったことを思いだしたの。あのまま切られてしまうなんて、どうしても納得がいかない」

「まあ……」

 言葉を失った母に、私は詰め寄った。


「月之宮家の力で、どうにかならないの。再開発が止められないというのなら、我が家の庭に神社の桜を植えかえるとか……」

「……八重ちゃん。それは無理よ」

 母は哀しそうに呟いた。


「お母さんだってできればそうしたかった。そうしたいと思っていた人は他にもいたかもしれない。でも、できなかったの」

「どうして?」

「あの山桜はね、もう限界を迎えてしまっているの」

 私はショックに目を見開く。母は、憂いのため息をついた。


「本来、山桜はうまくすれば500年は生きてくれるものなのだけど……生き急いでしまったのかしら。もうあそこまで弱ってしまえば、植樹の負荷に耐えきれないわ」

「もっと早く植えかえていれば良かったってこと……?」


「八重ちゃん。どんなものにも、いつかは寿命がくるのよ。必ず別れというものは訪れて、それを永遠に引き留め続けることは誰にもできないの」

 嫌だ。

そんなこと、考えたくもない。

俯いてしまった私に、母は喋る。


「今度の再開発を主導しているのはね、日之宮財閥なの。どうしてなのかは分からないけれど、我が家でも口出しができなくて……桜の伐採を止めてもらえないか何度ももう頼んだのだけど、聞く耳をもってくれなかったわ」

「日之宮が?」

 何よそれ! どうしてあの家がそんなことをしているの。


「……まさか」

 あの桜を伐採してしまうことそのものが目的なのだとしたら、辻褄が合うかもしれない。

アヤカシに変じかかっている桜を、妖怪に変化する前に殺してしまおうとしているのだとしたら。


「じゃあ、もう、止められない……」

 そうだとしたならば、陰陽師である私はそれに反対することなんて許されないじゃないか。

例え抗おうとしたところで、耳をかしてくれる人なんて誰もいない。

暗くなった視界の片隅で、母が同情するようにこちらを見ていた。




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