076 ロッジモンドの愛国心
ルフェルニが放ったコウモリの情報で、どうやら異変はこのサーフィン村だけではなくギアナード全土に及んでいることがわかった。
それもただ魔法が使えないだけでなく、あの気味の悪いゴブリンがどこにでも湧いたように発生しているらしい。
もともと魔法に頼りきる国でではなかったことから、幸いにして大混乱とまでにはならず冷静に対処できてはいる様だ。
だが、今後あのケンタウロスみたいな強敵が出てこないとも限らない。
恐らくケンタウロスは、魔女ジュエルを始末するための少数精鋭だったと思いたいが…それは俺の希望的な観測に過ぎない。
ルフェルニとミューンは各領主と連絡を取り合い、ゼロサム王とも協力して事態の収集に乗り出した。
イスカやシャムシュという頼れるヤツらもいる。ここは彼らに任せても大丈夫だろう。
──
宿場に作った療養室。扉をノックすると入室許可が出た。
「具合の方はどうだね?」
「ミイラに見舞われるより最悪なこともない」
「そんな減らず口が叩けるなら上々だな」
俺はそんな風に言ったが、ロッジモンドの頬は酷く痩けており、背もたれがないと上半身も動かせないという状態だった。
もともと体格が良く、骨太な偉丈夫だっただけに、そのギャップから生じる悲壮感はなんとも言い難い。
「魔女…いや、ジュエルの様子は…どうだ?」
「まだ目覚めないが、容態は安定している。ゾドルたちが家で面倒をみてくれているよ」
「……イルミナードの方はどうなった?」
「聖騎士たちが様子を見に行ってくれた。多少の怪我人は出たようだが、お前の息子が憲兵たちを率いて街の治安維持を務めている」
「……倅が?」
「ああ。なかなか気骨がある跡取りだな」
これは半分嘘で、右往左往している憲兵たちをサトゥーザが一喝し、街から逃げ出そうとしていたロッジモンドJrの胸倉を掴んで「次期当主ならやるべきことをやれ!」とやった結果だそうだがな。
「……そうか」
ロッジモンドは安心したように嘆息する。俺の嘘には気付いているだろうが、とりあえず家族や街が無事なことにホッとしたのだろう。
しばらくロッジモンドは眼を閉じていたが、このまま寝てしまうのだろうと思い、俺が部屋を出て行こうと思った矢先に身を揺すった。
「……カダベル。これからお前はどうするつもりだ?」
「クルシァンへと向かう」
「……巫女に招致されたからか?」
「いや、源神オーヴァスだ」
ロッジモンドが怪訝そうな顔を浮かべる。
「なに?」
「神から直接お呼びがかかったからね」
「なにを言っている? お前は聖教徒では…」
「違うよ。俺は宗教なんて信じていない」
「ならなんだと? 言っていることがわからんぞ」
「巫女の託宣だよ」
「託宣? なんだ? 意味深な言い方をせずにハッキリと…」
「ルフェルニや聖騎士たちと話し合いをしてる最中、急に巫女セイラーに“神が宿った”んだ。そんで俺にクルシァンに来いとよ。この謎を解決したかったらそうしろってご指名されたわけ」
ロッジモンドは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていたが、ベッドからゆっくりと手を出す。
「聖心余す所なく…」
「やめてくれ。祈るなよ」
ロッジモンドが3本指を立てて祈ろうとするのを止めた。
「しかし、神がお前を…」
「さてね。だが、巫女の来たタイミングと、この“ギアナード魔法封印事変”は一致する。だから調べてみようと思っただけだよ」
「ギアナード魔法封印事変…?」
「今回の問題をひとまとめにそう呼ぶ事にしたんだ」
空に浮かんだ源術、その後に突如として現れたグレアボース。
魔法の使用を封じられ、そしてどこからともなく現れたケンタウロスとゴブリン。
様々なことが起きているが、これらの原因はひとつだと考えられるだろう。
「源神とやらがなにか知っている可能性は高い。ロッジモンド。お前の政治的な企みとは別に、俺は聖教会の招致を受ける。…悪いがね」
「…いや、もうギアナードの王がどうのこうの言っとる場合じゃないのはさすがに理解している」
ロッジモンドは懐に手を差し入れ、便箋を2枚取り出した。
1枚は綺麗なもので、もう1枚は一度グシャグシャに握り潰した後に引き延ばしたようだった。そして、綺麗な方を俺に手渡す。
「…ん? 絵か? 【描写】…じゃないな。これは手描きか?」
便箋の中から出てきたのは4つ折りにした上質紙で、開くと癖毛の少女の笑顔が描かれたものだった。
「サルミュルークの画家に描いてもらった」
【描写】は使い手によっては写真に近いくらいのものに仕上がるが、それを嫌がり、直に手で描いたものが好きと言う者も少なくない。
前の世界でも写真があれだけ普及したのに、絵描きが途絶えなかったんだから、芸術は俺にはよくわからんけどそういうものなんだろう、きっと。
「もしかして、孫か?」
「ああ。可愛いだろう」
「そうだな。祖父に似なくてよかった」
「…言ってろ」
「それで?」
「……俺はな、息子の出産には立ち合えなかったんだ。その時はちょうど王都で反体制派がコソコソと暗躍していた時期でな。それを抑える仕事で手一杯だった」
ルフェルニたちが対立候補を擁立しようとした時の話か?
いや、それよりも前の代の話か。もしかしたら、イグニストやミューンも噛んでるかもな。
魔女や前王の後ろ盾があったとはいえ、このふたりとやり合ったとしたらロッジモンドはだいぶ苦労しただろう。
「その口振りだと、孫の出産には立ち会えたのかい?」
俺がそう言うと、ロッジモンドは普段の態度とは考えられないほど優しく微笑んで自分の手の平を見つめた。
「……凄い小さかったんだ。未熟児でな。俺のゴツゴツした手の中に収まってしまうくらいに。でも、生きていた。温かかったんだ。わかるか? カダベル。あんなに小さいのに生きてたんだ」
ロッジモンドは自身の手を何度も開け閉めして、「生きてたんだ」と繰り返す。
「俺はなんとしても、この小さい命を守らなきゃならんと思った。そのためにはなんでもすると、あの瞬間に誓ったんだ……」
そこまで言うと肩を落とし、今度はグシャグシャになった封筒を放ってくる。
「こっちは手紙…だな」
開くと、達筆とはとても言い難い、酷い癖字で書かれた文章が出てきた。
「これは…」
俺が読み始めると、ロッジモンドは顔を不快そうに歪ませる。
内容は屍従王へのファンレターだ。中は王都インペリアーで起きた出来事を自分はちゃんと理解しているという説明から始まり、感謝や尊敬の念といったものが文面から伝わってくる。
そして途中からは、イルミナードの腐敗と行末をひたすらに案じているといった感じだ。
いかにロッジモンド家が保身的で、今回の騒動にすら知らぬ存ぜぬを決め込んだか、かなり強い口調で批難している。
最後は要望だ。屍従王がイルミナードに眼を向けるだけでも、領主は震え上がり、心から悔い改めて統治や政策をやり直すだろうと。ぜひとも心に留めて欲しい…そんな切実な気持ちで書いただろう内容だった。
「随分と具体的だな。ロッジモンド家がどう考えてどう行動したのか…見てきたかのように書いている。差出人の名前がないが…まさか身内か?」
「……孫が書いたものだ」
「んん?」
俺はさっきの絵と手紙を交互に見やる。
「孫は今いくつなんだ?」
「14歳になる。大人のやることに疑問を持つ年頃だ…」
ああ。この絵はどう見ても5歳くらいの時のか…。
勘違いしたな。ロッジモンドの年齢を考えればそれくらいが妥当だ。
「でもな、今でもあの子は生まれた時、俺の手の中にいた時となんら変わらんのだ…」
「ロッジモンド…それは…」
「カダベル。正直に言って、俺はお前を好かない…。俺はお前を心底、嫌っている。憎んでいるといってもいい」
「……」
「俺はクルシァン居た頃はまだ鼻たれ小僧だったが、親父がギアナードへ“亡命”する時の屈辱は忘れもしない。脳裏に深く焼き付いている」
元カダベルの記憶の底から、一緒に射殺すような視線を向けてきたロッジモンド親子の顔が浮かび上がってくる。
「公爵位という立場にいながら、お前は称号など紙クズ同然といった態度でいて、それでいて周りから評価され称賛される。皇帝陛下もお前にだけは一目置いていた。親父は酒を飲む度に、そんな愚痴を俺に繰り返したよ…」
思い出したくもないという感じに、ロッジモンドは顔を拭う。
「勝手気ままに生きてきただけのくせに、俺たち下の貴族が必死で藻掻いて生きてきたのを否定する…それがカダベル・ソリテールという男だ」
「俺はそんなつもりは…」
「そうだろうな! その上、無自覚にも、死者として還って…ゴホッゴホッ!」
「ロッジモンド。興奮するな。身体に触るぞ…」
「離せ! …ハアハア。死者として還って来て、王都や魔女といったこの国の在り方を根本から変え、そして今やクルシァンの重鎮にすら一目置かれる存在! お前が意識しようとしまいと、それが今のお前、“屍従王”カダベル・ソリテールだ!」
俺が【手当】と【鎮痛】を使うと、ロッジモンドは少し落ち着いたようでベッドに背を預けた。
「……教えてくれ。愛する孫がこんなものを他のファンレターに紛れ込ませて入れてると知った時に、俺はどうしたらよかった? 握り潰さず、笑顔で受け取って、『屍従王はおじいちゃんの友達だから、ちゃんと渡すよ。大丈夫さ』とでも言えばよかったか?」
匿名なのは祖父への配慮からか…。
何度もグシャグシャにして、元に戻そうとした形跡がある。
この手紙を破り捨てられず隠し持っていたのは、孫に対しては嘘や偽りを用いたくないという真摯な想いがあったからだろう。
「俺や父親を、臆病で卑屈な悪人だと思い込んでいる。わかるか? 家族のために、この国のために最善だと思ったことを、なりふり構わず、がむしゃらにやってきた結果がこれだぞ……」
しわがれ声がひどく震えていた。
涙までは流していないが、ロッジモンドの眼は潤んで左右に揺れている。
「……俺から孫まで奪わないでくれ」
そうか。これがロッジモンドの“本音”なのか。
「惨めだ…。なんとも惨めじゃないか。魔女に怯えていたのは俺だけじゃない。それなのに俺だけが、いつも卑怯な小物扱いだ」
「そんなことはない。お前がジュエルを助けたのは評価に値する行為だった」
「……違う。単なる、お前に対する当て付けだったんだ」
「それでもだ。ロッジモンド。俺はお前の“愛国心”に打たれたよ。地没刑の魔女を倒した、この屍従王の胸に届いたんだ」
俺はグシャグシャになった紙を【角延】を使い真っ直ぐに綺麗に元通りに戻す。そしてその手紙を彼の手元へ返した。
「孫娘に誇るがいい。ハーベスト・ロッジモンド、我が旧友よ。お前の行動が、間違いなくこの俺を…屍従王カダベル・ソリテールを動かしたんだ」
「……カダベル」
俺はゆっくりと立ち上がる。ロッジモンドは唇をワナワナと震わせていた。
「……イルミナードを…いや、このギアナードを頼む…」
「……わかった。任せておくがいい」




