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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
夏――ブルーの空の下で
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☆146 ジェットが似合う貴女

 一言でパーティーに出席するといっても、用意しなくちゃいけないものはプレゼントだけではない。まさか昨年のドレスを着ていくわけにもいかないからだ。社交の場で月之宮財閥の令嬢がそんなことをすれば、みっともないと陰口の嵐を浴びせられることになってしまう。会場での装いは令嬢の格を表わすようなものだからだ。


 無駄なことが嫌いな父でもこういった費用は惜しみなく使えというスタンスで、しかも私の身長も昨年よりいささかに伸びていたものだから、ついては例年のことながら衣装を新調することになった。


「まあ! 本当に何をお召しになられてもよくお似合いになるお嬢様ですこと!」

 テントウムシ色の眼鏡をかけた30代前後の女性が、嬉しそうな声を上げた。化粧は厚く、口紅は赤紫色だ。我が家に呼び寄せた販売員の彼女は、百貨店から試着用に様々な品物を持って来ていた。


「シャネルもいいですけど、プラダも、ジェイ・メンデルも着こなせる方はそうそうおりませんわ! 小柄な日本人には似合わないようなデザインも似合ってしまわれるなんて……。 脚が長くてスタイルもよろしいから、そこまでお直しする必要もございませんし」

「褒めていただけて、ありがとうございます」

 真紅色のドレスを試着していた私が口角を上げると、販売員はほおっと見惚れるようにため息を洩らす。リップサービスにしては大げさな反応だと思う。


「ふふ、本当に綺麗よ。流石私の娘だわ」

 これで5着目になる試着をした私を見て、母が満足気に目を細めた。

どうも自分では鏡を見ても似合っているかどうかの判断が苦しくなる。何を着ても劣等感からかブサイクな見た目に感じてしまうのだ。

 その時、簡易試着室から出てきた蛍御前が、肩を竦めて呟いた。


「ふーむ、パーティードレスとはこういうものか。和服に慣れていると落ち着かんものじゃの」

 オリエンタルなドレスに身を包んだ神龍は、水色の髪が引き立っていた。元から神秘的美少女だった容姿に拍車がかかっている。どこかの名作少女漫画に出てきたような孔雀の扇まで持っていた。

高所得層ばかりが集まる場となると、逆に水色の髪はファッションの1つとして受け入れられてしまうだろう。我が家の親戚筋という紹介になるので、まだ子どもとはいっても将来を期待した縁談が舞い込む可能性がある。


「……主様はずるいのね。私だって行きたかったのね」

「こっそり食べ物は貰ってきてやるから、いい加減に諦めをつけてほしいものじゃのう」

 ぶすっとむくれている白蓮に、蛍御前がのんびりと声を掛ける。そこに流れる空気が険悪では無かったことに安心しよう。


「八重さま、マジできれー……」

 放心したようにこちらを見つめてくる式妖に、私は愛想笑いを返す。彼のオリーブグリーンの目は数度瞬きをする。

松葉も同じように衣装選びが必要だった為、購入を決めたタキシードに袖を通していた。脚は長い方だと思っていたけれど足下には裾上げの待ち針が刺さっている。

 兄さんが国外に逃げているせいで、今回のパーティーでの私のエスコート役を命じられた松葉は、どことなく機嫌が良かった。


「赤色もいいけど、ちょっと派手じゃない?」

 私が身動きをすると、紅薔薇のようなドレスの裾がはためく。ウエストマークがないシンプルなノースリーブの衣装に、勧められたアクセサリーが輝いた。


「あら、パーティーなのよ? 老ける前の女の子は目立つくらいで丁度いいと思うわ。それとも、ルネのドレスは嫌?」

 何気にヒドイ言葉を口にした母が、微笑みかけてきた。


「嫌ってわけじゃないけど……」

 なんだろう、このモヤモヤした気持ち。

正体不明の曇り空な心境が周囲に漏れたのだろう、販売員の女性が笑みを作った。


「では、別の御召し物にいたしますか?」

「お願いします」

 試着室に手渡されたドレスを持って入ると、深呼吸をして着替えに移る。6着目になるそのドレスを着てみた後に、そのスリットの深さに驚いた。

……これは……。

カーテンを開けて外に出ると、松葉を呼んだ。


「……ねえ、松葉。これって大胆すぎると思う?」

 光沢のあるサテンが使われた、黒一色のシンプルなドレスだ。太ももの付け根まで入ったスリットに恥ずかしさを堪えながらも訊ねると、松葉はカッと目を見開いた。

「すごくいい!」


 母も手を打って笑った。

「八重ちゃん素敵! 大人っぽくてセクシーだわ! こんなに似合うなら、そのドレスで決まりね!」

 うええ!?

私が止める間もなく、販売員がにっこり笑った。


「さようでございますか。では、そのように取り計らいさせて頂きます。アクセサリーやシューズはいかがなされますか?」

「持っているものを見せてちょうだい」


「かしこまりました」

 せっせと次の買い物に突入した母と販売員に、このドレスについて何か意見することはできなかった。

 私、こんな露出の多い悪役めいた格好でパーティーに行くってこと!? 性格がきつそうな顔をしてるから、それが似合うってこと!?

落ち込みながらよろめいている私をよそに、販売員の女性は内側にベルベットの敷かれた箱から宝石の数々を取り出した。


「一点ものを好まれるとお聞きしておりましたので、こちらの品々は全て国内外のトップデザイナーに依頼して揃えさせて頂きました」

 会釈と共に、布とクッションを敷いたテーブルに次々と常人なら息を呑むような宝石のついたアクセサリーが並べられていく。それを落ち着き払った眼差しで見守っている母の欲を見せない態度に、販売員も冷や汗を流しそうになっていることが分かった。

 買えないから引いているのではない。

 月之宮家総帥の妻である私の母にとっては、宝石なんてとうの昔に見飽きた代物だ。質素な暮らしを心掛けているとはいっても、それはあくまで生活態度の話であり、持つべきものは厳選された最高のコレクションを彼女は方々から貢がれている。


宝石というだけでは、母の目に留まることはない。それ以上の付加価値がない限り、石ころと同様の扱いに下ってしまうことに、この販売員はたった今直面してしまった。

震えるほどの値段で提示された装飾品に、母は余裕の微笑を浮かべた。


「八重ちゃん、何か欲しいものはあって?」

 声を掛けられて、控えていた私は視線を動かす。


「そうね……」

 ジュエリーならもう持っているものだけで充分なのだけど……。それ以上の買い物となると、何かあったかしら。

そうだ。必要な買い物といえば、パーティーの主役へのプレゼントが足りない。ここにある宝石たちなら、値段だってけっこう張るはずだ。


「……お母さん、実は奈々子へのプレゼントがまだ手に入っていないんですけど……」

「まあ。それは困ったことね」

 天井のライトの光を反射して輝く宝石群に視線をやった母は、その唇を動かした。


「ねえ、あなた。ここにはないけれど、ジェットをパーティーまでに用意することはできるかしら?」

 その穏やかな言葉を受けた販売員が、焦った眼差しになる。


「だ、ダイヤではなく、ジェットとなりますと……」

「あの子にあげるには、それがよくお似合いだと思うの。八重ちゃんもそう思わなくて?」


 ジェット――その二つ名は、人類最古の宝石。太古の樹木が海底などに堆積して化石化した黒玉だ。

石炭層のある地域で算出され、イギリスのヴィクトリア女王が喪に服す際に身に着けたといわれる、追悼の石(モーニングジュエリー)である。


「お母さん! いくらなんでもそれは……っ」

 誕生日の贈り物に、追悼の宝石なんて酷すぎる。そんなのあんまりだ。一体何を考えてこんなことを言うのだろう。


「兄さんと結婚したら、奈々子は家族になるのよ!?」

「だったら、私からのプレゼントはジェットにするわ。八重ちゃんはこの中から好きなものを選んで包んでもらいなさい」


「母さん!」

 すっと視線を逸らした母に、販売員の方も困り果てている。


「……本当に日之宮家へ贈るジェットをご用意するということでよろしいのですか? あまり知名度の高い宝石ではございませんし、その歴史といい喜ばれるとは思えませんが……」

「そうよ。考え直してよ、お母さん!」

 私の剣幕に、母はため息をついた。


「……八重ちゃんは静かになさい。そうね、ハードジェットの昔採れてたウェッドビークラスのジュエリーを1点お願いするわ」

「か、かしこまりました!」


 なんで突然こんなことになってしまったのだろう。

てっきり私の母は、日之宮奈々子のことを気に入っているのだと信じ込んでいた。

未来の月之宮家嫁姑の仲は上手くいっていると思っていたのに、それは私の勘違いでしかなかったのだろうか。

 嫁いびりをするような母ではないと思っていたのに……。

 ……それとも、気付けないだけでこれは何かのメッセージが含まれている?

思わず私の目つきが鋭くなる。黙ったままで睨みつけても、何を考えているのか分からない母は悠然と構えていた。


「お嬢様も何かご注文はございますか?」

「…………」


 苛立ちながらも視線をテーブルに落とすと、そこには色とりどりの宝石が燦然と輝いていた。ルビーにサファイヤ、ダイヤに真珠……有名どころは揃っている。

奈々子にあげるのなら、少し奇をてらったものがいい。ちょっとした話題になりそうなもので、面白味のあるもの――そう、例えばこんなような。

悩みながらもジュエリーを見ていると、その展示の隅っこに置かれている鉱石のような美しい物体に気が付いた。

サイズはかなり大きい。


「これは……」

「そちらは、ドミニク・ノヴァクによって開発された宝石石鹸にございます。もしやと思って一緒にお持ちしたのですが……宝石の原石を精巧に模して細工された、アレルギーフリーの最高品質の石鹸になっております。とてもいい泡が立つんですよ」


 香りもいいし、これは素敵かもしれない。

この宝石石鹸にヴィンテージワインでも添えて贈れば華やかな消えものになるだろう。

贈り物は消えてしまうものを選ぶのが粋だと聞いたことがある。


「プレゼント用にこの白いやつと……青いのもいいかしら」

「マーブルとサファイヤとブルーアゲートでございますね」

 光を透過して美しく輝く石鹸は、いくら眺めても飽きない。こんなに綺麗だったら、自分用に1つ選んでもいいかもしれない。

怒りが冷めたわけではないけれど、私の心はすっかりこの石鹸に奪われてしまった。


「あと……この綺麗な色の石鹸を普段使いで買いたいのですけれど?」

「こちらはブラックオパールです。香料はメロンとアプリコットになりますが、気分はいかがですか?」


「わりと好きかも。なんだかフルーティーな匂いね」

 果物の甘い香りを感じていると、ハリネズミのようにとげとげしくなった精神が和らいでくる。母が何を考えているのかは知らないけれど、冷静さを少し取り戻した。


「八重さま、何を買ったの?」

 ひょっこり顔を出した松葉が、訊ねてくる。


「石鹸よ」

「石鹸? へえ、この鉱物みたいなやつがそうなの?」

 宝石石鹸を見て、松葉が目を丸くする。


「これって芸術の域に達してるわよね」

「ボク、八重さまが母親と喧嘩してるみたいだったから様子を見に来たんだけど……」


「松葉からも云って頂戴。お母さんったら奈々子によりにもよってジェットをあげるつもりなのよ!」

「……ジェット?」

 よく分からない、と言いたげな反応をした松葉は、置きっぱなしになっていた自分のスマホで検索を始めた。魔術的なことを調べていたことのある松葉なら知っているかと思ったのだけど、宝石の知識となると門外漢だったのかな。


「ふーん、琥珀の仲間みたいなものか」

「やけに大雑把にくくったわね」


「えーっと、何々? あ、喪に服すときの宝石って出てきた。……なるほど、なんとなく八重さまが何に怒っているのか掴めたよ。

でもさ、視点を変えれば皇族も身に着けているジュエルってことは、格式としては高いものだよね。一点ぐらいならあっても困らない感じがするけど?」


「……まあ、それもそうなのかもしれないけど」


 でも、誕生日のプレゼントに向いた宝石とは言い難いでしょう。

 私がぶすっと黙り込むと、松葉はいい笑顔を向けてきた。


「それに、ボクはあの銃刀法違反女が嫌いだから。たとえ八重さまの母さんにいびられてるとしてもむしろいい気味、ざまあ!って感じがするんだよね」

「……撃たれそうになったアンタに同調を求めた私が間違っていたわ」


 以前に庭先で足下に発砲された恨みを忘れていない松葉に、私は眉間を押さえた。

一波乱が起こりそうな予感に、心にタバスコたっぷりのドリンクを無理やり呑まされたような感覚になりながら、母のいたずらを止められない無力な私は天を仰いだのだった。




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