77話 希望という名の絶望
嘘だ。
ロダン王子の意地悪だ。
不思議な景色を子供が見たがっているから、それは騙されたんだと意地悪を言っているだけだ。
池はあった。池の中央に祠も見えた。
風が吹けばさざなみ立ち、静けさだけが時間を編み込んでいく。
『時折』だから、『今』見えないだけだ。すがるような気持ちで池を見ていた。
日が暮れて、夜になる。
わたしは座ったまま、ひたすら池をみつめていたが、帳が降りてきても何も起こらなかった。
待っても待っても何も変わらず、そしてとうとう夜が明けた。
「ロダン王子の言葉を信じないのですか?」
影が音もなくわたしの横に立つ。
「何をしに来たの? 取引は成立したでしょう?」
自分の声の低さに驚く。
「今、あなたをどうこうする気はないです。取引しましたからね。……いつまでここでぼんやりするつもりなんですか?」
「あなたに関係ないでしょ」
「おかしな風景が見えることなんて、ありませんよ」
ゆっくりと影を見上げる。
「あれは私が流した嘘ですから」
彼は整った人形みたいな顔で言い切る。
人はなぜ、希望にしがみついてしまうんだろう?
わかっていたのに。希望を持たないようにしていたのに。
もう戻れないことは、最初からわかっていた。そう最初から。
最初に神様が言ったからだ。わたしは輪廻から外れた存在だと。輪廻という言葉自体、社会の教科書に3行ほどの注釈で出ていた記憶しかないが、そんな小さな知識でも、輪廻から外れるということがどういうことかは、想像ついた。もし、少ししか知らないからそう思うだけだったら、本当に嬉しいけれど。
絶望したくないから、考えをフォーカスさせないでいた。それなのに、もしかしてとまた希望を持ってしまった。元の世界と繋がる何かがあるのではないかと。
その噂は作られたもので、しかもわたしをおびき寄せるためのものだった。
「希望を持たせて、絶望に追い込んで。あんたたちロクでもないよ。だからアルバーレンは嫌い。絶対に行かないから」
どうして希望を持ってしまったんだろう。わかってたのに。わかっていたのに!
馬鹿みたい! 馬鹿みたい! 馬鹿みたい!
みたいじゃなくて、まさしく馬鹿だ。なんで、もしかしたらなんて思っちゃったんだろう。
あるわけないのに! 絶対ないのに! なぜ希望にみっともなくしがみついてしまったんだろう。
悔しいのか、哀しいのか、腹がたつのか、もう、よくわからないけど、気がつくと声をあげて泣いていた。
わたしはなんで泣いているんだろう。悲しいの? 哀しいの? 辛いの? 悔しいの?
何が悲しいの? 何が辛いの? わたしは帰りたいのだろうか? 確かに帰りたい気持ちはある。特別ないい人生を送っていたわけではないけれど、わたしはそれなりに幸せだった。便利で楽で、誰かが作ってくれた制度や物の上にあぐらをかいて当然のように座っていた。そこに帰りたくて帰れないから哀しいのだろうか。
ここで、モードさんとも知り合うことができて、16人もの家族ができて。なんとか生きていけるだろう術もある。それがわかるぐらい、ここで時間は流れてしまった。それでも、帰りたいのだろうか?
ああ、そうだ。わたしは希望を持ちたかったんだろう。繋がる何かがあると思いたかった。だからモードさんに会いたいと口にしつつ、こんなところにのこのこやってきた。ロダン王子にそんな景色は見えないと、おびき寄せるための罠だと聞いたのに、嘘じゃないと思いたくて、池をずっと見ていた。こんなに泣いて泣き止めないほど、しつっこく元の世界との繋がりを求めていた。それが帰りたがっている何よりの証拠だろう。けれど、そんな想いを自覚させられただけで、わたしの想いは決して叶わないのだ。
騙されて悔しい? 計略にのってしまった浅はかさに腹を立てている? それもあるだろう。
噂は聞いた人が帳尻を合わす、まさにその通りだよ。いいように解釈してた。
因果応報、か。少し前まで、噂を広めようとドタバタしていた。こんなふうに自分に返ってくるとは! 噂がそういうものだって、人々が作り上げていく噂に信用ならないと思っていたのに。知っていたのに、自分だってこんなに簡単にハマっていた。
お腹を空かせてお菓子の家に飛びついたヘンゼルとグレーテルを見たときみたいに、仕掛けた魔女はきっとほくそ笑んでいる。
わたしは帰れないんだ。帰る術がないんだ。帰るところがないんだ。わたしは二度とあの場所ヘは帰れないんだ。それが現実だ。どんなに希望を持っても、抗ってみても、叶わないのが事実。
頭がガンガンする。ゆるゆると目尻に伝う涙を手で拭く。でも、まだ流れてくる。拭き取るのも諦める。
こんな泣き方をしたのは子供の時以来だ。わたしは小さい頃から、頑固だと言われた。自分が悪かったと納得できなければ決して謝らなかったので、長い時間怒られることになる。何がどう悪かったのか説き伏せられるのだが、なんでわたしの思いをわかってくれないのだと泣きじゃくることになり。ひどい泣き方をした後は頭が痛くなり気持ち悪くなって起き上がれなくなるか、吐くということがよくあった。だから親も吐くのには慣れていて。吐きそうになるとトイレに連れていかれ、終わるまでは背中をさすってもらったり、塩水を用意してもらったり、優しく接してもらえるのだが、落ち着いてから、大丈夫かと聞かれ、大丈夫と答えると、そこからお説教の続きが始まる。我が親ながらあの変わり身は絶妙だ。介抱する時は優しく、その数秒後に、またすぐあのテンションに持っていけるのは、一種のスキルだと思う。泣いて起き上がれなくなるのも、目も開けていられなくなるので、中断される。大丈夫になると、そのまま寝たフリとかすればいいのに、馬鹿だから目を開けてしまい、復活したとわかって、そこからまたお説教が始まった。
思い切り泣く、起き上がれなくなるか、吐くを繰り返し、わたしは少しずつ学習した。苦しいので、怒りを膨らませすぎないように。苦しいから、悲しみに振り回されないように。そうやって泣くのをセーブするようにして大人になったのに。今ここで完全に感情に振り回されてしまった。
辺りはすっかり明るくなっていた。顔をあげ、影と目があうと、彼は目をそらした。まだいたのか。
「ひどい顔になってますよ」
「うるさいなー」
目の辺りは赤くなり腫れているに違いない。鼻はブクブクだし、涙はそのままだし、自分でも直視しがたい状態であろうと想像がつく。
こいつ空気が読めないやつだ。誰のせいでこんなことになったと思っているんだ。
ガンガンガンガン頭に響いている。
「この計画を話した時、王子にはやめろと言われました、あなたを傷つけるから」
「でも結局通したんでしょ。わたしを傷つけてでもおびき出したかったんでしょ?」
「あなたを傷つけてでも、保護したかったのです。他国があなたを探し回っているから」
「他国の方がわたしが幸せとは思わないわけ?」
影が少し間を開ける。
「そんな国があれば良いですが。あなたの性格だとすぐに火種になり、拷問にかけられることになるでしょう。どんなに価値があったとしても思い通りにならず、そして他国に奪われるぐらいなら殺してしまえというのが統べるものの考え方なのです。あなたが他国に捕らえられたら、殺されてしまう。だからそれを避けたかったのです」
「あんたたちが関わってこなければ、誰もわたしをそうだとは思わない」
「……そうでしょうか? あなたの正体がどうであれ、あなたは価値を見い出されて囚われるでしょう。現に帝国の皇子に連れて行かれそうになっていたじゃないですか」
「………………」
あれはソレイユが血迷っただけだと思うけれど。
「帝国の皇子だと気づいていましたか」
答える必要はないと思うから黙りだ。
あー、気持ち悪い。頭が痛い。脈打つようだ。
「ただ、王子のいうあなたが傷つくということを私は正確には理解していなかったようです。私には帰りたいところがない。だから、あなたが帰りたがるのも、そうなのだろうとは受け止めていても、心が折れるほどの哀しみを負うとは思っていませんでした」
影の言葉で納得する。わたしは心が折れたんだ。もう、痛いんだか哀しいんだかよくわからない。
「……誤解があるようですが、王子の目的はあなたの保護です。今回は引きますが、次は保護されてください」
頭がすっきりしない。酸素が足りないみたいに、ぼんやりしてくる。
「いつまで人を眺めているのよ。どっか行って」
こいつの前で起き上がれなくなりたくない。
「私は王子の従者になる前は、拷問を専門にしていました」
そんな情報いらないし。
「拷問には観察能力がいるものでしてね」
なんなんだ、こいつは。
「拷問を続けると元気はなくなっていきますから、あなたほど元気な方はいませんが。今までの経験からいうと、あなたはあと数分で眠るでしょう。ですから宿にでもお届けしようと思いまして」
どっか行ってに対する答えだったのか。
「放っておいて。あんたの国の世話になりたくない」
キッと睨みつけておく。でも行こうとしない。もう、頭が痛いし気持ち悪いのに。
「どっか行ってって言ってるでしょ」
聞こえてないとばかりに、まっすぐ池を見ているだけ。
小石を拾って影に投げつけてやった。彼は逃げずに当たった。
もう少し大きな石を投げてやった。足に当たる。痛かったはずなのに、微動だにしない。
「どっか行って」
握り拳大の石を拾い上げる。
「投げるよ。頭に向かって投げるから。威嚇だと思ってる? 本当にやるよ、わたしは」
さすがに怒ったのか、わたしに近づき、石を取り上げた。取り上げた石で自分の頭を叩いた。
嫌な音がして、当てたところから血が出ている。
「な、何して」
「これ以上あなたを傷つけるわけにいきませんから。私を傷つけたら、そのことをあなたはまた気にやむでしょう?」
だから自分でやったと言わんばかりだ。
ポーションを取り出して影に放り投げる。影は受け止めた。
「……なんでセオロードだったの? なぜセオロードにある祠に仕掛けたの?」
「王子に言われたんです。ハナ様が生きているとしたら、絶対にアルバーレンから逃げるように遠くへ行くはずだと。不慣れな、資金も持っていない女性が、アルバーレンから逃げようとして、カノープス大陸へ行こうとするかもしれない。ですからセオロードあたりには来るかと思ったんです。まぁ、どんなに足が速くても、まだまだ引っかからないと思っていたんですがね」
「なんで、わたしってわかったの?」
姿も、年も変わっているのに。
「正直、あなたがこの泉に来るまでは半信半疑でした。
ハナ様を思い出させたという3歳ぐらいの少女が、あなたと同じ髪と瞳の色でした。そしてまた王子がトントの街で気になり会ってみたいといったのが、3歳の男の子の振りをした女の子と髪と瞳の色が同じでした。王子の勘は外れることがない。その時に何もなくても、未来で必要とする何かであることは間違いないのです。
王子が呼び出した時は、違う少年でしたね。嘘はついていなかったようですが。王子は彼にはすぐに興味を失いました。嘘はついていないけれど、違う少年なのではと思いました。あの街で偶然ですがあなたに会ったでしょう? 髪と瞳の色で、王子が会いたいと思ったのは、私を見て驚いたあなただったのではないかと思いました。
確かめるために、あなたと直接話そうと思いました。あなたに会いにいけば、帝国の皇子に連れ去られそうになっている。ちょうどよかったので逃げ出したあなたを追いかけました。あなたと話した印象で、ありえないのに、あなたがハナ様である気がしました。年齢まで変えられる魔法は聞いたことがありませんが、もしかしてと思いました。でも確信はなかった。けれどあなたは、この祠に来た」
「物珍しい風景を見に来ただけ」
「確かに物珍しい。話の種にはなるかもしれない。でもそんな見たこともない風景は、行ったことのないものには、見たいと赴くほどの価値はありません。余程の変わり者か、……いえそんな者はこの世界のどこを探してもいないでしょう。現に今まで他所から祠を見にきた者はいません。そんな景色に惹かれるのは、その景色を見たことがある異世界人であるあなただけです。鑑定でも照合でも見破れない姿替え、子供の姿。全くもって不可思議ですが。ハナ様を彷彿させる話運び、そしてここに来たことで確信しました」
そのお見通し感がムカつく。
もう、どうでもいい。なんでもいいや。
ああ、もう、なんか疲れた。
疲れちゃったよ、モードさん。
覚えていたのはそこまでで、次目覚めたのは、宿屋のベッドの上だった。しかも起きたのは次の日の朝だ。ほぼ1日眠ってしまった。聞いたところによると、影がお金を払っていってくれた、と。
これからどうしようとぼんやり思う。
読んでくださって、ありがとうございます。




