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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
夏――ブルーの空の下で
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☆124 セクハラには鉄蹴制裁

 翌朝は頭痛から始まった。

余り飲んでいなかったつもりで、しっかり二日酔いになってちゃ世話ないだろう。

忘れたいくらいに恥ずかしい記憶が、頭の奥に焼き付いている。

 自分から! 東雲先輩に! キスをするなんて!!!

 もうどうしよう。

先輩にもどう謝ったらいいのか分からないし、そもそも迎えに来てくれた人に対する態度ではなかった。

ふてぶてしいにも程がある。

アヤカシだというのに、よく東雲先輩もキレなかったもの。

思い返すと、キュンと胸が疼くのが分かった。



「八重~、気持ち悪いよぉ……。頭痛いよう……うえっぷ」

 死にそうな声を出しているのは、布団にくるまった希未だ。ようやく起きたと思ったら、朝日に溶けそうになっていた。


「もう、希未ったら。朝食は要らないのー?」

「いらないー。食べたら吐く」

 希未の呻き声に、私はため息をついた。これではチュンチュン響く野鳥のさえずりも頭痛の種にしかならないらしい。

私は覗き見防止にカーテンを閉めると、自分の荷物にパッキングしてあった服に着替える。パジャマを畳むと、化粧水と保湿ジェルを肌につけ、髪を念入りに梳いた。

ちょっと長くなってきたかも?

鏡の中の自分の姿に些細な変化を見つけると、今度美容院に行くかしばし悩んだ。

……まあいっか。毛先を揃えるくらいで。


リップライナーと赤いグロスで口紅に化粧を施すと、目元にもわずかに白と茶色のアイシャドーを加えた。

ナチュラルメイクを終えて化粧道具を片付けると、ミノムシになっている希未を放置して寝室から出る。私が手に持っているのはマルチビタミンのサプリメントだ。


 廊下に出たところで会ったのは、遠野さんだった。

「月之宮さん、おはよう」

「おはようございます。遠野さん」

「二日酔いにはならなかった?」と訊ねると、文学少女は平然と頷いた。


「……うん。大丈夫」

 微かに遠野さんが微笑みを浮かべる。

「……ホテルのベッドみたいに、ぐっすり眠れた」


 それは良かった。

私も笑顔を返すと、一階のキッチンに向けて階段を降りていく。タン、タン……とリズムよく段を踏んでいくと、キッチンの方から香ばしい匂いが漂ってくることに気が付いた。

誰か、料理でもしているのかしら?

廊下を通りながら、そんな予想を立てた。


一階にあるかなり広い造りのリビングに入ると、アルコールの缶と一緒にソファーの上で眠った八手先輩と柳原先生がいた。2人とも脚が長いので、若干ソファーからはみ出して窮屈そうだ。

寝室はちゃんとあったはずなのに、ここで眠ってしまったらしい。

 不摂生で酒臭い。

転がっている缶からを拾ってしかめっ面をしていると、遠野さんが柳原先生を揺り動かした。


「先生」

「…………ん……」


「……もう朝。先生、起きて」


 ぼんやりと目を開けた雪男が、虚ろに口を開いた。

「う……遠野か。」


 何かを探すように瞳を動かした彼は、灰色のボサボサになった髪を掻きむしった。

「頼む、水をくれ……」


 その言葉を聞いた遠野さんは、こくりと頷くとコップに水を汲みにキッチンの方にいなくなった。

 私はしかめっ面のまま、柳原先生に苦言を言う。


「先生、ちょっと飲み過ぎ。私たちが部屋に戻った後も飲んでたんでしょ」

「ああ……」

「いくらアヤカシって云ったって、もし何かあったらどうするんですか」

 その生態は謎に包まれているけれど、普通だったら肝臓を害してもおかしくないだろう。人間が青ざめるくらいの量が一晩で開けられていた。


「無意味なお説教は後にしてくれ……眠い……」

 ひらひら手を振った先生に呆れた私は、このアヤカシを放っておくことにした。八手先輩はまだソファーで寝息を立てている。燃えるような赤毛もセットが崩れていた。


 新聞を広げると、今日の天気が載っていた。絶好の海水浴日和で、そこまで凶悪な事件は起こっていない。地方紙にあるのはどこかの画家の描いた絵の解説やコラムばかりが目立っていて、平凡、平穏な夏休みの一日の始まりを感じた。


 なんだか、私も喉が渇いちゃったな。手に何錠か持っているビタミン剤を嚥下するのに水が欲しくなって、香ばしい匂いをさせているキッチンに歩いて行った。


 ドアを開けると、そこに立っていたのは白金髪の身長の高い青年だった。半袖の白いワイシャツが眩しい美貌の妖狐が、早朝からキッチンで朝食を作ってくれていたらしい。

IHにかけられたフライパンがじゅうじゅういっている。

 驚きで自分がしゃっくりをするかと思った。

 心臓が急に飛び跳ねたのは、妙に新鮮でカッコよく見えたからだ。

その隣で水道を使っていたのは遠野さんで、ガラスのコップに水を汲んでいる最中だった。かいがいしくもナイチンゲールさながらに柳原先生に水を差し出す為にリビングへ戻っていく彼女を引き留めたくなったけれど、喉から声は出てこなかった。


「……今度は誰ですか?」

 その低い声すらセクシーに感じた。

返事が出来ないままに立ち尽くしていると、金髪の美青年はゆっくりと振り返る。隠れる場所はない。逃げ出すには、場所が狭すぎる。このキッチンは一般家庭よりは広いけれど、恥ずかしさで駆け出すには体育館ぐらいの広さが必要だ。


「……おっ」

 おはようございます、と言おうとしていた私の喉は、最初の一音で躓いた。

そうしている間に、海の色をした瞳と目が合う。相手はびっくりした顔になったけれど、たまらず恥ずかしくなって私から逸らした。


「……八重?」

「お、おはようございます……」

 なんでこんなに意識してしまうんだろう。

恋愛対象から外していたはずなのに、ドラマーの生演奏のように胸が高鳴った。

たちまち赤くなっていく顔は、多分気付かれているだろう。


「はは! おはよう。八重」

「あの……、その。どうして先輩が朝ごはんを作っているんですか……」

 私は何を聞いているんだろう。

 言いたかったことは、こうじゃない。もっと優雅で強かな態度を示さなくちゃいけないのに、これでは恋する乙女だ。

恋する乙女……。自分で行き当たったその言葉に、私は目を見開いた。


「寝てないからです」

 東雲先輩が、意味ありげに自嘲した。


「……え?」

「昨日の出来事の後、どうしても寝られなくて。だったら役に立つことでもやっていようかと、車を出して朝のスーパーを覗いた後に調理場に来たんですよ」

 24時間営業のスーパーなんてこの辺にあったんだ。

 皿に敷かれたベーコンの上に、ふんわり焼けたオムレツが盛りつけられた。パセリも添えられて、まるで老舗の洋食屋が作ったようだ。

キッチンの中央のテーブルには豪華な生ハムのサラダと飾り切りをされたフルーツがあり、煮込みたてのベリーのジャムと切られる前の全粒粉のパン・ド・カンパーニュが置いてあった。


 こんな特技があるなんて知らなかった。

そのことに感心しながらも、私は動揺していたのが自分だけではなかったことに気が付いて、みるみるうちに顔に熱が集まった。


「…………っ」

 さっさと水を汲んでキッチンから出よう。

それがいい。このよく分からない感情の正体なんか、知らなくていい!

 水道の蛇口に手をかけると、滑らかな清水が肌に触れる。空のコップにそれを注ぐと、手慣れた手つきでサプリメントを口に放り込み、4錠をまとめて水と一緒に呑み込んだ。


「……今飲んでいるそれは、薬ですか?」

 東雲先輩が、咎める口ぶりで私に聞いてきた。


「マルチビタミンのサプリメントです。ミネラルも入ってますけど」

「そうですか。なら、いいんですけどね」

 私の頬が熱いままだ。

ドクドクいう心臓に緊張したまま、先輩の顔を横目に見ると、彼は何か考え込んでいるようだった。

さりげなくコップを戻すと、見ていたことがばれないようにキッチンを立ち去る。張りつめた神経で東雲先輩の横を通り抜けたけれど、別に呼び止められなかった。


 ……はぁ、これじゃあ心臓が持たないよ。

ほてった顔を冷まそうと廊下でじっとしていると、不意に誰かに話しかけられた。


「……八重さま?」

「ひゃん!?」

 びくっと飛び跳ねそうになると、暗い表情をした松葉が後ろに立っていた。まだ着替えていないようで、スエットのままだ。


「あの……、昨日はその、えっと……」

 苦しそうにブツブツ呟いているカワウソは、こちらの顔色を伺いながらこう言った。


「八重さま……ボク、もう話しかけてもいい?」

 そういえばそんな命令を出していた気がする。

苛立っていたこともすっかり忘れていたとは言えずに、私は後ろめたい思いを抱えながら頷いた。


「え、ええ……。でも、ちゃんと反省したの?」

 そこが肝心なのだ。

お仕置きそのものが重要なのではない。それを受けることによって、この式妖の性根が入れ替わるかどうかが肝心な訳であって――。


「……ボク、何か悪いことしたっけ? ヘマなら踏んだと思ってるけど」

 真顔でそう返した松葉の姿に、私はこりゃダメだと天を仰いだ。軽挙妄動で花瓶を割ったことや、その後に他人に責任を押し付けようとしたことをこのアヤカシは『悪いこと』をしたとはまるで思っていないのだ。


「あのねえ……それが分からないんじゃお仕置きの意味がないじゃない。

まず、他人の忠告を聞かずにバカにしたでしょ。次に、それを反省せずに逃げようとしたでしょ。最後に、失敗を言い訳したじゃない」

「それのどこが悪いの?」

 純粋にそう訊ねられて、私は絶句した。


「……本当に分からないの?」

 私が弱弱しく返すと、松葉は真顔のままで首を傾げた。その挙動は獣のようでちょっと可愛い。愛され系男子を狙っているのか。そうなのだろうか。


「多分ボクとご主人様は価値観が違うんだよ」

 その一言で締めてしまった松葉は、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。

「でも、八重さまと一緒に居られなくなるぐらいなら、もう二度と花瓶は割らないよ。約束するって、本当さ」


 これほどアテにならない言葉を返されても全く嬉しくなかった。どうしてこのカワウソが息を吸うように悪事をしてしまったのか分かった気がする。

このアヤカシは、どこか致命的なものがズレている。それは良心とかエゴとか善悪の基準とか、様々なものが理解しがたい形で構成されているのだ。


「もう、いいわ」

 私は鼻を鳴らすと、腕組みをした。

みんなが起きるまで外に散歩でも行ってこようか。

松葉を無視したままで玄関まで行くと、何故か私の首元に腕を回された。セクハラである。


「ちょっと! くっつかないで!」

「え~、別にいいじゃん。ちょっとぐらい♪」

 そのまま私を抱きしめた松葉は、いたずらっ子のような笑顔を浮かべた。


「ご主人様、今日はずうーっと一緒にいようね。しっぽりと堪能するまで!」

「……調子に乗るんじゃないわよ! 式妖の分際で!!」


 ドカ! ゲシゲシゲシドス!


 私の肘鉄がぴったり密着していた松葉のあごにクリーンヒットする。そのまま、逆立ちをするように回転蹴りを何発か叩き込むと、その衝撃で相手は吹き飛ばされた。

サディスティックな気持ちになりながら睨み付けると、松葉は目を回して壁際で尻もちをついていた。

女だからって舐められたら困る。これでも、それなりに鍛えているのだ。

そのまま鳩尾を何度も踏みつけると、松葉がビクリと身動きした。

 ゲシ。ケシケシケシ、ゲシ!

仕上げに掬い上げるようにキックを入れると、倒れたバカな式妖をほったらかしにして私は朝の散歩に出かけた。

 ……溜まっていたストレスが発散されたような気がして、鼻歌まで歌ってしまったのは私だけの秘密だ。




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