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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
夏――ブルーの空の下で
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☆152 水の入ったビッチャーと割れたグラス



 練習の通りに、ドレスの裾をつまんで口角を上げる。

音楽に合わせて松葉の周りをぐるりと回ると、この少年が緊張していることが伝わってきた。

スカートを揺らし、ステップを踏む。

1歩、2歩、重ねて3歩……軽やかな身のこなしで踊り始めると、辺りの人々の視線がこちらに釘づけになった。

離れ、手を繋ぎ、くるりとターン!

自然とパートナーの松葉が笑いだす。楽しくて仕方がないというように、熟練者の私のリードに合わせて踊っている。

つられて悩み事があったはずの私まで笑みを零した。


周りから見れば、稚拙なダンスであるだろう。このカワウソはとても巧みな動きをしているとは言い難い。……けれど、松葉は今の時間を伸び伸びと満喫していた。


「……そんなに楽しい?」

 はしゃぐ松葉に振り回されながらも曲の合間に訊ねると、


「うん! 八重さまとダンスをするのってすっごく楽しい!」

と私の式妖からは満面の全肯定が返ってきた。


「そ、そうなの……」

 戸惑う私にも関わらず、すぐに次の曲が始まる。その生演奏のワルツに合わせながらナチュラルターンを踊ると、辺り一面に貴婦人たちのドレスの華がひらいた。

 ラメはきらめき、香水は薫る。

松葉がつけているのは、フェラガモのサルヴァトーレだろうか?

3曲を続けて踊った私たちは、ようやく人心地つけるために群衆から離れて壁際に移動した。


「……なんか喉が渇いちゃったかも」

 ポツリと私が呟くと、松葉が反応を示した。


「そういえば、ボクも八重さまもまだ何も食べてないよね。そうだ。何かジュースでも取りに行ってくるよ!」

「え?」

 止める間もなく、上機嫌な松葉はテーブルに置いてあるドリンクコーナーに向かっていなくなってしまった。

1人で壁際に残された私は、口端を引きつらせる。

せっかく松葉と一緒でいることで男性を避けることができていたのに……。そういえば、蛍御前はどこ?

 目立つ水色の髪の美少女がどこかにいないかと探そうとしていたら、飲み物を持って歩いていたボーイさんと視線が合った。

くすんだ赤い茶髪に、鳶色の瞳をした細身の青年だった。執事見習いといった雰囲気を漂わせており、悪戯っぽく笑いかけてくる。


「そこの美しいお嬢様、フルーツウォーターはいかがでしょうか?」

「……貰うわ」

 甘そうな果実水が注がれ、透明に輝くグラスが1つ手渡された。念のためにアルコールの臭いがしないか確かめ、普通に口づけた。

そこで、液体を飲み込んだ私は妙な顔になる。


「……何がフルーツウォーターよ。炭酸も入っているじゃない」

 気が付くのに遅れた。口内で弾けたノンアルコールのドリンクに文句を言うと、年若いボーイはくすりと微笑んだ。


「おや、炭酸はお嫌いでしたか?」

「そういうわけじゃないけど、あなた、私を騙したわね?」


「滅相もないことでございます。……ついつい、お綺麗なお嬢様がそのような仏頂面でいらっしゃるものですから、からかいたくなってしまいまして」

 どこか記憶に引っかかるセリフだった。

なんだろう……これと似たような言葉をかなり前に耳にしたような……。

どこだっけ?


「……あなた、前に私と会ったことがあるかしら?」

「……さて」


「この日之宮家で雇われている給仕係なのよね? いつからここで働き始めたの? それとも、まさか臨時のアルバイトだったり?」

 目を輝かせて笑いかけると、その赤い茶髪の青年はにこりと雲に巻いてきた。


「まだ仕事が残っておりますので」

「教えてくれてもいいじゃない、ケチな人!」

 つまんない返事。

少し拗ねた感じの態度をとった私に、ごくごく平凡な容姿のボーイは困ったような表情で笑う。どうせ小娘の変な気まぐれだと思ってるんでしょ!

そうしてこう着状態になっていた私たち……いいえ、私に向かって、後ろから声をかけられた。


「……おおや、これは月之宮家のお嬢様ではございませんか!」

 目を瞬かせて振り返ると、そこにはでっぷりとした腹を抱えた男の人が赤ら顔で立っていた。ワインをしこたま飲んだのだろう。年齢は……太りすぎててよく分からないけど30代くらい?


「どなただったかしら?」

 覚えにない。これほどの巨体であれば忘れるはずがないのだけど、本当に記憶の中にこの男の名前は存在しなかった。


「父からは聞かされてはおりませなんだかな? 私は、自動車会社『堀田』の副社長を務めている一人息子でございます」

「ああ、堀田さんの……」

 いわれてみれば見覚えのある三白眼だ。父親も随分太った人だと思っていたけれど、その息子はそれを上回る胴回りをしていた。そんなところで父親に対抗しなくてもいいのに。よくまあ、スーツにこの肉を押し込めてきたものだと逆に感心してしまいそうだ。

加えて、頭の毛も寂しいことになっていた。


「思い出していただけましたか!」

「ええ。お得意様ですもの」

 愛想笑いを浮かべると、堀田の副社長は額に汗を浮かべながら鼻の穴を膨らませた。こちらをいやらしい目つきでじろじろ見ると、にたあっとガマガエルのように笑う。

……この人、どんな伝手でここに入り込んだのかしら。


「噂に聞いたお美しい方だというのは真でしたな。父に何度も聞かされておりましたが、実物は聞きしに勝るとはまさにこのこと!」

「……お上手ですのね」


「はっはっは、私の伴侶にふさわしい女性を初めて見つけましたよ! 光栄に思っていただきたい、あなたはこの私の妻となれるのだから!」

 ハゲにデブに、ナルシストの三段構えだった。

芝居がかった物言いをする人だなあと考えていたところに幻聴が聞こえた気がして、凍り付いた私は15秒ほどフリーズしてしまった。


「いま……何を……」

「忘れん坊な人ですねえ、私とあなたの間にあった縁談の話ですよ!」

 ふくよかな声でハッハッハと笑っている堀田の副社長に、私は訳の分からない思いになった。


「そのお話は、お断りしていませんでしたか?」

 ズバッとそう斬り込むと、酔っ払っていた堀田の副社長は表情を変える。これまでが陽気なガマガエルなら、今はかんしゃくを起こしそうなウシガエル……って、あんまり大差ないかも?

明後日なことを考えていた私の手首ががっしりと掴まれる。気付いた時には、蛙によく似た堀田の息子が険しい眼差しで迫っていた。

口から酒臭い息を吐き出される。


「つべこべ云うな! 得意先の我が家の快い提案を断るつもりか!? このパーティーといい、どれだけの金を今まで払わされたと思ってるんだ! お前のような女は素直に男に従っていればいいのだ!」

 脂汗とつけすぎのオーデコロンとアルコールの臭気に吐きそうになった。

気持ち悪くなった私が青い顔になって口を塞ぐと、にたにた笑った堀田の副社長が唇を近づけてきた。


「いや!」

 絡んできた男を押しのけようとするも、予想外に力が強い。もみくちゃになっている私たちに周囲が気付いて慌ただしくなっていく。

 ちっとも振りほどけない酔っ払いに半泣きになった瞬間――。



――しつこいモラハラセクハラ蛙の頭頂部に、フルーツウォーターのたっぷり入ったビッチャーといくつかのグラスが乗せられた銀のお盆が勢いよく叩きつけられた。

ガッシャーーーーンッとガラスの割れる音が鳴り響き、水浸しになった堀田の副社長の全身に水滴とガラス片が降り注いだ。


「……これはこれは、失礼致しました」


 その大惨事をわざと引き起こした犯人は、さっきまで私と話していたボーイだった。くすんだ赤っぽい茶髪から見え隠れする鳶色の瞳は底冷えがするほどに怒っており、その不穏な深海のような眼差しに私は既知感の正体を悟った。


「き、貴様何者だ! 私がどこの会社のものだか分かっているのか! 私は副社長だぞ! とんでもなく偉いのだぞ!!」

 激昂したセクハラ男に、ボーイは自分の顔の前に手のひらをかざした。

ゆらり、と蜃気楼のごとく空気がゆらめき、みるみるうちに彼の姿が変貌していく。くすんでいた茶髪は色の薄い白金に変わっていき、喧嘩に誘うような攻撃的な目つきをしているその色はガラスのように青くなった。


「……僕は、ただのとある高校の生徒会長です」

 すっと細くなった目で、変装を解いた東雲先輩は力強くセクハラ男の肩を突き飛ばす。ガラスの破片が散らばった水たまりに尻もちをついた男は、床を見てひいっと悲鳴を上げた。


「コンナ、こんな……私に、こんな…………」

 それはどこまでも小物だった。

 静まり返ったホールで、慌てて松葉が駆け寄ってこようとする。皿と箸を持った蛍御前は目を丸くしていた。けれど、それを見ようともせずに東雲先輩は私にこう問いかけた。


「……先ほどのあの質問……化けていた僕だと気付いていたのですか?」

「……いいえ」


「そうですか。……ところで、今夜つけているその髪飾りといい、事後承諾にはなりましたが、この男よりは僕の方が好かれているとうぬぼれても構いませんよね?」

 フッと笑みを浮かべた東雲先輩に、時間が止まったように感じた。透明に澄んでいく心で、無我夢中になって「はい」と返事をする。

嬉しそうに東雲先輩が笑った。

「――それが聞きたかった!」


 辺りで悲鳴がなった。どよめきも上がる。何故かといえば、颯爽とした東雲先輩がボーイの服装のままで私をお姫様抱っこしたからだ。


「え、ちょ……っ」


 ――ばっと私を抱き上げた東雲先輩が、花嫁を浚う乱入者みたいにホールから走って連れ去った。早くカッコいい逃走だった。

これを見た父は卒倒しそうになり、母の反応は分からなかった。

大きな扉は蹴り飛ばされ、開けられ、外の開放的な空気と共に私はか細い悲鳴を出した。




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