☆101 クリスタルレイン正門ゲート
バスの中には、小さなシャンデリアが設置されていた。数々のクリスタルガラスとベルベットのカーテンが掛けられた窓辺に寄り掛かっているうちに、目的地に着いてしまった。
――クリスタルレイン正門ゲート。
大勢の群衆が入場手続きの為に長蛇の列となっている光景に、目眩を覚えそうになる。流石にお金持ちばかりなのかブランドもののバッグを持っている女性が沢山いる。夏休みシーズンだということも手伝って、子ども連れの家族が多かった。
「それでは、月之宮家御一行さまはこちらの通路へどうぞ」
お客さんの列を丸っきり無視した支配人は、閉鎖されていた窓口の一つを特別な鍵を使って解放した。ジャラジャラと錠前の鎖が回収される様子に、群衆がざわめいている。
「――あそこのゲートも開いたんなら、当然わたしたちも通れるわよね!?」
長蛇の列から身を乗り出した客の1人が、私たちに近づこうとして警備員に止められた。けばけばしい化粧をしたおばさんで、同行人の男性はおどおどとしている。
「ちょっと! 何をするのよ! わたしは一五やの女社長よ!? わざわざこんな無人島まで来てやったお客様なのに、なんでこの警備員はわたしがあのゲートを通ろうとする邪魔をするのよ!?」
「お客様、あちらのゲートはプレミアムチケットをお持ちの方だけが通れる通路となっておりますので……」
「ぷれみあむぅ!? 何よそれ! 聞いてないわよ、どんな偉いVIPよ!?」
巻き舌で唾を飛ばしまくっているおばさんは、警備員に阻まれて怒り心頭になっていた。そのキンキン声は当然ここまで届いているわけで、私はメンドクサイものを感じてしまう。
希未が真顔で首を捻った。
「……八重、『一五や』って聞いたことある?」
「知らないわよ、そんな会社。少なくとも、月之宮家が懇意にしている企業じゃないわ」
「じゃあ、中小企業かぁ……。うっわ、あのおばさんヴィトンのバッグを振り回してるよー」
警備員に向かって手持ちのバッグを振り回し始めたおばさんに、希未がドン引きしていた。この破天荒な友人でさえ関わり合いになりたくないムードが漂っているようだ。
「その気になれば誰でも起業できる時代に、女社長とか云ってもアテになりませんよ。どうせあのバッグも偽物なんじゃありませんか?」
東雲先輩も辛口だ。遠野さんが意味ありげに柳原先生を見る。
「……先生、あの人ちょっと怖いです」
「オレもあーいう手合いとは関わりたくないわな。バッグが偽物かどーかはともかく、なんかブルドッグみたいな感じだし」
ブルドッグとは言いえて妙だ。そのおばさんの首元に垂れ下がった皮膚は確かに似ているし、吠えまくっているところもそっくりだ。
頭が痛そうな支配人が、私たちをそそくさとプレミアムゲートへ誘導した。
「たまにいらっしゃるんですよねえ……ああいうトラブルを起こすお客様が。……さあ、早くこのゲートをくぐって下さい。一日券は持っているだけでセンサーが感知してくれますから大丈夫ですよ」
「ちょおっとぉ! 無視するんじゃないわよぉ!!!」
おばさんの怒声に松葉が舌打ちをして嫌そうな顔になる。率先して一番乗りでゲートをくぐりながら、こう言った。
「…………アイツ、酒でも飲んでんじゃないの?」
ピンポーン、と鳴った機械音と共にゲートが開き、松葉は身をかがめて現場から離れる。私たちは顔を見合わせると、急いでこの場から離れることに決めた。
近くにいた順番に蛍御前、希未、遠野さん、柳原先生……とゲートの向こうへいなくなったところで、警備員に捕まったおばさんがまさかの行動に出た。
「何よ、あの茶髪のちんちくりん! どこがプレミアムチケットよ! ただの貧乏そうな高校生じゃない!!」
おばさんに指差され、罵倒された白波さんが目を丸くした。
「え、え、ええ……っ」
「ちゃんとしたバッグの1つも持ってない! 化粧もしてないし、服装からして庶民って丸わかり! 捕まえるならあっちを捕まえなさいよ!? ほら、早く!」
「そ、そんな、バッグって云われても……ふえ……」
白波さんの澄んだ瞳にみるみるうちに涙が浮かんでくる。頑張ってオシャレをしたんだろうに、こんな公衆の面前でけなされたんじゃ気の毒だ。
そのおばさんの主張に追随するようなひそひそ声が辺りに広がった。誰もが夏の屋外で並ぶことにうんざりしていて、驕る成金も少なからずいた。私たちへの好奇の視線が飛び交っていく。
「白波……」
怒った鳥羽が、白波さんの肩に手を乗せる。眉間にはこれでもかとシワが寄っていて、このままだと跡がついてしまいそうだ。
「まあ、あんな調子で吠えていればこのパークからつまみ出されるのも時間の問題でしょうね。しばらくは傍観していましょうか。八重……、あれ? 八重?」
そう云っていた東雲先輩は、私から反応がないことに気が付いて眉を上げた。それもそのはずで、私は形容しがたい不快さに呑み込まれそうになっているところだった。
「どうしたんですか?」
どうしたもこうしたもない。
金さえあれば何をやっても許されるとでも思っているのだろうか。あれを自分と同じ人間だと思いたくない。いや、思わなくても許されるだろう。
あんな奴は私の守るべき人間なんかじゃない!
「……ブランドバッグがあったら何だっていうのよ」
自分の口をついて出たのはこんなセリフだった。自然と冷やかな態度になってしまう。私は思いっきり蔑むような眼差しで、口端をつり上げた。
「ブランドバッグの1個や2個で人間の価値なんて測れないわ。少なくとも! 私は友達の基準をそんな尺度で決めたくない。
このパークで遊ぶにはお金が必要だけど、それ以上に求められるのは客としての品性よ。そうよね? 支配人」
「その通りでございます。お嬢様」
支配人は拍手をしたいぐらいの心境を隠せず、笑みを深くした。そして、パチンと指を鳴らす。
「その方……一五やさんには丁重にお帰り申し上げなさい」
このテーマパークを取り仕切る支配人の合図に、複数の警備員がすぐさま動いた。彼らに取り囲まれたおばさんは、顔色を変えて暴れたけれど、ずるずる地面を引きずられてどこかへと連れ去られていく。おばさんと同行していた男性は、周囲にぺこぺこ平謝りをしていた。
「すみません、家内が本当にすみません……」
どうやら、彼の奥さんが失礼を働くのはいつものことのようだ。綺麗な45度の礼を辺りに大盤振る舞いだった。
あのおばさんが場外に退去処分を喰らっても、私の憤りはまだ沈静化していない。先ほどまで頭に来ていた鳥羽は、呆気にとられたように私を見ていた。
「月之宮、お前……」
「何よ?」
「……いや、何でもない」
何かを言いたそうにしていたけれど、口をつぐむことにしたらしい。天狗のそんな煮え切らない態度にもイライラが増していく。
「どうせ、私の言葉はただの綺麗ごとだって云いたいんでしょう。ふん」
私がそっぽを向くと、鳥羽は困り顔になった。そのまま困惑しながら、
「綺麗ごとっつーか、まあ、庶民が云ったら負け惜しみになりそうな論理だとは思ったけどさ……、そこまでキレるなよ。月之宮。白波がバカにされるのなんかいつものことじゃねえか」
鳥羽に促され、白波さんが涙目で頷く。
「ほら、悔しくなんかねーよな? 白波」
「は、はい……」
嘘つき。
周りを安心させようとぎこちなく微笑んだ白波さんに、私は自分の感情が荒れ模様になっていくのが分かった。
――傷ついてるくせに、この子はみんなの為にすぐ笑う。
「嘘ばっかり云わないで。悔しいって感じてるくせに、どうしてそう云わないのよ。私は少なくとも、白波さんはけなされて当然の人間だとは思わない」
不機嫌な私の切り返しに、白波さんは驚きの表情になった。半開きになった口が、彼女の心境を如実に表しているだろう。
「いくらバカでも、例え貧乏だったとしても、だからって白波さんが侮られていいっていう理由になんかしちゃダメなの。白波さんには白波さんのいいところがあるし、私は自分の友達にこんなふざけたことで泣き寝入りなんかして欲しくない」
白波さんにこの苛立ちが分かるだろうか。
いくら頑張っても、努力しても手に届かないものがある。
お金があったって、関心はもらえても人の心は買えない。アヤカシの心だって、思うままになんかならない。
それなのに、どうして私の敵わない主人公を第三者にけなされなくてはならないのだ。欠点ばかりを嘲笑われているのに、どうしてこの子は毎日笑顔を作ることができるのだろう。
悔しい。
もしも白波さんが本当に価値のない人間だとしたならば、どうして彼女のことを鳥羽が好きになるだろうか。私の葛藤は無駄であったということなのだろうか。
「……八重。ちょっと落ち着きなさい。先にゲートをくぐってしまった方がいい」
東雲先輩はどこか複雑そうに言うと、ぐい、と私の背中を押した。彼の誘導で、自然と足はプレミアムゲートの中に入る。ピンポーン、と機械音が鳴ると同時にバーが開いてしまったので、仕方なく私は遊園地の方に抜けた。
記憶の彼方にあったクリスタルレインの街並みが目の前に広がった。足下に敷き詰められているのは素焼きのタイルで、マイナスイオンをまき散らしていそうなドでかい噴水が視界に飛び込んでくる。わけのわからない金属製のモニュメントたちと一緒に、高い樹木が木陰を人間に提供していた。
生温かい空気を肺に吸い込み、私はゲートの方に振り返った。
すぐに通路から現れたのは東雲先輩で、彼はつかつかとこちらに近づくとおもむろに私を片手で抱きしめてきた。
私の頭が妖狐の胸にすっぽり収まる状態となり、怒っていたはずの精神が急速に醒めた。
「な…………っ」
「すみません、なんだか無性に君を抱きしめてあげたくなって」
こちらが抵抗する前に、身体を離した東雲先輩は苦笑していた。ブルーの瞳が少し切なそうに揺れている。
「こ、こんなところで止めて下さい」
何を言っているんだ、自分。ここじゃない場所でも、異性にハグされるのは困るだろうに。
東雲先輩は、私の言葉をしらっと聞かなかったことした。非常にずるい。この人がずるいのはいつものことだけど、それでも少しムッとしてしまう。
「ちょっと、先輩――」
「あーあ。白波さんったら泣いていますよ。そりゃあそうでしょうねえ……」
私が抗議しようとした時、東雲先輩はため息をついた。その視線の方向はゲートを通ってきた白波さんに向けられており、その言葉のお蔭で私は彼女が泣いていることに気が付いた。
白波さんは、しゃっくり上げていた。
「あ、あの、ごめんな、さい……。あんまり、見ないで……」
こんなに涙をこぼすぐらい、私の怒りは怖かったのだろうか。ボルテージが一気に下がっていき、頭が冷えた。
遅れてやって来た鳥羽に私が助けを求める視線を送ると、鳥羽はどこかいたたまれなさそうな反応を返す。
「ちょっと! 白波ちゃんが泣いちゃってるじゃん!」
お節介な希未が私に飛びつきながら、こう言った。蛍御前と松葉も私たちの状況に気が付いたようで、目を丸くする。
「……おいおい、月之宮。白波はどうして泣いてるんだ?」
サングラスをかけた柳原先生が心配そうに訊ねてくる。不審者のような恰好だけど、一応先生モードに入っているらしい。
「それが、その……。さっきのヒスおばさんに白波さんが因縁吹っ掛けられちゃって……。それでつい、私がみんなの前でキレちゃって……」
「月之宮がキレただと? ……そのおばさんはまだ人の形をしているよな? バラバラ殺人事件とかになってないよな?」
……なんで私がそんなことをすると思えるんですか。悪夢に出てきた鳥羽じゃあるまいし。
引きつった笑いを浮かべる柳原先生の冗談に、私は無言で冷やかな眼差しを送った。
「悪い、悪い。そーなってないならそれでいいんだ、うん!」
慌てて先生は手のひらをぶんぶん振る。
「……早く泣き止んだ方がいいと思う。みんなが、私たちのことを見てるみたい」
遠野さんが私たちに囁いた。その言葉に辺りを見渡すと、先ほどの騒ぎを知っているお客さんたちが泣いている白波さんや私に注目していた。
「ほんに泣き虫な奴よのお……あれっぽっちのことだというに」
蛍御前は呆れの眼差しで白波さんを見る。龍の肝っ玉の大きさは知らないけれど、人間サイズよりは大きくできているのかもしれない。……少なくとも、白波さんよりはでかそうだ。
「……ぁ、あの……違ぅんです。怖かったのかも、しれないけど……それだけじゃなくって」
白波さんは、泣いたままでどうにか笑顔になった。それは気のせいかもしれないけど、何故かこちらに固定されていた。
「あの、また月之宮さんに守ってもらっちゃったなって……。しかも、前みたいに友達だなんて言ってもらえて、それで嬉しくなったら涙が出てきちゃったんです」
どこまでいい子なんだろう――これまで白波さんに気後ればかりしてきた私の心が、小さく震えるのを感じた。
最初は哀れみだったのかもしれないけれど、嫉妬もわずかにしているかもしれないけれど、それだけで片付けていい気持ちなのだろうか?
もしも私が男子であったなら、一目惚れする瞬間とは今だろう。だけど、間違いなく女子カテゴリーに分類される私の心はその方向にいくのを回避した。
あーあ、結局私もこうやって自覚せぬまに傷が癒されていくのだ。
「…………」
私は、赤面をした。
それを松葉と希未が面白くなさそうに見ている。遠野さんは無表情のままで、柳原先生の側にくっついているし、蛍御前はぽりぽり頭をかいている。
「わ、私、本当に女の子の友達が少なくて……だから、月之宮さんさえ良ければ一緒に幸せになりたいなって……!」
ん? 一緒に幸せになりたい?
パードゥンミー…………それって、私と結婚したいってこと?
近くで白波さんの言葉を聞いていた鳥羽が思いっきり噴きだした。ゲホゲホとそのままむせこんでいる。
「おま……っ お前、月之宮に求婚してんじゃねえよ……っ」
鳥羽が代弁してくれたようで何よりです。
「ええっ けっこ、結婚!?」
白波さんが頬を紅潮させて驚きの声を上げた。その反応に面白さを感じた私は、白波さんの両手をとって笑いかけた。
「ええ。一緒に幸せになりましょうね」
……もしかしたら、守り続けたその行く末は白波さんだけが幸せになる未来になるかもしれないけれど。
「……八重。冗談に聞こえないし、東雲先輩がすっごく怖い顔して笑ってるから……」
希未が怖々と発言をしてきた。その言葉に東雲先輩の方を見ると、事務的に微笑んでいた。松葉も似たり寄ったりの不機嫌モード。鳥羽は冗談のせいか硬直していた。
涙を拭った白波さんから、私は慌てて距離をとる。
「では、妾はこの遊園地を巡ることにしようかのう……松葉、早く案内せい」
蛍御前がチラチラと私や東雲先輩のことを見ながらこんなことを言った。ふふん……と不気味に笑っている。
「はあ!? ボクは八重さまと一緒にいるってもう決めてるんだけど!?」
「そんなことは関係ないのじゃ。妾は松葉に付いていくからの。東雲よ、八重のことはよろしゅう頼んだぞ」
「なんでボクがこんな目に遭わなくちゃ……っ」
盛大に嫌そうな顔をしている松葉に、私が不安を覚える。このまま野放しにしたら、他の客に危険なのではないだろうか。
「あの……だったら私も……」
「大丈夫! 八重は東雲先輩と楽しんで来たらいいよ! 私が責任をもって蛍御前のことを見張ってるって!」
希未が胸を叩いてそういい切った。こちらも東雲先輩にウインクを飛ばしている。
「安心せい、妾は普通の人間のように大人しくなろう。これでも長生きはしておるからの、ちゃんと今だって溶け込めておるじゃろう?」
水色の髪に金色の瞳をした蛍御前が、黒髪黒目ばかりの日本のテーマパークに馴染んでいるとは思えない。今だって、その神秘的な見た目に新しいキャラクターの1人なのではないかと周りのお客さんが誤解しているのが伝わってくる。
「ボクは一緒に回るなんて云ってないからね!」
「……ほう、妾に負けておきながら、逆らう気かの? 水妖の分際で、水龍の言うことが聞けぬというか?」
蛍御前の威圧に、松葉がたじろいだ。両者の力量差はハッキリしており、ここで反発しても無駄だと分かったカワウソは項垂れてしまった。
彼らを信用しても大丈夫なのだろうか。ここで別行動をとることは、陰陽師としての職務放棄にならないだろうか。
っていうか、そもそも私は東雲先輩と2人っきりになりたいとは思っていないんだけど……。
「ははは! 八重。せっかくですし、2人で行動しましょうか」
なんで先輩の中では確定しているんですか。
喉の奥で笑いをころがしながら東雲先輩がそう言った。
振り返ると遠野さんはしっかり柳原先生の手を握っているし、鳥羽は白波さんにハンカチを差し出していた。
なんだか、邪魔ができない雰囲気?
でも、蛍御前を1人にするわけには……。
承諾しそうにないのが私の顔に出ていたのだろう。蛍御前はつまらなそうにため息をつくと、松葉と希未の腕を強引に掴んだ。
「それでは、妾は退散するのじゃ! 昼になったら中央区で会おうぞ!」
物凄いスピードでいきつく間もなく走り出した蛍御前は、松葉と希未を連れて私を振り切ってしまった。かき分けられた人の群れは、あっという間に元通りになって彼らの背中を隠してしまう。
茫然と立ち尽くしている私は、見事に東雲先輩とこの場に取り残されてしまった。
……しまった、やられた。




