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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
夏――ブルーの空の下で
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☆123 キスはアルコールの匂いがした




 それを見つけたのは、本当に偶然の出来事だった。どうにもあの後眠れずに、窓を網戸にして風を感じながらスマホの音楽をイヤホンで聴いていた最中の出来事だ。

二階の窓から見える湖を眺めていたところ、屋外の地上で何かの影が動いたことに気付いたのだ。

 ……犬か猫かしら?

 この近辺で飼われているのだろうか。

 好奇心から目を凝らすと、その2つのシルエットと共に、ガチャリと別荘のドアが閉まる音がした。

――人影だ。

一体誰なのだろう、こんな夜中に……。

夜闇でよく見えないけれど、耳を澄ますと聞こえてきたのはこんな会話だった。


「……鳥羽君、本当に湖まで行くんですか?」

 これは、白波さんの声だ。

少しおどおどしているようで、綺麗で可憐な声だ。男性が聴けば、おのずとイチコロになってしまいそうな声帯をしており、映画の吹き替え声優にだってぴったりだろう。

 夜の虫の音が響く外で、彼女の囁きはくぐもって聞こえた。


「ああ」

 返事をしている少年の声は、鳥羽のものだろう。聞こえる音だけで人物を特定するのは難しいけれど、こんな時間に白波さんと別荘を抜け出しそうな人物はこいつしかいない。


「行くぞ」

 2人の影が小道を歩きだすと、砂を踏むような靴音がする。それがだんだん遠ざかっていくのを確認した私は、無表情でカーテンの側から離れた。

 きっと鳥羽が白波さんを誘ったのだ。

2人でこっそり出かけるなんて、なんて気になることを……いや、危なっかしいことをするのだろう。鳥羽だけならともかく、神子フラグメントの白波さんは守ってあげなくてはならない対象だ。

 もしかしたら、その……まさかとは思うけれど、抜け出した先で2人がけしからん関係になってしまったらどうしよう。最後までは致さないだろう信用はあるけれど、恋のABCを私よりも先に駆け上がってしまったら……。大人の階段を上ってしまったら!

 白波さんが私よりも先に! よりにもよって私よりも先に!

 現在は旅行先だ。

旅先は、そーいう関係になりやすいと聞いたことがある。

もしも今、鳥羽に迫られたら白波さんは断り切れないのではないだろうか。

 渋面を浮かべた私は、自分の想像に寒気を覚えた。

……そして、一つの決断をすると、己の全身に虫よけスプレーをかけたのだった。




 彼らの行き先は知っていたので、後を追いかけるのは楽だった。外に出た私がなるべく物音を立てないように忍んで歩いて行くと、湖の畔のベンチに仲良く座っている鳥羽と白波さんを発見する。

 どうやら、不埒なことにはなっていないらしい。

 そのことに安堵しながらも、彼らの会話が聞こえる距離に丁度倉庫があったので、ドキドキしながらそこに身を隠した。私は変質者ではない。これは、正義の行動のはずだ。


「……だから、あれがわし座のアルタイルだよ。少し大きく光ってるのが分かるだろ?」

 天を見上げた鳥羽が、穏やかにそう言っていた。


「……あっ、見つけました」

 とある星を指差した白波さんが嬉しそうにそれに応える。くすくす笑っている彼女は、完全にリラックスしているようだった。

 ……天体観測?

私の膨らんだ想像に反し、2人のやっていることといったら至極健全な夏の星座の観察だった。

思わず赤面してしまう。私ったら何を考えていたんだろう。

 自分を恥じながらも耳を澄ますと、聞こえてくる会話はこんな感じだった。


「で、はくちょう座のデネブとこと座のベガを結ぶと……、夏の大三角形だよ。ほら、分かるだろ?」

「小学校で習ったオリオン座はどこですか?」


「あれは冬の星座だっつーの。星座は季節で見えるものが変わるんだよ」

「ほえー」

 どうやら鳥羽が白波さんに星座の見方を教えてあげているらしい。なんてロマンチックな奴だろう。絶対にからかったら怒るくせに、好きな子にはこんな一面もあったのか。

――絶対に、私にはこんな顔は見せてくれないんだろうな。

心の中に寂しさが去来する。私だって、鳥羽が自分に振り向いてくれる可能性なんて万に一つもないって分かっていた。

 始まる前から負けていた。

終わってないけど、終わっていた。

終わりすら分かりたくないくらいに、引きずっていたままだ。

いつか、この残滓が青春だったと思い返せる大人になれるだろうか。いい思い出だと笑い飛ばせるくらいに強くなれるだろうか。


東雲先輩と結ばれれば、私の気持ちは踏ん切りがつくのでしょうか。

……君のことが好きだったと泣けるようになるのでしょうか。


 分かっていた。涙が出ないのは、自分の気持ちに向き合えていないからだって。剥きだしの正体を見ないフリしていたからだって。

失恋から永遠に逃げ続けることなんかできないくせに、何やってるんだろう。


「ねえ、鳥羽君。星座って、誰かが決めたもの何ですよね?

不思議だと思わない? こんなに沢山の星があるのに、私たちのご先祖は一握りに名前をつけたの。

見つかっていない星だって、例え誰にも見えなくたって、光っていることには変わりがないのにね」


「……そうだな」


「私ね、人間だって似たモノだと思うの。誰にも評価されなくたって、ここでちゃんと息をしているよって云いたいの」

「ま、お前に星座を教えたって忘れちまうだけだろーしな……。そういう考え、俺は嫌いじゃないぜ」

 笑った鳥羽の声に、白波さんは天を仰いだままに呟く。


「……うん、忘れちゃうかも。鳥羽君が話してくれた星が何だったかは多分忘れちゃうと思う」

「……そーかよ」


「でも、鳥羽君に出会ったことは絶対に忘れないよ。何度も守ってくれたことも、こうして星と湖を眺めたことは、死んでもきっと覚えてる」

 静謐な言葉だった。

白波さんのこの発言に、鳥羽はこう返す。


「月之宮のことも、栗村のことも覚えててやれよ」

「……うん」


「できたらでいいから、星の名前も覚えててくれよ」

「……うん」


「でも、俺だって思い出せないことがあるから、お前を責められねーよ……」

「…………? 何を思い出せないの?」

 白波さんが不思議そうに首を傾ける。低い気温の中で、湖が波紋を立てる。星は空に瞬き、歌っているかのように光を彼らに投げかける。

鳥羽はしばらく逡巡していたようだったけれど、嘆息をしてこう言った。


「俺、もしかしたら記憶喪失なのかもしれない」

「え?」

 え?

突然打ち明けた天狗に、白波さんも物陰に隠れている私も固まってしまった。何を藪から棒に……そんなことって。


「だって、鳥羽君は頭がいいじゃない。あんなに記憶力が高いのに、記憶喪失だなんて……」


「そーじゃないんだよ。白波。

お前との思い出や授業は全部覚えてるさ。

……俺だって、何度も違うって否定したんだ。……だけど、もしかしたら昔の医者の診断は正しかったのかもしれないってどこかで思っちまうんだ」


「なんで……、記憶喪失かもしれないって思ったの?」

 問われた鳥羽が、なんだか懐かしそうに口を開く。


「俺な、今住んでいる街からは遠い山で生まれたアヤカシだったんだ。カラスの巣から落ちて、親に助けてもらえなかったヒナ鳥の死体から生まれたのが俺だよ」

「それって……」


「アヤカシに成ってからは1人で育ったんだ。人型になれるまではそうやって過ごしてきた。

……それで、ある時に何を思い立ったか山を下って人間の街までやって来たんだけど……そこで彷徨っているうちに行き倒れてさ。だっせーんだけど、警察の厄介になって孤児院に引き取られたんだ。

……で、肝心な俺ときたら街にやって来た理由をみんな綺麗サッパリ忘れちまったってわけ」


 それは気軽な口調だった。

現に、もう鳥羽はそのこと自体は気にしていないのかもしれない。いや、気にしていないことはないだろうけれど、過ぎ去ったこととして考えているようだ。


「忘れちゃった、んですか」

「ああ。すっからかんだ」


「そんな、そんなことって……」

「……笑うなよ?

最近だけどこう思うんだ。案外、お前に会うために俺は山を下ったんじゃないかって……気のせいだと思うか?」

 冗談めかしていたけれど、鳥羽は本気だった。


「え?」

「だから、フラグメントのお前と出会いたかったんじゃないかって云ってるんだよ」

 白波さんは絶句した。

鳥羽の吐露も予想外だったのだろうけど、それ以上に今の言葉のインパクトが強かったのだろう。


「う、運命の相手ってこと?」

「うん。俺はそう信じてる」


「だって、私なんて何のとりえもなくって……」

「だったら、これからも頑張って生きればいいだろ」


「泣き虫で、ぐずで、馬鹿で、忘れることばっかりで……」

 涙声になった白波さんに、鳥羽はこう言った。



「――好きだ。白波」



「ひょえ?」

「だから、好きだって云ってるんだっつーの。バカなお前には何度だって云ってやる。白波のことが好きだ。愛しているのLOVEだ。LIKEじゃねえ」

 照れくさそうにまくし立てた鳥羽は、フンと顔を背けた。

 こんなことを盗み聞きしてしまうなんて――。

流石に私の良心が疼いた。

一気に針山に転落したような痛みが心を貫いた。焼けるような悲しみが襲ってくる。


「帰るぞ。白波」

 白波さんからの返事を聞かないままに、鳥羽はベンチから立ち上がった。そのままつっけんどんに来た道を引き返していく。

放心状態になっていた白波さんも、慌てて彼の背中を追いかけていく。


「待って、待ってよ! 鳥羽君!」

「……何だよ」


「私、まだ好きとか嫌いとかよく分からないんだけど……っ でも、鳥羽君のことは大事に思ってるよ!」

「お前、俺の云いたいことをちゃんと理解してねーだろ!」


「ううん、分かるよ!」

 鳥羽を追いかけた白波さんも、真っ赤になりながらこう叫んだ。


「ありがとう! こんな私でも、価値があると思ってくれて、本当にありがとう!」

「……ったく」

 2人は、倉庫の影にいた私のことには気付かずに通り過ぎた。

気付かれなくて良かったと思う。こんなに泣きそうでくしゃくしゃになった私の顔なんか、見られたくないから。


「だー、もう帰るぞ! 酒のせいで眠い!」

「うん!」

 暗やみで顔は見えないけれど、白波さんはきっと笑っているのだろう。そうに違いない。そうじゃなかったら、私はどーしていいのか分からない。

鳥羽が白波さんに告白をした。

アイツがしらなみさんにコクハクをシタ。

痛いくらいに私の心臓が締め付けられる。

 ……切ないよ。


 暗がりでうずくまってその場に座り込んでいると、その感情で全身が焼けるようだった。帰らなくてはいけないのは理解しているけれど、身動きできないほどに辛い。

そうして10分以上じっとしていると、誰かが2人が去った小道を懐中電灯で照らしながらやって来るのが分かった。見つかりたくないと思っていたのに、その人物はあろうことか私の前に立ったのだ。


「……八重、そんなところで何をやっているんです」

 呆れたようにフッと笑ったのは、妖狐の東雲先輩だった。




「鳥羽のことが好きでしたか?」

 地面に座って顔を伏せている私に、東雲先輩はそう言った。


「……違います!」

「嘘を言うんじゃありません。そんなに霊力を乱しておいて、何もないと言い張るつもりですか?」

 違う。

私はアイツのことなんて好きになってなんかいない――。

何度もそれが本当のことになればいいと、心の中で洗脳しようと繰り返した。自己洗脳できれば、明日からも普通の顔ができるのに……、肝心な時にはどうして成功しないのだろう。


「……八重。勘違いしないでくれ。僕は別に怒ってはいない――」

 妙にそのセリフが白々しく聞こえた。


「――まあ、嫉妬してはいますが」

 それ、怒ってるのと大差ないじゃない。


「……ほっといて下さい。夜風に当たりたいだけですから」

 私が苦しい胸を抱えながら呟くと、東雲先輩はぐいとこの腕を掴んだ。


「看過できるわけないだろう」

「朝までここに居ます! 朝日が昇ったらちゃんと別荘に帰りますから!」


「君、もしかしなくても酔ってるでしょう! こんなところに酔っ払いを放置して帰れますか!」

「ちがうもん、酔ってなんかいないもの!!」

 感情のままに叫んだ私に、東雲先輩は強引に唇と唇を合わせた。

……え、キスされている?

思考がストップしてしまった私の唇から離すと、東雲先輩が苛立った表情になった。


「……やっぱり酒臭いじゃないですか。平然としているから大丈夫かと思いましたけど、厄介な酔い方をしますね、八重」

 淡々とそう告げられて、くらりと視界が傾いた。

頬が熱くなり、脳に血の気とアルコールが回る。よろけた私の肩が掴まれ、いつの間にか東雲先輩に抱きかかえられた。

心臓がどくどくと高鳴り、世界があっという間に書き換えられていくのが分かった。


 一度目がダストシュートで、二度目が鳥羽で、三度目はもしかして?


 恋に落ちていくのに理由なんて要らなかった。

好みの顔が間近にある。不機嫌に眉を寄せて、たくましい身体で私をお姫様抱っこしている。

もしかして、幸せってここにあるの?


「酔いが醒めたら忘れたなんて云わせないからな」

 吐き捨てられた言葉にも、どこかこのアヤカシは色気がある。

 自分が自分でないかのような瞬間だった。

思わず、目の前の美青年の唇に自分のものを当てた。私からの口づけに、東雲先輩が驚きで青い目を見張る。

しばらく重ねた後に唇を離すと、妖狐は顔を赤くして言葉に詰まっていた。


「帰りたいです、せんぱい」

 甘えた声が自分の喉から出た。

なんだか無性に、ベッドで丸くなりたい気分だった。


「……はあ。これじゃあ生殺しですよ、八重」

 ため息をついた東雲先輩は、どこか煤けた背中で私を別荘まで連れ帰った。無論、その後の進展なんて何も無かった。




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