72話 君を想う⑧元凶襲来
ルシーラとお風呂掃除をしていた時だ。いきなり外が騒がしくなった。馬のいななきも聞こえる。
湯船の側面をキレイにしていて、成果を見るために立ち上がった時だった。その音に驚いて一歩後退り、元々あった縦長のスペースに落ちてハマってしまった。掃除する時以外は危ないので蓋をして上に桶などを置いている。蓋や桶を洗うのにどかしたことがすっぽり抜けていた。
「ランディ、なんでそんな器用なことできるの?」
「どうしよう、出られない」
わたしの目の高さぐらいの狭い穴で、足をかけられるようなところがない。腕力だけで自分を持ち上げるのはできそうになかった。
「怪我はしてない?」
「うん、してない」
結構な高さから落ちた衝撃で足はじんじんしているが。
「誰か呼んでくる」
ルシーラじゃわたしを持ち上げられないからだろう。ルシーラが外に助けを呼びに行く。ところがすぐに折り返してきた。
「ランディ、王族が来てる」
「王族?」
一瞬、ソレイユとラオスの迎えかなと思った。
「アルバーレンの旗だ。なんでアジトに? 噂のこと気づかれた?」
「まさか」
「代表者はいるか?」
野太い大きな声がする。
わたしたちは息を飲んだ。
「代表のトーマスです」
特別気負ってもいない、トーマスの声がする。
「アルバーレン、第一王子、カイル殿下よりお言葉だ。心して聞きなさい」
わたしは口を押さえた。
なんで王子がスラムに来るんだ。
見えないからなにをしているのかはわからないけど、トーマスはひざまずかされているか何かしているんだろう。
「仕事中に悪いね。ここで子供たちだけで土地を買い、商売をしていると聞いてね。どんな優秀な子供たちなんだろうと見せてもらいに来たんだ」
本当に王子の声だ。
天井はないといっても、壁はあるのに、外の声はかなりクリアに聞こえてくる。
「トーマスと言ったね。立って、顔を上げて。好きに話してくれて構わない」
ギャラリーがいるんだろう。なぜだか不思議な歓声が上がった。
「大きな魔物を倒したんだって?」
「いいえ。魔物同士で撃ち合いになり共倒れしたんです。俺たちが倒したわけではありません」
「かなり幸運だね」
「はい、幸運でした」
「商売をすることはいつから考え出したんだい?」
王子とトーマスのやり取りは和やかに続いた。
「最近、スラムに入った子はどの子だい? 賢いと評判らしいね」
ルシーラと目が合う。わたしのことか?
心臓がドキドキしだす。
普通に考えて3歳から9歳へのステップアップはちょっと見、同一人物とは思わないと思う。……思いたい。でも髪と瞳は同じ色だ。ど、どうしよう。バレたら、どうしよう。ヤマダハナコとわかることはなくても、半年ぐらいで急に成長してるってバレて興味持たれたらどうしよう。
ルシーラが口を押さえたわたしの手をとる。わたしがルシーラを見上げると、彼は人差し指を、口の前で立てた。静かにという合図だ。そしてわたしの頭をそっと押さえて、かがめと指示する。指示通り座り込むと、上に板を置いてわたしを隠した。その上にそっと桶など置いている。隠してくれている。
そしてルシーラが走って外に出る音が聞こえた。
「私をお探しでしょうか?」
ルシーラの声だ。ルシーラ、王族に嘘ついたら!
「君は最近ここに?」
「少し前になると思いますが」
「ルーク」
「嘘はついておりません」
「いや、失礼」
嘘を判別できる何かで確かめたんだ。
「どこでも君の評判はいいよ。頭がいいんだね」
「恐れ入ります」
ルシーラは堂々としている。言葉遣いもきちんとしたもので不自然さがない。
「商売も君が発案者なのかい?」
「いいえ、みんなで考えて決めました」
王子はルシーラにもいくつも質問をして、ルシーラはそつなく答えた。
最後に王子はゴート語で尋ねた。
「君の出身は?」
ルシーラは答えた。
「すいません、公共語しかわかりません」
「公共語以外を覚えたくはないかい?」
「……必要性を感じていません」
「私は優秀な子が大好きでね。アルバーレンに来ないか? 後ろ盾になるから」
なに、王子ってただの勧誘好き? 3歳から、10歳まで幅広いな。
「大変ありがたいお話ですが、私はここが好きで、この家族とここを守っていきたいと思いますので、辞退いたします」
「そうか、残念だよ。君たちが作ったという共同風呂を見せてくれ」
!
「入浴なさる場合は、商人ギルドからチケットを買っていただくことになります」
「貴様、王子にむかってなんてことを!」
誰かが声を荒げる。
「黙れ。悪かったね、うちのものが。如才ないのも噂通りのようだね。入浴も惹かれるが、今はただ見せてもらってもいいかな?」
バタバタと誰かが入ってきた。そしてすぐに出て行く。
「王子、中へどうぞ」
危険がないか見にきたのか。
わたしは手を組んで祈る。もし見つかったら、ルシーラに、みんなに迷惑をかける。
トーマスとルシーラを従え、質問をし、ふたりが答えて、そして出て行った。
「祝福前かな。小さいね」
「メイだよ」
「祝福前です。お許しください」
トーマスの若干焦った声がする。
「メイっていうのか、かわいいね。メイ、最後に来たお兄ちゃんは、彼かな?」
思わず息を飲む。
王子はなにを怪しんでいるの?
「あっちのにーちゃたちはお客しゃんだから。そうだよ、にーちゃが最後のにーちゃだよ」
「ルーク」
「嘘はついておりません」
「そうか、ありがとう。疑い深くて悪いね。髪の色も瞳の色も小柄なのも一致しているけれど、噂と君の印象が違い品よく思えて、確かめてしまった」
こえーーーーーーーーー。だから嫌なのだ王子は。
そしてムカつく。そうとも、わたしは品がよくないさ。
しばらくしてから、ルシーラは体の大きなトーマスとカルランを連れてきてくれて、ふたりはわたしを引き上げてくれた。ふたりにお礼を言ってから、ルシーラに抱きつく。
「ありがとう。なんであんな危険なことを?」
「ランディ、震えてたからさ。よほど怖いんだろうって思って」
「うん、すっごく怖かったんだ。ありがとう」
みんなも相当肝を冷やしたみたいだ。
外に出ると、みんな揃っていた。カルランがメイに駆け寄った。
「メイ、なんでルシーラが最後のにーちゃんなんだ? ランディは?」
カルランがかがんでメイに尋ねた。確かにわたしの前にアジトに来たのはルシーラらしい。
「ランディはにーちゃじゃないよ。ランディだもん」
あ。そっか。確かにわたしは『にーちゃん』ではなかった。
わたしはメイを抱きしめた。
「メイもありがとう」
「ありがとう、なんで?」
メイは首を傾げる。
「ん? メイは助けてくれたんだ。ありがとう」
ぎゅっとするとメイはキャッキャと喜んだ。
わたしが噂になっているなんて誤算だ。今日は凌げたけれど、何で目をつけられるかわからない。アレが来るまでここにいるつもりだったけれど、潮時なのかもしれない。わたしはすっかり見慣れたアジトをゆっくりと見上げた。
ふと視線を戻すと、アジトの中へとみんなが帰っていく中、トーマスがわたしを見ていた。
トーマスはお見通しみたいだ。ゆっくりと近づく。
「トーマス、わたし、近いうちに出ていくと思う」
「……そっか。何しけた顔してんだ。お前の選ぶことなら、大丈夫、きっと上手くいく。だから思うままに進め」
トーマスはなんでわたしの欲しい言葉をくれるんだろう。ありがとうの代わりに、わたしは笑った。笑えていたかどうかはわからないけれど。
読んでくださって、ありがとうございます。




