誇り高きレヴィニア(2)
日差しがきつい。白い砂が光を反射して、更に足の下からも熱してくる。ついさっきまでの嵐が嘘のように、今は風一つない晴天だった。
イクラスは眼の前に立つ黒い人影から、目を離さなかった。専用の防護服に身を包んだその姿は、まるで死刑の執行人だ。ワルプルギスの戦闘士。こうして対峙するのは、三度目だったか。
決して、倒せない相手だとは思わなかった。磁力制御士の力は未知数だが、前回はあと一歩のところまでは追い詰めた。砂地であれば、向こうが砂鉄を用いてきたとしても互角の勝負には持ち込める。イクラスはそこまで考えて初めて、自身を包囲するレヴィニア解放軍の方に視線を移した。
何個師団だろうか。レヴィニア中に散っていた外人部隊を、ほとんどかき集めてきたような圧倒的な物量だった。抗魔術加工された装甲を持つ戦闘車両に、上空をうるさく行き来する飛行機械。
学習能力のない奴らだ。そんなものをどれだけ持ち込もうが、変わりはなかった。イクラスが本気を出してしまえば、それまでのこと。ガラクタは所詮、ガラクタの域を出ることはない。恐怖の対象には、まずなり得なかった。
ただ、今回に関して言えば相手の数は多ければ多いほど良かった。戦うためではない。彼らには、目撃者になってもらう必要があった。
イクラスは、レヴィニア王国の最後の伝説になる。
戦闘士と戦い、群がる蟻の群れを思わせるレヴィニア解放軍の軍勢を血祭りにあげて。レヴィニア王国を守護するワルキューレが、いかに剛の者であったのかを国際同盟の人類至上主義者どもに知らしめる。
――これで最後だ。せいぜい暴れさせてもらう。
イクラスの黄金の瞳が、再びエイラを正面から見据えた。その奥で、静かな闘志が燃えている。エイラはどっこい、と大儀そうに片方の長剣を持ち上げると、肩に担いだ。エイラの得物は、二本の剣。それも、抗魔術加工が感じられる重量級の大物だった。
「レヴィニア解放軍は国際条約に基づいて、あたしか、あたしの仲間が戦闘士の戦闘状況の終了を宣言するまでは攻撃しない。ということで、まずはマニュアル通りに降伏の勧告からだ。無駄な抵抗はやめてくれ」
エイラの側には、イクラスと戦わなければいけない積極的な理由は希薄だった。イクラスが素直に指示に従い、サファネを引き渡すのならそれで良い。ワルプルギスの魔女は、捕えたワルキューレをヴァルハラに引き渡す義務を持っている。その後イクラスがどう扱われようが、後の責任は知ったことではなかった。
「前にも言ったけど、サファネ王子の身柄に関してはこちらに一任してもらえれば何とかする。この場さえ切り抜けられれば、手立てはあるはずだ。サクラヅカさんやトンランちゃんだって協力してくれる。悪いようにはしない」
その言葉は、声には出さずに念話で伝えてきた。魔女とワルキューレの悪だくみだ。イクラスは口許をほころばせた。ありがたい申し出だとは思う。生き延びることだけを考えるのなら、それでも良い。とても甘くて、魅力的な匂いがする。
「お断りするわ、ワルプルギスの戦闘士」
イクラスの周囲で、砂が盛り上がり始めた。無数の砂虚人が身を起こす。最初に出会った時は油断したが、今度はそうはいかない。かくれんぼをする必要がないなら、イクラスは攻めに徹することだって可能だった。砂虚人の数も大きさも、前回の比ではない。
「私はここで戦って、一人でも多くの人間を道連れに地獄に落ちます。貴女もその一人よ」
どれだけ殺せば、歴史に名前が残るだろうか。少なくともレヴィニア王国の栄光を記すのには、まだ足りない。戦闘士――それも磁力制御士なら、それだけで千人分には匹敵しよう。人と魔女の記憶に、恐怖と共にイクラス・レリエの威光を刻みつける。かつてあの、イスナ・アシャラが望んだように。
砂虚人たちが、一斉にエイラ目がけて雪崩れ込んだ。あの武器は、強力な抗魔術加工だ。魔術による直接攻撃では効果は見込めない。向こうもそういった戦術を想定していたのだろうが、砂が相手ではそうは問屋が卸さなかった。
魔術的な操作が断ち切られても、砂は砂だ。あの剣で砂虚人を切り裂いても、砂だけは残り続ける。エイラに覆い被さる砂の山を、どうやって跳ね除けるというのか。あの強すぎる抗魔術加工は、エイラ自身にとっても無害ではいられまい。
どずん、と轟音が辺りの空気までを震わせた。他愛もない。武器を捨てて逃げる手もあったろうに。エイラはその場を一歩も動かなかった。抗魔術加工でただの砂と化した砂虚人が、悉くエイラの上に降り注いでいた。
息が出来るくらいには処理出来たか。そうでなければ、これで終わりだ。砂煙が晴れてくると、イクラスはそこに広がっていた光景を目にして――
絶句した。
「いきなりだなぁ、おい」
エイラは何事もなく、その場に立っていた。周囲にうず高く積もっている砂山は、砂虚人のなれの果てか。すり鉢状になったその中心にあって、戦闘士はぴんぴんとしていた。
おかしい。こんなはずではなかった。エイラが手にしている武器の抗魔術加工は、決してまやかしなどではない。あれがある限り、エイラはロクに魔術を行使することも出来ないはずだった。
これは一体、どういうことなのか。
そう思って身構えたイクラスは、エイラの持っている武器が変化していることに気が付いた。
確か、かなり大振りの長剣が二つだった。刀身に抗魔術加工が施されているので、振り回すだけでも相当に筋力がいるとイクラスは判断していた。魔女やワルキューレを相手に抗魔術加工を用いるのは悪くない選択とはいえ、あれでは戦術的には役立たずだ。
その予想が誤りであったことを、イクラスは瞬時に悟った。拙い。既に、取り囲まれている。エイラの手に握られているのは、二本の剣の柄だけだった。そこから、金属のワイヤーが伸びて砂の中に埋もれていた。
「避けないと、死ぬよ!」
イクラスは跳んだ。同時に、砂の中からそいつが姿を現した。抗魔術加工された、金属の刃。中心に開けられた穴にワイヤーが通されて、幾つも連なって魚の骨のようなシルエットを形作っている。鞭……いや、連接剣だ。
エイラはその場で動かないまま、磁力でワイヤーを制御した。刃は蛇のように身をくねらせると、イクラス目がけて襲い掛かってきた。防御壁を張って防ごうにも、抗魔術加工が魔力を貫通してくる。避けるしかない。
イクラスの手足を掠めた刃が、浅くはない切り傷を与えてきた。鋭い痛みに、思わず顔をしかめる。血が滲んで、白いケープが朱に染まった。
大きく後ろに退がったイクラスの前で、二本の連接剣の切っ先が、ゆっくりとその鎌首をもたげてみせた。
「ワルプルギスでは、指向性のある抗魔術加工の開発に成功した」
全方位に向かって魔術妨害を発するのではなく、ある程度任意の方向に対して抗魔術の効果を発揮する。ディノはこの発明を、エイラの磁力制御士の能力と組み合わせて利用出来ないものかと検討を進めていた。
剣の刃の部分に、外側に対してだけ強く抗魔術が発動するように加工を施しておく。内側は普通に魔術や磁力が作用する金属で仕上げておく。その中央にやはり金属製のワイヤーを通しておくことで、複数の刃を磁力で自在に操ることが出来る。この連接剣の作成を、ディノは国際航空迎撃センターの特殊装具開発部に依頼しておいた。現物が届いたのが、つい先日のことだ。
「柄の部分以外は、外部からの魔術を完全にシャットアウトする。磁力制御士であるエイラだけが、あの剣を握って自由にコントロール出来るんだ」
ワイヤーを開放したり、巻き取ったりするスイッチも柄に仕込んである。微弱な魔力の流れを検知して、機械仕掛けを稼働させる仕組みだ。
イクラスが砂を槍にしてエイラに打ち込んできた。エイラは刃を手元に戻して、剣にしてそれを弾く。その間に、伸びた状態で砂の中に潜んでいたもう片方の剣が、背後からイクラスを急襲した。イクラスがどんなに素早く身を躱しても、射程範囲内にいる限りはどこまでも追跡する。抗魔術加工で守られた刃には、どのような反撃も通用しない。
砂虚人で対抗したとして、バラバラに切り捨ててからその砂を振り払うことも造作もない。イクラスはこの時、初めて恐れを覚えた。これが、ワルプルギスの魔女。戦闘士。そして、磁力制御士だ。
「……圧倒的だね」
ラリッサが、ぽつりと呟いた。抗魔術加工連接剣が強力な武器になることは、ディノには判り切っていた。これが磁力制御士であるエイラの手に渡れば、どんな魔女でもワルキューレであっても対抗は困難だろう。武器が変形するという特性上、遠近どちらの間合いであっても効果は得られるし、一本でも充分と思っていたのだが。
「想像以上だったな」
二刀流となると、最早ディノの眼には無敵と表現しても過言ではない状態だった。
片方を防御に、片方を攻撃にと役割を分担させらるのはかなり便利だ。その分、ワイヤーの扱いにはきめ細かさが要求される。後はエイラに、そんな微妙な魔力調節が可能かどうか。そこがネックだった。
見ている限りに於いて、そんな懸念は持つだけ無意味であったようだ。そこにあるのは、エイラの手から伸びた二匹の金属の蛇だった。魔術をものともせず、魔女の力を持つ者を追い詰め、確実に屠り、そして倒す。抗魔術加工という猛毒を持つ、蛇。
――この戦いには、多分勝つ。
問題なのは、勝ったその先だった。イクラスを仕留めたとして、そこに何を見出すのか。ディノはじっと、エイラの戦う姿に目を凝らした。
追い詰められるイクラスの様子に、サファネは全身を震わせた。美しくて強かったイクラスが、なますのように切り刻まれていく。衣服が千切れ、血潮が飛ぶ。砂の力などものともせずに、ワルプルギスの戦闘士はイクラスを追い立てる。サファネを護衛する兵たちも、固唾を飲んでその光景を見つめていた。
「イクラス……」
これまでもそうだったのだ。イクラスは王の墳墓から出て、一人戦っていた。傷付いて、ぼろぼろになりながら。それを命じたのは、サファネだった。直接にそうは言わなくても、サファネはイクラスにレヴィニア王国のワルキューレであってほしいと願った。それならば、同じことだ。
「良く見てください、サファネ王子。あれが、貴方のワルキューレの姿です」
「我の……ワルキューレ……」
フミオの言葉に、サファネはその場に力なく膝を付いた。イクラスはレヴィニア王国と、サファネのために戦っている。ここで一緒に死ぬことを、自らの運命であると受け入れた。どんなに苦しくても、サファネと並んでレヴィニアの歴史に残りたいと望んだ。
刃が、イクラスの身体を強く打ち付けた。ばっと、鮮血の華が咲く。空中でぐらりと体勢を崩して、すぐにイクラスは持ち直した。それでも、攻め悩んでいることに変わりはない。すぐに次の攻撃が繰り出されて、砂虚人が一体粉々に砕かれた。
「サファネ王子のために、ここで死のうとしている貴方の王国のワルキューレです!」
レヴィニア王国は、滅びる。それを守護するワルキューレは、最後のその時まで傍を離れない。イクラスがいてくれれば、サファネはレヴィニアの王子として自分を奮い立たせることが出来た。死を恐れずにいられた。
でも――
そのイクラスが今、目の前で殺されようとしている。
「駄目だ! やめろ! やめさせてくれ!」
王族なんて大層な肩書に惑わされて、サファネには見えていなかった。ここに至るまで、サファネの隣にずっといてくれたのは……イクラスだった。あそこで戦っているのもそうだ。あの日、中庭のプラムの木の下で並んで言葉を交わしたあの娘だ。王子とワルキューレなんて、関係ない。だって、ついさっき――
『これが私と貴方の、結婚式です』
サファネは、イクラスのことを愛していると……心の底からそう感じたのだから。
「抗魔術加工が強力で、この戦いには割り込めません!」
トンランが悲鳴に似た声を上げた。エイラが振り回している武器の影響は、あまりにも大きかった。エイラとイクラスを挟んだ向こう側にいる、ファフニルにすら念話が届かない。イクラスはこの状況下で、よく砂虚人を作り出せるものだ。トンランにしてみれば、それだけでもレヴィニアのワルキューレは称賛に価する魔術的才能の持ち主だった。
「信じましょう、ワルプルギスの戦闘士を」
ファフニルには、伝えるべきことは伝えてある。戦闘士がただワルキューレを倒すだけの存在ではないと、フミオはそう理解していた。エイラはあの作戦総指揮官ユジ・メンシャン――イスナ・アシャラですら救ってみせた戦闘士の弟子なのだ。きっとやってくれる。
「レヴィニアのワルキューレよ。救い賜え」
サファネは両掌を組むと、一心に祈り始めた。兵たちもそれに倣って、イクラスに向かって黙祷を捧げた。
彼らにとっての救いとは、何を意味するのだろうか。ここにいる全員が死ぬことか。それとも……
フミオはカメラのストラップを、ぎゅうっと握り締めた。その時また一撃がイクラスの身体に加えられ、血と肉片がレヴィニアの砂漠に撒き散らされた。




