★間章――鳥羽杉也
意味を見失った天狗の話。
記憶にある限り、物心ついた頃から1人で生きてきた。
草木縛りの杉也という名前も誰に名づけられたのか覚えていない。確か生まれ故郷に杉が沢山生えていたから、そこからとられたものだとは分かっている。
杉也の成長のペースはアヤカシの中でも遅い方で、人間の身体になれるようになるまでは不便なことも多かった。
小さな山でカラスのヒナから生まれ、そのままそこで長い間暮らしていた。友人も少なく、鳥たちは自分たちの上位である天狗をひどく恐れた。翼を持って生まれたことに劣等感はないけれど、広い空を飛ぶ時には漠然とした孤独感があった。
風を操るのは得意中の得意で、近辺のアヤカシと争う内に喧嘩は磨かれていった。無力な人間を殺したことはない。見下してはいたけれど、それは道に外れているから。
7歳ほどの人間の子どもの姿をとれるようになった時、何度か顔も忘れた男に連れられて麓の祭りを見に行ったことがある。おっかない天狗のお面が飾られていることに憮然としている杉也は、そこに人間との壁を感じたものだ。
独りでどんな時を重ねてきたのかは重要ではない。社会性は自然と身に付いたし、自分を哀れんだ覚えもない。
……何か用事があったはずだった。とても大切なことで、それを果たしに人間の街へと山を下ったのだけど、街中を彷徨ううちに気が付いたらその理由は見失ってしまった。
ハッと気が付いたら命同然の結晶核が半壊するほどに傷ついていて、その勢いのままに故郷を飛び出してきたらしい。どれほどまでに定められた運命を操ろうとしたというのだろうか――、そこまでの自殺未遂の行為に及んだ理由は何だったのだろう?
どこか喉に小骨が引っかかるような違和感があって、それを思い出せないことに恐慌状態に陥った。
茫然とした杉也のお守りだった銀の組み紐は怪しく輝いていた。
日に日に憔悴しながら街から街へと歩いていたら、いつしか警察に保護されてしまった。プライドが邪魔をして都合の悪いことには口を閉ざしていたら、記憶喪失と勝手に診断名がつけられた。
そんなはずはない。自分の頭におかしいことなど何もあるものか。育った山も覚えているし、これまでの記憶だって残ってる。
ただ、思い出せないことが1つだけあるだけで、それ以外はちゃんとした記憶を持っている!
保護された街で、気付けば杉也は小学校に通うことになった。表向きは両親がいることになっていたけれど、孤児院で引き取られたのだ。
――この結晶核が傷ついた理由が知りたい。
その一心と違和感を探る為だけに、人間の子どもを装って生活をすることにした。異能を隠すことは難しかったけれど、読み書きはしっかりしていたし、マナーも身についていた。簡単な算数だってできたし、周りが驚くほどに歴史の知識もあった。
まるで大人みたいな子どもだと評判になった。その言葉にドキリとしたけれど、それはごくありふれた称賛だ。
どんどん人間たちと混じって生活していくうちに、人間を嫌っていた意味が分からなくなった。いい奴もいるし、悪い奴もいる。それさえ分かっていれば、アヤカシの自分でも臆病になる必要なんかない。
アヤカシではなく、人間の知り合いばかりが増えていく。そのことに苛立ちを覚えた日もあったけれど、闇取引を再開させて自分の羽根や髪を売るようになってからは都合のいい存在としてわり切れるようにもなってきた。取引の相手をもう一度見つけるのには苦労したけれど、連絡がつけば向こうは喜んで術の媒体として高額で買ってくれた。
彼らは、孤児院から杉也を引き取ったことにしてくれたので、思わぬ進学の自由が生まれた。孤児院や警察の目さえなければ、この金でいくらでもいい学校に入ることができる。学業への楽しみも生まれたし、どうせなら大学まで行って高等教育を受けてみたかった。
勧められるままに、近隣の中学に進学をして卒業した。
そこで出会ったのが栗村希未だ。今では破天荒なキャラクターをしているけれど、その頃はもっと大人しい性格をしていた。ずっと勉強をしているのはいいが、「はい」か「いいえ」くらいしか自己主張をしないので、杉也と同じ私立慶水高校に合格するまでは教室の壁と同じくらいにしか思っていなかった。
てっきりこの中学で国内指折りの進学校に進めるような生徒は自分だけだと思っていたので、ひどく仰天した。けれどまあ、彼女が杉也という存在に興味がないのは昔からずっと変わらない。
自分が栗村希未を教室の壁だと考えていたとしたら、相手は鳥羽杉也のことをちょっと放置された雑巾としか思ってやいないだろう。
フラグメントの白波小春が進学先の高校にいたのは偶然だった。誰が何といおうと偶然だ。陰陽師の月之宮八重が聞いたら白々しいと鼻で笑うだろうが、本当に偶然の出来事なのだ。
他のアヤカシはわざわざ白波小春の匂いを嗅ぎつけて集まってきたようだが、杉也の場合は行きたい学校に何故かちょこんとフラグメントのおまけが付いてきたのだ。
闇のモノを惹きつける神々しい香りを身にまとった人間の少女に、杉也は疑いを抱いた。
もしかして、自分が里にやって来たのはこのフラグメントに会う為だったのではないか?と。
神の欠片を手に入れれば、アヤカシとしての格は上がる。ボロボロの残留思念核を持った杉也の身体は間違いなく回復するし、他にも使い道はあるかもしれない。
その下心に生唾を呑み込んだ杉也は、それを押し隠して白波小春に近づいた。これほどの香りのする神子なのだから、きっと対等なメリットのある関係になれるだろう……そんな杉也の予想は悪い意味で裏切られた。
――このバカ女、自分が神子だと全く気づいちゃいねえ!!
嘘だろ、だって生来神の名前だぞ? 自覚もなしにそれを与えられたなんてことがあるのかよ!?
授業もチンプンカンプン、体育もてんでダメ、できることといったら家庭科ぐらいといった惨憺たる有様の白波を眺めているのはそれほど悪い気分ではなかったが、彼女がこの学校に居ることが奇跡のようだ。
たった1人の友達である杉也が化け物なのだと全く知らずに、毎朝白波は杉也に笑いかけてくる。嬉しそうに……本当に感謝するように。
もしも自分の正体を知ったら、この女はどんな反応をするのだろう……。笑えることに、あのカワウソと戦うまではマジで悩んでいた。
最初は、神の欠片を奪うこともいいかと思っていたくせに、次第に白波の側に居ることが好きになってしまった。
バカな人間を見下していたのに、白波が無知なことに安堵するのだ。
俺の本性を知らないままでいればいい。殺意と血濡れを好む闘争心など、錆びて鈍らになってしまえばいい。
そうしたら、俺はもっとこいつに……人間に近づけるかもしれない。
あくまでベースが普通の人間である白波小春の寿命がいつまで持つのかなんて分からない。フラグメントとして欠片に反発しないでいられる時間がいつまで続くのかも予想ができない。
空なんて飛べなければ良かった。それを知らなければ最初から焦がれない。
白波のことを好きにならなければ良かった。もしも相手が剣を持てる月之宮だったのなら、俺はここまで殺伐とした自分を嫌になる必要もない。
二年で同じクラスになった月之宮八重が陰陽師だったのには驚いたけれど、考えてみれば杉也が天狗だと相手はずっと気が付いていたのだ。
カワウソの魔法陣だってアイツは俺の次に解読したし、その後だって膨大な霊力で共闘をした。
頭だっていいし、いつか壊すんじゃないかと怯えなくてすむ。
確信がある。もしも月之宮の方が白波より先に出会っていたら、俺は月之宮に恋をしていただろう。あの硬質な輝きを持った美しい陰陽師に惹かれていたのかもしれない。
そうであったのなら、俺はお前を運命の相手だと思ったさ。
……なあ、月之宮。どうして俺は霊力も持たないただの人間に惚れてしまったんだろう。
悩んでも答えは出ないけれど、白波に名前を委ねた神に一度でいいから会ってみたかった。
もしそうなったら、1つだけ聞かせて欲しい。
どうして白波だったんだ? って。
今、この瞬間テーマパークの中で、アトラクションに目を輝かせる白波が目の前にいる。嬉しそうに、野原を跳ねるウサギみたいにはしゃいでいる。
その姿を目に焼き付けたくて、鳥羽杉也は目を細めた。ツバサを持たない人間たちと同じように歩きながら、彼は青い空を見上げた。
――今日は、本当に綺麗だ。




