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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
夏――ブルーの空の下で
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☆118 壊れた花瓶


 一杯になったお腹を抱えて、私たちは湖へとバスで向かった。といっても、大した距離ではない。精々15分くらいの距離だ。


「やっと着いた~!」

 希未が嬉しそうにこう言ったのを合図に、私たちはバスの外に飛び出した。そこは月之宮家所有の別荘の庭先で、黄色い向日葵が花壇で咲いている。

 別荘の外観は緑色の切妻屋根で、赤毛のアンに出てくるグリーンゲイブルズを彷彿とさせる。リンゴの木はないけれど、代わりにすらりと高い白樺が木陰を作っていた。


なかなかに大きな邸宅で、余裕でこの人数が泊まることができるだろう。パーティーだって開けるかもしれない。

赤レンガを踏みながら別荘の鍵を開けると、閉じこもった空気が鼻先に触れた。


「鍵、これで大丈夫みたいです」

 私がぎこちなく呟くと、山崎さんは幕末の攘夷志士のような笑顔を浮かべた。


「それは良かった。奥様から渡されてはいましたが、いざ使ってみないと真偽は分かりませんからね」

「これで偽物だったら大事よ。……そうならなくて良かったわ」

 今からホテルや旅館の手配はしたくない。座っているだけだったといえど、それなりに疲れているのだ。


「わあ……。こんなに豪華な建物は初めて……」

 白波さんがシャンデリアやステンドグラス、壁にかかった絵画を眺めて吐息を洩らした。

「まるでお伽噺のダンスホールの会場みたい」と彼女の赤い唇が動く。ここがフェアリーテイルなら、さながら白波さんはヒロインだろう。


 本人に自覚はないけれど、この宇宙も全天体さえこの子を中心に廻っているわけで、私の存在なんて脇役に過ぎない。そのことについて文句はないけれど、こうして白波さんが我が家の別荘にいる光景というのは結構絵になるものだな、と感じた。


「ふふふん。すごいでしょ。やっぱ月之宮家の資産様様だね!」

 得意になっているのは、何故か友人の希未だった。口端を上げ、ちょっと偉そうに腰に手を当てている。


「はふう……本当にすごいです! 誰に頭を下げたらいいですか? ……土下座でもすればいいですか?」

「しなくていいから」

 上気した表情でうっとりそう口にした白波さんに、私は思わず突っ込んだ。


 そこで、柳原先生の影にいた遠野さんがおずおずと顔を出す。

「あの……、月之宮、さん」

「なあに?」


「不躾な質問でごめんなさい……。あの、このお屋敷の、資産価値って……、いくらなの、かな?」

「不動産価格だけで軽く1億7千万ほどじゃないかしら?」

 私の返答に、遠野さんがくらりと立ちくらみを起こしそうになった。隣にいた柳原先生に支えられ、どうにか踏みとどまる。


「絶対に傷をつけないように、しないと……っ」

「いや、ちょっとくらいなら大丈夫よ。弁償させたりなんかしないわ」

 この程度の額なら、例え全焼したところで建て替えれば済むことだし。

 私が軽く笑うと、遠野さんの肌が青白くなる。


「常識が……、おかしく、なりそう……」

「ちょっと豪華な一軒家くらいに考えてもらえないかしら?」

 試しにこう言ってみたところ、遠野さんは頭を横に振った。柳原先生が、頭痛を堪えきれないように口を開く。


「あー、その。月之宮?

この別荘はちょっとなんてもんじゃなく絢爛豪華に見えるんだけどな? なんだ、この水準はお前さんの中では普通のことなのでしょうか?」

 質問の意味がよく分からない。

首を傾げて見せると、柳原先生は冷や汗を流し始めた。


「ヤバイ、オレの知ってる時代より月之宮家が更に金持ちになってやがる……!」

「知ってる時代より?」

 先生って、もしかして昔の月之宮家を知ってるのかしら?

……まあ、我が家は色々な筋で有名だから、この雪男さんの知識に記憶されていたとしても不思議ではないけどね。


「お前ら! 絶対にこの館の中の物を壊すんじゃないぞ! オレの給料じゃ払いきれないぐらいの額がするから!」

 突然の柳原先生の言葉に、みんながビクリと硬直する。鳥羽の顔は引きつり、白波さんは身を竦め、希未は欠伸をした。


「そんな臆病なことを云って……、まさかそんなことが起こる訳ないだろ」

 松葉がせせら笑うと、柳原先生は悲痛な声を上げる。


「瀬川も大人しく云うこと聞いて! 頼むから!」

「大体、そーいうアクシデントは滅多なことでは…………」


 ガチャン!

 …………あ。

無造作に手をついたカワウソのせいで、飾られていた華奢な花瓶が小テーブルから転落して粉々に砕け散った。

誰もが真顔になり、その時屋敷の中に入った東雲先輩は訝しげな表情をした。


「どうしたんですか、入り口で立ち止まっていると思ったらみんなで青い顔になって……」

 まだ現状を理解していない妖狐が、床で割れたクリスタルガラスを見つけて口を閉ざす。


「……これは……。誰がやった?」

「――蛍御前だよ! こいつが調子に乗ってパリーンって!」

 真っ先に犯人の松葉は神龍に責任転嫁をしようとした。焦った笑顔で周囲を見渡すも、皆が返すのは白い眼差しだ。

 コイツ……、性格に問題があるとは思っていたけど!


 罪を擦り付けられそうになった蛍御前が吠える。

「妾ではない! やったのは松葉じゃ!」


 それを聞いた東雲先輩が、目くじらを立てる。

「ほう……? それは本当ですか?」

 この冷めた空気の中で、松葉がうっとたじろぐ。小心者の白波さんが、慌てて口を開いた。


「あ、あの! 私、片付けるチリトリとか探してきます!」

「そうだな! おおお、オレも一緒に探してこようかな! 何だか、この先の展開がすごく怖いし!」

 ガクガクブルブル震えた柳原先生も挙手をして、同調する。ぎくしゃくしながら2人がいなくなったところで、私が発言をした。


「松葉……」

「な、何? 八重さま」

 これはお仕置きが必要なところだろう。このカワウソの心理を読むところ、一番ダメージの大きそうな言葉を探りながら、こう言い放った。


「しばらく、私の傍に来ないで」

 うぬぼれではないが、この式妖が一番執着しているものは自分だという自覚があった。

――あからさまに、松葉がショックを受けた顔つきになる。口をポカンと開けて、そこから魂が半分くらい抜け出ていた。


「そ、そんな……! ボクと八重さまのスペシャルホリデーがっ!」

「少なくとも、今日一日くらいは反省してちょうだい」

 そうだ。このカワウソに一番欠けているのは自己反省する殊勝な心である。このお仕置きがどれぐらいの効果を及ぼすのかはさておき、こちらだってあのふてぶてしい態度には怒っているのだ。

 ちゃんとした時に叱れてこその主だと思うし。


「月之宮、この花瓶ってどれぐらいの値段のものなんだ?」

「値段は問題じゃないの。……だけどそうね、ざっと30万円くらいじゃないかしら?」

 鳥羽の質問に、簡単な目利きをしながらそう答えた。

 あくまでも推定価格ですけどね。


「おっかねえ家だな。30万もする物をホイホイ玄関先に置いておくんじゃねーよ」

 鳥羽は少々びびっているようだ。


「これぐらいで驚いてたら、他の調度品に笑われるわよ?」

 くすりと笑って返すと、鳥羽は渋面を浮かべる。


「考えたくもねえこと、云うなよな」

「つまり、このクリスタルガラスの花瓶は各種ローンを差っ引いた柳原の給料と同じくらいですか」

 東雲先輩が面白そうな顔になる。


「……そうか。意外にあの雪男、高給とりじゃの」

「まあ、アイツの場合はいくら収入があっても本人の使い方が悪いんですよ。みんな本にかえてしまいますから」

 蛍御前の言葉に、東雲先輩が肩を竦めた。


「……お金なんて関係、ない。先生は充分魅力的、だから。……むしろ、お金持ちだとライバルが増えて、困るだけ」

 それを聞いた遠野さんが謎の主張をする。


「ふーん、遠野ちゃんも健気だねえ」

 希未がにっこり笑った。

そうやって割れた花瓶を前にてんで勝手な会話をしている私たちに、松葉が癇癪を起こした。


「みんなでボクを無視するな!!」


「……だったら、何かしら?」

 私の冷たい眼差しに、松葉が怯む。


「30万なら、すぐ用意するから……、だから……」

「お金の問題じゃないって云ってるでしょう。受け取る気なんてないわ」

「…………う」

 涙目になった松葉が、だっとその場から駆け出して二階に逃亡した。ついでに、こんなことを叫んでいた。


「うわああぁん、八重さまのバカあああぁああぁ!」

 馬鹿で結構よ。

私がフンとシカトすると、東雲先輩と目が合った。青い瞳には隠しきれない愉悦が浮かんでおり、どうにも調子が悪くなる。

 その時、白波さんの声がした。


「山崎さんに案内してもらって、やっとお掃除道具を見つけて来ました~」

「いやあ、久しぶりにこの館へ入ったものですから、どこに置いてあったかうろ覚えでしてな。お恥ずかしい限りです」


「結構入り組んだところに置いてあったから無理はないさ」

 白波さんと山崎さん、柳原先生がそう話しながらやって来る。今頃松葉は二階のベッドルームで泣いているのだろうか。


「見て下さい! この箒、すごく使い心地が良さそうなんですよ!」

「職人が作ったんだろ」

 嬉しそうな白波さんに、鳥羽が鼻で笑う。

そのまま鼻歌をうたいながら割れたクリスタルガラスの片付けを始めた彼女を眺めながら、私は重いため息をついた。




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