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悪役令嬢のままでいなさい!  作者: 顔面ヒロシ(奈良雪平)
夏――ブルーの空の下で
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☆104 艱難辛苦に踏み出せない人もいる


 そのまま、私たちはお昼近くになるまで思いつくままに遊びまくった。


頭を普段支配しているインテリジェンスは役目を放棄してしまったようで、私は子供に戻ったように東雲先輩とアトラクションの数々を楽しんだ。


 大人びた雰囲気を持つ妖狐もここでは童心に返るのかもしれない。ボートを漕いだ後は、空中海賊船パイレーツ、回転カップ、スクリュージェットコースターに連続で乗ったりした。それぞれの行列に時間をとられたりもしたけれど、これだっていい思い出だろう。


「あー、もう、最高!」

 思いっきり伸びをした私は、心の底から叫んだ。久しぶりに溜まっていたストレスが解消された気がする。アトラクションはどれも楽しいし、人様に迷惑をかけない限りならこうやって羽目を外すことも悪くないだろう。


「随分はしゃいでましたねえ……」

 露店で買ったオレンジの搾りたてジュースを私に手渡しながら、東雲先輩は呆れ笑いをした。そういう妖狐だって、口ではそんなことを言いながらも瞳が明るく輝いている。すごく充実している時間に、私たちは互いにくすくす笑った。


「ほら、八重。君の分のジュースです」

「ありがとうございます、先輩」

 この1、2時間でこれまで胡散臭くしか思ってこなかった東雲先輩を、近しく感じるようになっていた。

それは自分でも驚きの変化だったけど、なんだか懐かしくもある感覚でもある。


「そろそろお昼になりますね。待ち合わせは中央区のグルメストリートでしたよね? ……ちょうどここから路面電車に乗ればいい」

 適当に歩いているようで、先輩の優れた頭脳ではちゃんと道順を計算していたらしい。何も考えずに駆け回っていた私は、そのことが急に恥ずかしくなった。

 東雲先輩は大人なのに、自分の幼さに引け目を覚える。陰陽師の自覚や、父さんの会社の為……そういった部分を普段は排除して振舞っていたくせに、どうして私はこんなにタガが外れてしまったんだろう。


 OK,落ち着こう。もっと、冷静になった方がいい。


 火照った私が無言でオレンジジュースをストローで吸っていると、路面電車の時刻表を確認していた東雲先輩が突然後ろに振り返った。


「――――?」

 彼の白金髪が風に吹かれて舞い上がる。何かを警戒するような、鋭い視線だった。一体、何を感じたというのだろう……。漠然とした不安が私の中で深まった。


「どうしたんですか?」

 私が東雲先輩に訊ねると、息を詰めていた彼は張りつめた表情を崩す。


「いや……。多分気のせいですね。何でもありません」

「そうなんですか? でも、そのわりに……」

「どこからか少し視線を感じたような気がしたんですが……」

 猟犬のように身体を緊張させているくせに、私を安心させようとしているのだろう。なんてことはないと言いたげに手を横に振ってみせた。


「後ろからの視線って、八手先輩からじゃなくて?」

「多分八手ではないと思うんですけど……。まあ、こういうものは気にしない方がいいでしょう」

 東雲先輩がこんなに警戒する視線って何なのだろう? 胸にざわめくものを感じながら、彼の横顔をそっと観察する。

 白金髪に深海のような青い瞳をした、高校生ぐらいの冷涼とした美青年だ。年頃の乙女なら一目で恋に落ちるだろうし、今はいつもよりも親しみやすい気配をしている。


(もしも、この人がアヤカシだと知らなければ……)


 妖狐が歩くだけで衆目を集める理由に薄々察しがついて、自然と私の視線が冷たくなった。この女タラシめ。


「八重。あと5分後に路面電車がくるようです」

「そーです、か」

「いきなりどうしました?」

 別に、面白くないとか感じてなんかいないし。

両手を腰の後ろに組んで顔を背けて見せると、明らかに東雲先輩は慌てた。私が唇をとがらせてストローに口づけると、あっという間に紙コップの中身はなくなってしまった。

 ちょっと八つ当たりするようにダストボックスに紙ゴミを捨てる。軽く転がったコップからは氷が飛び散った。


「様子が変ですよ、八重。本当にどうしたんです」

「別に、これが普通です。いつも通りで、なんの変わりもありません」

 そうだ。むしろ、これがいつもの私だ。この妖狐との距離感をはき違えちゃいけない。握りつぶした恋心が芽生えそうになっているのならば、それと直視しなければいい。

 ――そうすれば、目の前のアヤカシを意識しない生活に戻れる?

 戻れる、はずだ。そうじゃないと困る。

 ……だって、鳥羽への気持ちだって殺しているのに、今更東雲先輩だけを特別にすることはできない。


 東雲先輩の表情が硬い。きっと、私も同じような顔つきをしているだろう。


「……八重……」

 吐息のように囁かれた私の名前に、なんだか不意うちで泣きたくなった。脳髄までも甘く私に染みわたっていく感情の正体はなんだろう。

それを恋と呼ぶにはまだ幼すぎて、かといってもうダストシュートのゴミ屑と一緒の扱いになんてできやしなくって。

 やけくそになって投げ捨てたはずの恋心が花開く瞬間を待っている。どんなに否定しても、きっとこのアヤカシは私のことを諦めないだろう。

そんな確信に満ちた予感がした。


「もうすぐ電車が来ますね、先輩」

 泣いても叫んでも、いつか私たちをこの先へ連れ去る路面電車が来るだろう――――いつもみたいに壁を作った笑顔で、私は東雲先輩に向かって笑いかけた。




 私たちは無言で路面電車に乗って、中央区へと向かった。スチームパンク風のレトロな赤銅色の車体は痺れが走るほどにカッコいい。

内部には緑色のクッションの効いたビロードの椅子があり、そこに座るとベルが鳴ってすぐに発車した。ガタン、ゴトンと音をたてて滑るように動いた電車は、思ったよりも滑らかに私たち2人を中央区まで連れて行ってくれた。

 停車場からグルメストリートまで徒歩で移動すると、とてつもなく芳しい匂いが鼻孔をくすぐった。ステーキとニンニク……それからこれはデミグラスソース?


 お腹も減っていた私は自然と顔がほころぶ。そんな姿に機嫌を直したと思ったのだろう、東雲先輩がホッとしたのが伝わってきた。


 私たちの間の緊張感がひとりでに解消されたけれど、それでも2人の手は重ならなかった。そもそも付き合ってもいないのに繋いでいたさっきまでがおかしい。

カニの食べ放題に、ラーメン屋さん、お寿司屋さんにトンカツ屋さんにケーキ屋さん。色々なお店があるけれど、どれも共通点は尋常ではなく混んでいるということ。どのお客さんも満ち足りた表情をしている。


「あっ、八重だ。やえー、わたしたちはこっちこっち!」

 私のことを見つけた希未が飛び跳ねながら嬉しそうにやって来た。蛍御前は、待ちきれなかったみたいでフライングに肉まんを食べている。その付き添いをしていた松葉はうんざりした表情をしていた。


「ちょっとご主人様! コイツら、人のお金で好き勝手に遊ぶんだよ!? 遠慮とかそーいうものが欠片もないんだけど!」

「えー? そんなもの、先輩と後輩の関係に必要かなあ?」

 希未がきゃぴるん、と頬に指をあててとぼける。流石に松葉のことが可哀そうになったけれど、蛍御前がそれに追い打ちをかけた。


「ふー、まずまずの味じゃの。これ松葉、次はあのクイニーアマンとやらを買うてまいれ。あの照りといい美味そうじゃ」

「こいつはこいつで、やたらと底なしに食うし! もういい加減に待ち合わせの昼になったんだから控えてよ!」


 はて、と蛍御前が松葉の抗議に首を傾げた。本当に不思議そうな顔をして、

「何故、妾が欲望を控えねばならんのじゃ? あの美味そうなパンは今しか手に入らないのじゃぞ?」と問いかけた。


「だからって、これからバイキングなんだけど? 食べ放題の店にこれから行くから、少しは辛抱してよ」と松葉は冷たい目をしている。


「だって、今しかあのパン屋には行かれないのじゃぞ! 今、この瞬間を逸したら二度と手に入らないんじゃ! そうじゃのう……、ええい、松葉に分かりやすいように例えるとすれば……お前たちは、惚れた女を有象無象の女子で諦められるような男なのかの?」

 140歳超えの神龍のセリフとは思えない幼稚さだ。

 けれど、私が呆れたのに反して、駄々をこねた蛍御前の言葉に東雲先輩と松葉が反応した。雷に打たれたかのようにくっと奥歯を噛みしめた松葉は、葛藤しながら膝から地面に崩れ落ちる。わななきながらこう口から零した。


「……そんな論法を持ち出すなんてお前は卑怯だ!」

「そうかの? 結局のところ恋も友情も仕事も、そこにある機会チャンスを掴むことが大事なのじゃ。踏み出さない他力本願なままでは何が起こったとしても文句を言う権利すらないぞ。この含蓄のある言葉が分かったのなら、ほれ。誰か妾に早くクイニーアマンを1個買うて参るのじゃな」


 蛍御前がせかしながら飛び跳ねる。その顔には食欲しか表れていないのだけど、けっこうキツイ発言を精神的に叩きつけられた気がする。

 私がいつまでも他力本意なままでは、何が生じても文句を言う権利すらない。

 そんなことない、と意見したかったけれど、蛍御前の言葉を否定しきれるだけの理屈は頭に浮かんでこなかった。

悔しさが先にやって来て、その後に胸の苦しさが訪れる。なるべく軽はずみな行動を控えて人外の機嫌を損ねないようにしてきたつもりだった。今回の遊園地は自分から提案したけれど、それだって蛍御前の要望があったから動いただけだ。


 私はいつの間にか自主的な行動もしてないくせに、思い通りにならないことは周囲が悪いと責任転嫁して暮らしてやいなかっただろうか?

そうじゃなかったのならいいのだけど、もしかしたらそうなる寸前だったのかもしれない。だって、そう信じることができたのなら、そっちの方が楽だもの。運が悪かった、周りが悪かった、環境が悪かった……そういう風にいくらでも愚痴をこぼせる。


 顔色の白くなった私をよそに、東雲先輩が穏やかに苦笑した。

「――それはそうですが、世の中には様々な理由で艱難辛苦に踏み出せない人もいるんですよ。神の視点では分からないかもしれませんが、どうかそういう人々のことも思いやってあげてください。僕としては、困難からは逃げることだってアリだと考えています」

「ふむ……、しかし……」


「ほら、クイニーアマンなら僕が買ってあげますから。あっちの店で売っているんですよね?」

「違う! そっちではのうて、向こうの店じゃ!」

「ああ、そちらでしたか……」

 財布を取り出した東雲先輩は蛍御前に連れられておやつを買いに行ってしまった。


残された私たちが困惑しながら顔を見合わせていると、ようやく起き上った松葉が悔しそうに言った。

「くう……、助かったなんて思ってないんだからな!」


 希未が思わずといった感じに呟く。

「なんかカワウソがツンデレっぽーい」

「ボクは別に狐に対してそんなこと思ってなんかない! 大体、あれのどこが含蓄のある言葉だよ! やりたいことがあったらすぐ行動するのなんか当たり前じゃないか!」


「ハイハイ、ま、瀬川はそーかもしれないよね。私だって似たようなとこはあるし。けどさ、それができない人だって世の中には一杯いるんだよ」

 希未は笑顔でツインテールを翻した。松葉の顔が皮肉気に歪んだけれど、意外にもその口から罵倒が出てくることはなかった。


 考えたら即行動のカワウソの悪行のせいで、どれだけ私や鳥羽が苦労したかを考えると、なんとも言えない心境となった。改善されたかと思えば今でもその浅慮なところは直ってないし。




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