この身砕けるまで(5)
スコティトの魔術学校には、目に見えない階級が存在する。クラスの名簿には明記されていないし、誰だってそれについては公言したりしない。これはそういう性質のものではなくて、肌で感じ取るべき区分けだった。
頂点にいるのは女王だ。これは学校で過ごしていれば嫌でも判る。今年は七百年程続いているという、スコティトの魔女の名家の娘だ。大量の取り巻きが周りでぶんぶんと騒いでいるので、見た目にも女王蜂という例えがぴったりだった。
その下にいるのが、上位層の皆様。スコティトの魔女の家系に生まれた女子たちだ。細かいランキングは色々とあるが、エイラには全く興味がなかった。どいつもこいつも、似たり寄ったりにしか思えない。顔も名前も覚えるのが面倒臭い。必要があって声をかける時でさえ、エイラは「おい」とか「ちょっと」としか発しなかった。
更に下がると、今度はスコティト以外の出身の魔女たちになる。エイラはスコティト生まれだが、両親はそこまでスコティトにこだわりがない。お陰様で、どうやらこの階層に属するようだ。周囲とあまり関わりたがらない孤立派の生徒たちも、ここにカウントされる。ぶっちゃけ、毒にも薬にもならない無名の端役連中だった。
ラリッサ・シラーも、一応はその一員であると見做されていた。どちらかと言えば、この益体もないピラミッド構造の外にいる、と表現した方が正確か。ラリッサの出身はスコティトではないが、それなりに名のある魔女の一族の出で、容姿端麗なお嬢様だった。おまけに勉強も出来て、性格まで良いときている。これはむしろ女王の方から、階級の中に入ってきてほしくないと思われているくらいの人物だろう。
後に残っているのは、最下層の生徒たち。こちらもある意味判り易い。魔女ではない者――男子と、魔女の力を持たない女子だ。
男子はそもそも、魔『女』ではあり得ない。ただ、魔術師としての才能を持つ者はいる。魔女の家系に生まれた男であれば、潜在的魔女である可能性もある。言い方は悪いが、将来的に良い子種を残すことになるオスだ。魔女の社交界に顔を出す前段階として、この魔術学校に押し込まれるのはスコティトでは伝統的なことだった。
そして極一部には、魔女の才能はないけれど魔術師としての力を持つ女子という者もいる。こいつらが、特に問題だった。
魔女というのは遺伝的要因なので、ある日突然魔女に目覚めてしまったりなんかはしない。それに、魔女の力は魔術師の数万倍とも言われている。これは当人たちの感覚からしてみれば、最早別な存在であると思われるくらいには異なっているものだった。
それが『魔術』なんていう大雑把なくくりで一緒くたにされて、机を並べて学ぶことになる。歴史ある魔女の家のご息女と、何だか知らないけど魔術が使えるというだけの女の子。これで上手くいくと考えているのならば、スコティトの教育関係者には馬鹿しかいない。魔術学校に於けるいじめの問題は、そこが大部分を占めていた。
魔術師の女の子たちは、そのほとんどが後ろ盾を持っていなかった。当たり前だ。魔女ならとにかく、彼女たちは魔術が使えるだけの普通の人間に過ぎないのだから。一般の学校では魔女扱いされて追い出されて、こっちに来てみたら本物の魔女にいじめられる。踏んだり蹴ったりで、エイラから見ても可哀想に思えるくらいだった。
それと、男子たち。こちらも魔女の集団の中にあっては、良いところは何もなかった。上位階層のお嬢様たちからは、あからさまに種馬呼ばわりまでされている。なんとまあ、はしたないことだ。そんな状態であっても、目にかけてもらえればそれはそれで名誉なのだとか。歪んでいる。エイラはそんな学校の雰囲気が大っ嫌いだった。
骨抜きの軟化栽培みたいな最下層の連中の中で、エイラは一人だけ気骨のありそうな男子がいるのを見つけた。あの才媛、ラリッサ・シラーの弟のディノ・シラーだ。ディノはこの魔法学校にあって、唯一エイラが「まともである」と思える行動を取っていた。
それについて、何がどう、と説明するのは難しい。何しろ、エイラにとってはディノの方が普通なのだ。それが一度魔術学校の環境に置かれてしまうと、価値の基準が逆転する。ディノは女子に対してへこへこしないし、自分の意見をしっかりと口にする。曲がったことが嫌いで、目の前で他の生徒がいじめられていれば助け舟を出す。魔女の方も、ディノがラリッサの弟ということを知っているから、そこまで深追いはしてこない。エイラはディノのやることを、いつも遠目から感心して眺めていた。
エイラもだいぶ魔術学校に慣れてきた、ある日のことだった。朝から教室の中は騒然としていた。毎度毎度原因を聞くだけでも鬱陶しい魔女たちの嫌がらせで、一人の魔術師の女子が泣き出した。それだけならいつものことだったが、その時は魔女の子はいつも以上にヒートアップしている様子だった。他の生徒が見ている前で大声で魔術師の子たちを罵り、嘲り、魔術で頭から水をぶっかけた。
誰が見ても、やり過ぎだった。何か別な理由によって、魔女の子は虫の居所が悪かったのかもしれない。それにしたって、やられた方はいい迷惑でしかない。魔女に水を浴びせられた女子は、他の子に付き添われて教室から退出しようとした。
そこに、ディノが現れた。
「あの子に謝れ。お前は学校の規則も破っている。魔女だからって何でも許されると思うな」
正論だった。喧嘩の原因が何であれ、授業時間外に魔術を使うのは校則違反だ。魔女の子はたじろいだが、男子ごときにやり込められるのは魔女としてのプライドが許さなかった。
「何だお前、あの女が好きなのかよ!」
「そんなことは関係ない。僕はお前が授業じゃないのに魔術を使ったことを問い質しているんだ」
エイラは思わず、ひゅーと口笛を吹いた。ディノの理屈は、きちんと筋が通っているように感じられる。教室の中の雰囲気も、ディノに味方していた。魔女の子もそれを察すると、鋭くディノを睨み付けた。
「ただの魔術師のくせに、生意気なんだよ!」
ひらり、と右掌が振るわれる。いけない。エイラは席から飛び上がると、二人の間に割って入った。少し遅れて、小さな炎の玉が空間に生じてディノに襲い掛かった。脅しでやるような魔術じゃない。この魔女がロクに訓練もしていない、下手糞なお嬢様のお陰で助かった。
エイラが防御壁を張ると、炎の破片が跳ね返って辺りに散らばった。机やら床に引火して、他の生徒が慌てて水を作って消火を始める。それを引き起こした魔女の子は、呆然とその光景を見つめていた。
「いくらなんでも、これはないんじゃないの?」
一歩間違えば、ディノは火だるまになっていた。魔女は強い力を持つ分、その行使には重大な責任を持つ。魔女であろうがなかろうが、初等教育の一番初めに習うことだ。そんなことも判らない馬鹿が同じクラスにいるのかと思うと、エイラは悲しいやら情けないやらだった。
「おい、余計なことはするな」
突然、エイラはぐいっと肩を後ろに引っ張られた。そのままよろけて、たたらを踏む。ディノの怒りにたぎった視線が、じろりと見据えてきた。なんだよ、助けてやったんじゃないか。そう抗議しようしたエイラに向かって――ディノは吐き捨てるようにして、言い放った。
「魔女になんか、絶対に守られてやるもんか」
エイラの胸の奥に、その言葉は響いた。何度も何度もこだました。今まで生きてきた中で、一番の衝撃だった。
教室の奥から、椅子が一脚宙を舞った。最初に水をかけられた女子が、魔女の子目がけて放り投げたのだ。これを魔術なしでどうにかしろというのは、流石に酷な話だった。防御壁に当たって、椅子はバラバラに分解した。
それを合図にして、このクラスに溜まっていたフラストレーションは一気に爆発した。椅子に机、それに誰の物とも知れない鞄が教室中を飛び交った。エイラはディノの傍に寄り添うと、防御壁を張ってディノを守った。
「やめろよ、畜生!」
「へへん、だったら自分で何とかしてみろってんだ」
守られないと言うのなら、守られないようになってみやがれ。エイラはその辺りにあった椅子を掴むと、魔女たちが固まっている方に向かってぶん投げた。魔女の側にだけ防御壁があるのは、ハンデがあり過ぎる。これはバランスの問題だ。
ディノはエイラから離れて、前に出ようとした。すかさずエイラがそれを追いかける。こうなってしまうと、最早何を相手に戦っているのかすら判らない。教室の中は、まるで原初の混沌に包まれている様相だった。
騒ぎを聞きつけた教員が駆けつけた時には、原形を留めている物の方が少なかった。机も、椅子も、生徒たちもだ。ぐしょ濡れであったり、血塗れであったり。そんな阿鼻叫喚の中にあって最も教員の度肝を抜いたのは――教室の真ん中で拳を握って殴り合っている、ディノとエイラの二人だった。
ふと、エイラはファフニルの仮眠ベッドで目を覚ました。今は何時だろうか。まだ夜明け前なのは確かだ。むくりと上半身を起こすと、船室の壁にディノの影が揺れているのが判った。
ライトで手元だけを照らして、ディノは作業を継続していた。エイラが長剣の使い勝手について意見を述べて、それを出来る限り調整するのだということだ。すぐに終わると言っていたのに、明らかにそこから数時間は経過している。毎度のことだが、困った整備担当だった。
「ディノ、まだ起きてるの?」
「ああ。あと少し、これだけやらせてくれ。エイラこそ寝ておけ。前衛なんだからさ」
振り返るどころか、手を止めようともしない。意地っ張りなのは、子供の頃から相変わらずだった。金髪が、ライトの光を浴びてきらきらと輝いている。大人しくしていれば、魔女の家系に生まれた男子としてそれなりにモテただろうに。そう言えば、あの時の女子は結局どうしたんだっけか。何度か教室の中で見かけた気もするんだが。
ダメだ。眠気の方が勝ってきた。エイラは再びベッドの上で横になった。ディノの言う通り、明日は万全の態勢で挑まなければならない。イクラスの黄金色の瞳を思い出す。その表情を、エイラはとてもよく知っている気がした。
「ディノ」
「何だ?」
悲鳴と怒号に包まれたしっちゃかめっちゃかな破壊の中心で、エイラを睨み付けているディノの顔。悔しくて、苦しくて。それでも、自分の信じた道をいくと決めた、良い表情だった。エイラはその時のことを、まるで昨日のように思い出せる。
イクラスもそれと同じだった。だから、嫌いになれない。どうしても、助けたいと願ってしまう。
「守ってくれる? あたしのこと」
「当たり前だ」
事も無げに、ディノはさらりとそう応えてきた。恥ずかしい奴だ。エイラはにやついた表情のまま、眠りについた。ディノになら、任せられる。その強さを、身体の全てで理解している。エイラは今度こそ、朝までぐっすりだった。
教室で起きた乱闘騒ぎの主犯は、エイラとディノということにされた。別にどうでも良いことだった。この学校には問題がある。それも特大だということが、内外に片鱗でも示せたのなら御の字だ。
停学でも退学でもどんとこいだったが、そんな処分が下されることはなかった。ヒスを起こした魔女の子が親に言いつけたところ、逆に猛烈に叱られたという話だ。スコティトの魔女も、まだまだ捨てたものではない。クラスの雰囲気は、結局その後も大して変化はしなかった。あの日の出来事は、まるで悪い夢か何かであったみたいだった。
……などと悠長なことを考えている余裕は、エイラにはなかった。エイラとディノには特別な罰が与えられた。今回の騒動によって負った傷の、強制自然治癒の罰だ。
ちょっとした怪我程度ならば、魔女は治癒魔法で綺麗さっぱり跡形もなく治してしまうことが出来る。しかしそれでは、人の受ける『痛み』に理解が及ばなくなってしまう。傷付けることと傷付けられることの意味について、身をもって学ぶこと。良く考えられた罰だ。エイラはしばらくの間、片足を引きずって歩くことになった。
それはディノの方も同じだった。あの時の殴り合いは、引き分けだ。華奢そうに見えて、ディノはなかなか良いパンチを持っていた。エイラは生身の喧嘩に関しては、密かに自信があった。軽く一発でKOしてやろうと思っていたのに、あてが外れてしまった。こんなに清々しい気持ちになったのは、久しぶりのことだった。
乱闘の後始めて登校した日の朝、エイラは教室の前でディノとばったりと出くわした。絆創膏やら何やらで、お互いに満身創痍の状態だ。ディノの隣には、ラリッサが付き添っていた。ディノと同じ金髪が綺麗で、エイラは二人が並んだ姿が眩しすぎてぼんやりと見惚れてしまった。
まだどこか痛むのか、ディノはぐらりとバランスを崩して尻もちをついた。ラリッサが心配して、手を貸そうとする。ディノはそれを、力いっぱいに振り払った。
「触るな!」
その一部始終を、エイラはじっと見つめていた。激痛をこらえて、ディノが立ち上がろうとする。奥歯を噛み締めて、眉間にシワを寄せて。全身を震わせながら、視線だけはエイラから離さずに。
『魔女になんか、絶対に守られてやるもんか』
ディノの言葉が、エイラの中で反響した。判っている。ここで見ててやるさ。エイラの前で、ディノは一人で立ってみせた。顔を真っ赤にして、汗と涙に唾液に濡れて。
ディノは――己の力だけでやり切った。
その誇らしげな表情に、エイラは満面の笑みを贈った。それは、勝者を讃える笑顔だった。
第5章 この身砕けるまで -了-




