そして明日が来る(4)
誰もいない学校の廊下は、しんと静まり返っていた。普段が賑やかな分、そのコントラストが著しい。走り回っている子も、笑いながらおしゃべりをしている子もいない。外から差し込んでくる光が、スポットのように古びた床板を照らしている。さほど楽しいとも思っていなかった学校生活も、いざ別れるともなれば寂しさもひとしおだった。
後一ヶ月ほどで、エイラはこの学校を卒業する。書類の上ではそうなっていたが、どうやら式典の方には出れそうになかった。進学先がスコティトではなくワルプルギスなので、引っ越しやら手続きやらの都合で一足早くここを離れる必要があるからだ。それにしてもまさか、こんな休日の無人の校舎に訪れるのが最後になるとは思いもしていなかった。
クラスメイトたちと共に、旅立ちを温かく見送られたかった……なんて言うつもりは、さらさらない。エイラは結局のところ、あまり親しい友人は作らなかった。魔女の相手は面倒臭い。魔女たちはきっと心の内側にも、防御壁を張り巡らせているのに違いない。傷付くのが怖くて、虚勢ばかりを張っている。
魔女としてどんなに素晴らしい血統を持っていたとしても、学校を出れば社会の中で魔女がどんな扱いを受けるのか。皆それをよく判っている。だからこその、裏返しの感情。それに気が付いてしまうと、エイラは階級にしがみつく生徒たちを哀れに感じてしまった。
――本当に、他には何もないのだろうか?
魔女であることにしか、しがみつけない。それを剥ぎ取られたら、後には何も残らない。怖がりで、臆病な魔女たち。皮肉にもその魔女の子供たちの中で、エイラはずば抜けて強い魔力を持っていると判断された。魔女であることなんて、エイラにとっては大した意味も持っていないのに。
「エイラ」
大多数の同級生たちなんていてもいなくても同じだったが、たった一人だけは違っていた。この学校で唯一、エイラと拳で語り合った魔術師だ。ディノ・シラーと別れの挨拶を交わさないだなんて、エイラには想像もつけられなかった。突然の呼び出しであるにも拘らず、ディノは息を切らしてこの場に駆けつけてくれた。
「やあ、ディノ。休日に悪かったね。実は――」
「ワルプルギスに、いくのか?」
単刀直入だ。ディノらしいと言えばディノらしい。
エイラがスカウトを受けたという話は、学校中で噂になっていた。通常はこの魔術学校を卒業すれば、高等教育を受けるための学校に進学する。エイラは一般教養科目の試験については、完全に免除とされていた。周りが受験勉強であくせくとしている中、一人余裕で窓の外を眺めていたりした訳だ。そういった状況を見れば、エイラが早い段階でどこかへの推薦が決まったのではないかという推論は容易に導き出すことが出来た。
一応ディノとその姉のラリッサには、エイラの口から個人的に伝えてはあった。この学校で、友人と呼べる存在はディノ一人だけだ。ラリッサの方は、見目麗しい外見の割に捌けた性格なのが面白かった。年が離れているせいで、あっさりと卒業してしまったのが悔やまれる。ラリッサは今母星の国境をまたにかけて飛ぶ、空船国際線の操縦士見習いをしているという話だった。
「うん。急にスコティトを離れることになった。だから、ディノの顔を見ておきたくてさ」
いつだったか、力いっぱいにぶん殴った顔だ。肌と肌が触れて、ディノを感じた。ディノもそうだったはずだ。防御壁の向こうにある、本物のエイラのぬくもり。そこには人間とまるで変わらない、血の通った肉体と、傷付きやすい心がある。お互いにそれが判ったから、こんな気持ちを持つことが出来た。
エイラはディノのことが――素直に好きだった。
「戦闘士になるんだよな?」
「そのつもり」
折角優れた魔女の力を持つのなら、それを生かした仕事に就くべきだ。隕石を迎撃する星を追う者か、ワルキューレや魔女の犯罪者を駆逐する戦闘士か。説明を聞いて、エイラ自身が一番向いていると感じたのは戦闘士だった。
『戦闘士の仕事は、相手を倒すことではない。これは良く誤解されるのだが、魔女はどんな時であれ、一方的な暴力によって全てを屈服させることはしない』
叩き伏せて、言うことを聞かせる。それはその場限りでの短いスパンでは、ある程度の効果を持つかもしれない。しかし長い目で見れば、そんな解決方法では双方に様々な禍根を残す悪手となる。
『戦うことには、意味を持たせなければならない。そのせいで、戦闘士には時として敗北すら求められることもある。単純に人に褒められる仕事がしたいのなら、悪いことは言わない、才能を無駄にしないためにも星を追う者を志願しなさい』
そう言われてしまっては……エイラは戦闘士を目指すしかなかった。エイラの思考は単純だ。無理とか無駄とか無茶とか。そういう言葉で修飾されると、俄然やる気が出てしまう。それからはずっと、戦闘士について書かれた資料を見て過ごしていた。
「エイラ、僕は必ず君のいるワルプルギスにいくつもりだ」
「へぇ」
ディノの宣言に、エイラは目を丸くした。ワルプルギスは宇宙に浮かぶ、魔女たちの大陸だ。魔女であれば、あれこれと理由を付けて移り住むことはそれほど難しくはない。特に魔女に甘いスコティト在住であるのならば、その手続きは更に容易だった。
ところが、普通の人間や魔術師となるとなかなかそうはいかなかった。基本的にワルプルギスに居住しているのは、国際航空迎撃センターの職員とその関係者だ。つまり、国際同盟の職員になる必要がある。これは簡単な話ではない。エイラはディノの学業の成績については詳しく知らないが、これは「よっぽど」でなければならないだろう。
「ラリッサにくっついてきた方が早いかもね」
空船の操縦士なら、母星のどこであっても需要がある。秀才のラリッサなら、宇宙を航行出来る程の腕前はあっさりと持てそうだ。その船倉にでも潜り込んで、ワルプルギスまで密航してしまえば良い。うん、ナイスなアイデアだろう。
「茶化すなよ。僕は本気なんだ」
「ごめんごめん」
それは悪いことをした。だったら、これから大変だ。降って湧いた話に乗っただけのエイラには、ディノが具体的にどうすれば良いのかは見当もつけられなかった。どちらにしても、ラリッサ辺りに相談してみるのが堅実か。ワルプルギスに渡った後で、エイラの方でも調べて情報を送るという手もありそうだ。
「だから、もし僕がワルプルギスにいけたなら、その時は――」
「違うだろ、ディノ」
何かを口にしようとしたディノを、エイラは右手の人差し指一本で制した。そろそろ付き合いも長くなるのに、ディノはまだ判っていない。じぃっと、ディノの青い瞳を見つめる。透き通っていて、ガラス玉のように美しい。そこにエイラの顔が映っているのが、尚良かった。ディノと出会えたことが、エイラの魔術学校生活に於ける最大の成果だった。
「『必ず』、なんだろ?」
ディノとの関係は、エイラの人生をかけたものになる。こんなのは、予言士じゃなくたって判ることだ。
何故ならそれを叶えるための二人の意志は、どんな魔術よりも強いのだから。
広いホールの内部は、天井から吊り下げられた豪華なシャンデリアの光で眩しいくらいに照らし出されていた。テーブルの上には古今東西の高級な料理が並べられて、そこかしこで着飾った男女が談笑している。大きな窓の向こうには、雄大な母星の姿が浮かんでいた。
「コリドールに、こんな部屋があったとはな」
「突貫工事でこしらえたって話だよ。レヴィニアの王族をお迎えするのに、質素すぎるのはいかがなものかって」
だとするとサファネとソミアのためだけに、こんなパーティー会場をこさえたということか。ヴァルハラの連中はどこまでもクソ真面目だ。恐らくはヒパニスで捕まえた爆弾製造犯あたりが、これの建設のためにひーこら汗を流したに違いない。そう考えると、この場に立っているのが少々申し訳なく思えてきた。
レヴィニアの王の墳墓を離れて、コリドールではレヴィニア王族の歓迎会がおこなわれていた。ヴァルハラを挙げてのお祭り騒ぎだ。とはいってもワルプルギスの魔女たちとは違って、そこはかとなくお上品な雰囲気でまとめられている。落ち着いた、大人の立食パーティーという様相だった。
ファフニルのメンバーも招待を受けて、慣れない礼服を着ての参加となった。まずは巫女が全体に対して挨拶をおこない、続けてレヴィニアの王族、ソミアとサファネが入場した。最後にはここまでレヴィニア王国を守護してきたワルキューレとして、イクラスが万雷の拍手と共に迎え入れられた。
ヴァルハラのワルキューレたちは、イクラスのこれまでの働きを労った。イクラスは責めを負うような罪人ではない。エイラも杯を傾けて、笑顔で祝福した。レヴィニアのワルキューレは、今ここでその任を解かれた。後は、イクラス・レリエ個人としての幸せを追求していくべきだろう。
「しかし、こういう場は慣れないなぁ」
エイラはディノと共に、すっかり壁の華だった。巫女やイクラス、サファネにソミアと関係者との挨拶を終えたら、いそいそとその場からは退散した。今はホールの真ん中辺りで、フミオがイクラスを相手に独占インタビューを敢行中だ。何か失礼なことを訊きでもしたのか、隣にいるトンランがぱこん、とフミオの後頭部を一発はたいた。
イクラスが頬を赤らめているところを見ると、どうやらサファネがらみの内容だった。ソミアが興味津々に身を乗り出して聞いている。諸々のしがらみからは解放されるんだし、あの二人はこれを機会に結ばれてしまっても構わないのではなかろうか。母星から妙なちょっかいが来る前に、さっさと既成事実化してしまった方が絶対に楽だ。デリカシーのない新聞記者も、今回ばかりはもっと焚き付けてやっても良いくらいだった。
「そういやさ、こんなの貰ったんだよ」
ディノに向かって、エイラは小さなガラス瓶を差し出した。ぱっと見は、高価そうな香水のように思える。薄桃色の液体が、とろんとした粘性をもって瓶の内側を転がった。
「魅了を液体に溶かし込んだ奴だって。強制になる一歩手前の強烈なお薬」
「媚薬じゃねぇか」
パーティー会場に入る前に、更衣室で顔見知りの執行者が渡してきたものだった。今宵はパーティーなのだから、少しはお楽しみがあっても良いのではないか……とのことだ。物自体は、ワルプルギスで入手したのだという。成分次第ではユジに届け出なければならないが、そこまでの危険物ではなさそうだ。むしろワルキューレの方もなんだかんだと言って、羽目を外したがるものなのだなと、エイラは感動すら覚えた。
「お前、こんなのを使いたい相手とかいるワケ?」
「そこなんだよなー」
取り敢えずは笑顔で受け取っておいて、その後が問題だった。とりあえず今のエイラには、これは必要のないものだった。それに魔術で気を引くというのは、どうにもズルをしているみたいで落ち着かない。落としたい相手がいるのならば、真正面に立って鳩尾に一撃食らわせてやった方が確実だ。
半分は冗談で、半分は真面目にエイラはそう考えていた。やはり、こういうのは触れ合ってみないことには判らない。搦め手は魔女の悪い癖だ。魅了の瓶を指先でつまんで、エイラはふむと一声唸った。
「ラリッサにでもあげるか」
「あのラリッサが、食い気以外のことに興味を持つとも思えないがな」
学生の頃から、ラリッサは男子生徒の間ではかなり人気が高かった。しかしその中身が残念極まりないものであることは、友人たちの間では有名なことでもあった。弟のディノに言わせれば、ラリッサなど餌付けでもしてやれば一発だった。今もラリッサは、パーティー会場にずらりと並んだ料理を一品ずつ全て味わってくると豪語して歩き回っている。興味のある男性はと尋ねられれば、一流料理人とでも応えかねない勢いだった。
「ディノにはこんなのいらないもんね。何もしなくてもワルプルギスまで来てくれるし」
「……そういうの、あの新聞記者の前で言うんじゃないぞ?」
「もったいないなぁ。戦闘士と生身で殴り合う男とか、大スクープ間違いなしだよ?」
「子供の頃の話だろうが。いいか、絶っ対にしゃべるなよ?」
「はいはい」
エイラとディノは、ただでさえ同じチームで仕事をしている間柄だ。変な勘繰りをされると、何かと面倒なことになる。仕事は仕事。プライベートはプライベート。ケジメはしっかりとつけておく。特に作戦行動中は、意識してそうしていなければならなかった。
「おーい、二人とも何やってんの。お料理なくなっちゃうよ?」
取り皿一杯に肉料理を盛りつけたラリッサが、ほくほく顔で戻ってきた。二人の関係を正確に知っているのは、本人たち以外にはラリッサだけだ。ディノにとっては、理解のある姉で助かっていた。或いはラリッサは、いつも通りに何も考えていないだけかもしれないが。
「ラリッサ、これなんだけどさ――」
そこまで話をして、エイラの表情が固まった。同時に、ラリッサの顔色も曇る。念話だ。それも、あまり嬉しくない性質のものだろう。会場にいる巫女が、こちらを一瞥してするすると音もなく退席していった。どうやら次の休暇も、夢と消えてしまいそうな流れだった。
「緊急招集だ。いくよ」
「ええーっ、まだデザートのテーブルからは一つも取っていないのにぃ」
走り出したエイラの背中を、ディノは追いかけた。エイラが振り向いて、不敵に笑う。そこにいるのは昔から変わらない、そのままのエイラだった。
ディノはそれを守ると誓った。エイラは、いつだってエイラでいてくれないと困る。それこそがディノの相棒、戦闘士エイラ・リバードだ。
今日もファフニルは、戦いの場へと戦闘士を運んでいく。その力は世界からはぐれてしまった者たちに、新たな秩序への入り口を指し示す。母星から悲しみを減らし、次なる時代を切り拓くために。
「戦闘士エイラ・リバード、状況を開始する!」




