☆134 夏祭りの勝負
栗村希未と蛍御前を追いかけて遠ざかる八重の後ろ姿を眺めていた東雲に、嘲るような声が掛けられた。
「で、どの屋台で勝負するわけ? 間抜け狐」
「お前が決めればいいだろう」
じろっと目を動かすと、カワウソは片手に冬瓜をかつぎながら不敵に嗤った。白茶の髪をかき、気だるそうに神社の中を見渡すと、やがて1つの屋台を指差した。
「じゃあ、アレかな」
――その屋台では、流水に流されたスーパーボールがコロコロ転がされていた。
侮蔑の視線を向けたのは、東雲だった。
「……バカなんですか?」
「なんでだよ!」
いくらなんでもスーパーボールすくいはないだろう。近寄っていくのは幼児や小学生しかないじゃないか。子ども向けの屋台を観察した後に、とあることに気が付いた東雲は納得の声を洩らした。
「ああ……つまり、お前の精神年齢が反映されてるのか」
「何だかよく分からないけどムカつくことを云うな!!!」
それなら仕方ない。
そこまで精神年齢が未熟なものに勝負を吹っ掛けた自分の落ち度だ。最初からマトモな結果になるとは思っていなかったが、付き合ってやるしかあるまい。
「スーパーボールすくいとは……また、珍しいものを選びますね」
山崎は面白そうな顔をした。
近くにいる柳原政雪は我関せずと遠野ちほと過ごしている。
「よろしければ、お嬢様が戻ってくるまで審判をいたしましょうか?」
「うん、お願い!」
山崎に瀬川が自信満々な笑みを向けた。どうやらこのままスーパーボールすくいで勝負することになるらしい。面妖な。
ゆるりとため息をついた東雲は、うんざりした視線を屋台に送った。
「おばさん、2人ね!」
店番をしていた中年の女は、高校生2人がやって来たことに驚きの眼差しになった。それはそうだろう。こんなことでもなければ、絶対に足を運ぶつもりもなかった屋台だ。
……大人は1人600円です。と云われ、財布から千円札で支払う。無駄遣いも甚だしいが、掬った後のスーパーボールはどう処理したらいいものだろう。
流石に、これを捨ててしまうのは気が咎める。
悩んでいる東雲をさておき、財布を仕舞った瀬川がお玉を先に水流へ突っ込んだ。すぐに何個か引っかかるが、6個くらいを超えると溢れてしまう。
「ふん!」
ざばっとすくい上げた瀬川のお玉には、大物ばかりが乗っていた。その次に試した東雲の番が終わると、山崎が困った顔を返してきた。
「数では東雲さんの勝ちになりますね」
「はあ!? 巨大スーパーボールは3点でしょ!」
細かいスーパーボールで数を稼いだ東雲に対し、瀬川は大きさで勝負したらしい。頭が痛くなった東雲だったが、瀬川はケッと喉を鳴らした。
「あーあ、無効無効! 誰だよ、スーパーボールすくいなんて幼稚な勝負にしたの! 別の屋台で勝負しよ!」
「提案したのはお前だろうが!」
反射的に手を上げた東雲の拳が、適当なことばかり喋る瀬川の後頭部をガツンと殴った。星が飛び散り、カワウソが下駄で転びそうになる。
「――ぃったあっ!? 何するんだよ!」
「お前は自分の発言も覚えてられないのか!!」
殴られた場所を手で抑えた瀬川だったが、東雲は本気で苛立った。指先から、わなわなと震える。こんな奴が八重の近くにいるというだけで、許しがたく思えた。
「まあまあ。東雲さん、瀬川君のやることですから」
「そーだよ、ボクのやることは絶対なの!」
明らかに前者の山崎の言葉はそんなことは言っていないと思うが。眉を潜めた東雲は、黙ってもう一度瀬川の頭を殴り飛ばした。
「なにするんだ!」
ぷっくりできたたんこぶに、東雲の気が少し晴れた。深呼吸をした後に、今度は射的を指差した。
「今度はアレにしましょう。大きさではなく、数で勝負です」
「ふーん」
瀬川は否とは言わなかった。
久しぶりの射的だ。これには東雲も腕に覚えがあった。
500円を支払うと、妖力をまとわせたコルク栓を銃に詰めて、ぐるりと回転させて構える。玩具の銃だが狙いの定め方はそれほど変わらない――戦国の時代に人を撃ったこともある妖狐にはお茶の子さいさいだ。
パン、と隣から乾いた音がした。瀬川が倒れたキャラメルの箱にガッツポーズをする。
相手に不足はない。薄く嗤った東雲は迷わずに景品を撃っていく。1個1個を慎重にとっていく人間並みのカワウソに対し、九尾の狐は妖力を操り何個もまとめて景品を獲得していった。
「はあ!? なんか今、あり得ない状態でまとめて落ちたんだけど!?」
「これしきのことができないんですか?」
顎を外しそうになっている屋台の店主に、東雲はくっと笑みを浮かべた。
「これってアリなの!?」
「要は落とせばいいんです。衝撃を上げて撃った弾で風を巻き込んで落下させるのが一番手っ取り早い――」
「いやなしだろ! お前ズルしたしこれは無し!! 反則! リコーーーールッッッッ!」
叫んだカワウソがコルク銃を台の上に叩き返した。拳を握って勝負のやり直しを主張した。
それに妖狐は眼を見開くが、山崎も流石に半笑いをするしかなかった。
遠くで見ていた柳原が、ひょっこり顔を覗かせて苦笑いをする。
「東雲さんや、今のはちょっと大人気ないんじゃないかい?」
「そうか?」
「瀬川はマジメにやったのに、これじゃあ反則だと云われても仕方ないだろう。オレも今度は普通にやり直しをした方がいいと思うがね」
あれとかどうよ?と柳原が提案したのは、型抜きだ。
顔にお面を被り、口の中にキャラメルを沢山頬張った瀬川が、山ほどの景品と冬瓜を抱えながらぶんぶん頷いた。見るからにどさくさに紛れて祭りを楽しみまくっているではないか。
気付けば天狗と神子はどこかへいなくなったようだ。
「あ、僕は景品はいらないので」
射的でとった景品の持ち帰りを断ると、屋台の店主はホッとした表情になった。まだ夜も深まっていないのに、店を畳みたくはないだろう。
天気はますます悪くなっているようで、すぐにも雨が降り出しそうな曇天だった。
「……あ」
早速型抜きを受け取ってやっていた瀬川が悲壮な声を出した。
「割れたあああああああああああああっ」
うるさい。もっと静かにできないのか。
しゃがんで細かな作業を始めた東雲が無言で針を動かすと、パキッと小さな音がして紅色の砂糖菓子がひび割れた。
おやおや、お終いですねえ。と屋台のお婆さんが微笑ましそうに彼らを眺める。
悔しさがこみ上げたカワウソと妖狐は、迷わずに張り合って追加分を購入した。祭りの型抜きとは、一種の子どもでもできるギャンブルである。乾いた砂糖菓子を綺麗に針でくり抜くことができれば、その難易度に応じた金銭を受け取ることができるという遊戯だが、もしも壊してしまえばその分のお金は当然ながら戻ってこないのだ。
「……この、この!」
「…………く、」
型抜きの才能がないのに没頭している2人に、山崎は物悲しい心境となった。周囲の子どもたちからは浮いており、ある意味大人の貫録を見せた粘りだった。
「……あの、そろそろ止めませんか」
「「あとちょっとなんだ!」」
これはこれで仲がいいのか悪いのか。
結局、ここで20分以上を消費した彼らの手元には、砂糖菓子の残骸が残っただけだった。
その後、ヨーヨー釣り、金魚すくいにダーツゲームでようやく勝敗をつけた東雲は、ようやく周囲を見回す余裕ができた。
「ほう、やっと雌雄を決したのか」
大阪焼きのソースを頬につけた蛍御前がこちらにやってくる。水色の髪が夜闇にきらめいた。
「見てたんですか」
「主らは目立っておったからの。見目がいい男らが勝負に熱中して、何事かと誰もが注目しておったぞ」
むっしゃむっしゃと食べ物を咀嚼している蛍御前は、東雲と話しながら割り箸で透明なパックに入った大阪焼きをつついた。派手な金魚柄の浴衣ドレスを汚さないように、けれど大胆な食べっぷりである。
「そうですか。……ところで、八重は?」
一緒じゃないんですか?と東雲が訊ねると、金色の瞳をした神龍は不思議そうに黙り込んだ。
「……そういえば見かけんのう。さっきまで共におったのじゃが」
きょろきょろ顔を動かした蛍御前の態度に、何か得体の知れない胸騒ぎを東雲は感じた。冷たい戦慄が背中を走る。そこに、栗村希未が焦った顔つきで近づいてきた。
「八重? やえー、どこにいるのー?」
「……栗村さん、八重とはぐれたんですか」
険しくも問いただすと、事態の把握できていない八重の友人は不安そうに首肯した。視線を彷徨わせ、こちらに取りすがってくる。
「どうしよう! 東雲先輩、八重と連絡がとれないの!」
「え?」
「スマホに何度もかけてるんだけど、こういうはぐれた時だったらちゃんとチェックするのが普通だよね? 旅館に置き忘れてるのかな……」
「――――っ」
視界の隅に負けたことでうなだれている瀬川が飛び込んできたが、そんなことはもうどうでもよかった。どこか確信に近い危機感を覚えた東雲椿は、何もかもを投げ出して走り出した。己が浴衣であることなど、とうに忘れていた。
早く、間に合え――。
それだけを願って、群衆から必死に水色の浴衣を探した。




