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屍従王  作者: シギ
第三章 魔法封印事変編
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062 ジョシュアとゴライ(1)

 自宅の部屋の中で、ロリーシェは魔法書を前にして難しい顔をしていた。


「……私はなにもお役にも立てていない」


 唇を噛み、ロリーシェは指を組む。


 神への祈りなどとうの昔にやめてしまった。


 今彼女が祈るのは、自分が最も敬愛して尊敬する存在であるカダベルにだけだ。


「私にもっと魔法が使えれば、カダベル様の研究のお手伝いもできる。でも……」


 セイラーから出された提案を前に、ロリーシェは悩む。彼女にとってはそれは苦渋の決断だったのだ。


「……私はどうすればいいの」


 組んだ指に額を押し付け、ロリーシェは正しい最善の答えを求めるため、久方ぶりに祈りを捧げたのであった……。




──



 セイラーの護衛が最優先事項であったが、なぜかサトゥーザから警護を緩和する指示がジョシュアに下された。


 数日の滞在で危険がないと判断したとは伝えられたが、それはジョシュアには到底納得いかないことであった。かといって、上からの命令に背くわけにもいかない。


 いきなり自由時間を与えられても、何の娯楽のない田舎町。唯一の肉親であるロリーシェには拒絶されているし、特に行きたいところもなく、ジョシュアはできるだけ村人の目に付かぬ裏手の山奥を目指す。


 藪の中を突っ切ると、少し開けた場所に出て、ジョシュアはここでならゆっくり考え事ができるだろうと足を止めた。 



「……この村には、カダベル・ソリテールがいる」


 ジョシュアは剣の柄を握りしめる。


 剣を交えたのは3度。団長や副団長のような“強さ”や“威圧”を感じたことはない。


 最初は言葉巧みに心理戦に引き込まれているのかと思っていたが、ただ単に口だけ達者なだけじゃなかった。


 得体の知れない戦法、底の見えない不気味さ…それが、ジョシュアだけでなく、サトゥーザをも警戒させるカダベルの力なのだろう。


「どうすれば…勝てる?」


 ジョシュアは考える。対魔法士戦の訓練は幾度となく繰り返した。炎や氷、鉄の武器を飛ばしてくる魔法を防ぐ訓練。弓や投石とは違い、持ち物では判別のつかない遠距離攻撃ほど剣士にとって厄介なものはない。


 カダベルは魔法士だ。だが、使う魔法は数こそ多いが大したものはない。それは子供でも使えるような生活魔法だ。いくらでも防ぎようがあるし、どれも単発では驚異となるものではないはずだ。


 それなのに、カダベルが杖術に加え、魔法を使い出した時に対抗する術が思いつかない。


「聖撃であれば…」


 聖騎士の切り札はカダベルに通用した。しかし…と、ジョシュアは考え直す。初見だったから通用しただけで、もう何かしらの対策を練っているのではないか、と。


 それに聖撃(ヒドゥン)聖技(ルク)はとても“自分自身の力”とは言えない。

 決して信心深いとは言えないジョシュアやサトゥーザが“神”を信じるのは、聖騎士であれば授けられる“神の加護”という秘技が授けられたからだ。


「俺自身の力で…勝たねば」


 ジョシュアは姉の姿を思い起こす。久しく彼女の笑顔を見ていない。反抗期には疎ましいとさえ思っていた姉の存在が、今の彼には喉から手が出るほどに求めてやまぬものとなっていた。


 さすがにカダベルを倒して事態が好転するとは思ってはいなかったが、ジョシュアからすれば姉との接点は現時点でカダベルだけであり、何かしらの会話の糸口を見出すには必要なことのように思われたのだ。


 少なくとも姉の関心を惹けるだろう…そんな程度の短絡的な考えからのものだ。

 

「謝るべきなのはヤツの方じゃないか…。なんでロリーにはそれがわからないんだ」


 口に出してみて、実に子供じみた言い分だと、ジョシュアは不快そうにする。


 彼は自分でわかっていた。ただ感情面で受け入れられずに、こうやって反発しているだけなのだと。

 かといって、湧き上がる激情をどうしていいかわからないのだ。


 ジョシュアは剣を構え、思うがままに振るう。剣を操るくらいに、自分の感情も自由に操れればと思う。


「……誰だ?」


 藪の先を見やり、ジョシュアは眼を細めた。


 木立ちの影から、数人の男たちが姿を現わす。


 全員がジョシュアとそう変わらないであろう若い男たちだ。


 その姿を見て、ジョシュアは軽くため息をつく。それは彼らが手に手斧や槍などの武器を持っていたからだ。


「よお。クルシァンの聖騎士(セイント)様」


 肩までかかる灰色のソバージュが特徴的な痩せぎすのリーダー格らしい男が、からかうような口調でそう言った。


 これだけでジョシュアにはその目的がよくわかった。規律と秩序を重んじる聖騎士団であっても、似たようなことは当たり前のように起きたものだ。


「俺になにか用か?」


「ああ。俺たちはこの村の防衛を担っているんだが…」


 全員の眼が、ジョシュアの持つ剣に向く。


「聖騎士ってのが、実際どんくらい強いのかって興味があってね」


 それは自分の強さに絶対的な自信がある者の口ぶりだった。


「ひとつ、俺たちに教えてくれないかい? 聖騎士団の技ってやつをさ」


 教えを請う気など微塵も感じられない。恥をかかせて、こき下ろしてやろうという目論見が明け透けであった。


「…くだらない。失せろ」


 ジョシュアは一蹴したが、それで納得する者たちではなかった。毛色ばみ、一気に剣呑な雰囲気が漂う。


「ケッ! 俺たちはずっと赤鬼どもと戦って実戦を積んできたんだ! お高くとまった、お行儀のいい“お剣法”なんて通用しねえってことを教えてやるぜ!」


「最初からそう言えばいいものを」


「うるせぇ! 余所者が! スカしてんじゃねぇぞ!!」


 男は手斧を振りかぶる。フェイントもなにもない、隙だらけの大振り。回避されたり防御された時のことをまったく考えてない。


 避けるのは造作もないことだったが、ジョシュアはあえて正面から崩す。武器を持った手を受け止め、関節を取って投げ落とした。


「ぎゃあッ!」


 獣のような呻き声を上げ、男は脱臼した肩を抑えて身動きが取れなくなる。


「受け身もまともに取れないのか」


 ジョシュアは拍子抜けした様な顔で、落ちた手斧を茂みの方へ蹴り飛ばした。


「お、おい…」


「ヒギッタがあんな簡単に…」


 リーダー格がいきなりやられたことで他が怯む。その隙を突いて、ジョシュアは疾風の如く走り、彼らの武器を叩き落とし、剣鞘で肩や脇腹といった致命傷にならない部分に打撃を与え、次から次へと倒していく。


「……もう終わりか?」

 

 息を切らせることもなく、ジョシュアは少し乱れた自身の髪の毛をかきあげる。


「…ひ、ひぃ」


 最後に残った若者は向かって来ることもなく、槍を手放してへたり込んだ。


「さっさと失せろ。俺に構うな」


 最初の威勢はどこへ行ったのか、若者たちは互いに支え合う様にしてすごすごとその場から立ち去る。


「……おい。聞こえなかったのか?」


 ひとりだけ動こうとしない、座りこんだ男をジョシュアは冷たい眼で見やった。


「こ、腰が抜けて…」


 ジョシュアは軽くため息を付くと、その男なんて最初から存在してなかったかのように再び素振りを始める。


「あの…」


「なんだ? 動ける様になったのならさっさと…」


「お、俺はこんな事したくはなくて…」


 ジョシュアはうんざりしたように天を仰ぎ見る。


「……それが本当なら、流されて付いてくるんじゃなかったな」


 聖騎士団も集団生活をしているから、同調圧力といったものがあることをジョシュアはよく理解していた。

 だが、その中にあっても、ただ状況に流される者、自分の意志を貫けない者は、どんなに品方向性、優秀であったとしても聖騎士団の中では軽視される。


「本当だよ! 俺は皆を止めようと…」


「止めようとしていたようには見えなかった」


 図星だったのか、男は俯く。


「……嘘じゃない。でも俺は…弱いし」


「弱い? 弱いからどうした。それを理由に自分の意見を曲げるのか?」


 ジョシュアは苛立ちを顕にした。


 彼が民間人であることは承知していたが、それでも何の信念も持たずに武器を持つ者を許せなく感じたのだ。


 ジョシュアは聖騎士になる厳しい訓練の最中で学んだ。自分が信じて命を預けられるのはたった1本の剣だけなのだ。

 揺るぎない信念を持って剣を振るうからこそ、剣も聖騎士の命を守り、その信念を貫く力を与えてくれる。

 そんな思いがあったからこそ、剣…武器を軽々しく扱う信念のない者を軽蔑するのである。


(カダベルも同じだ。弱いフリを演じて、姑息狡猾…行動に信念の欠片もない。そうだ。そうなんだ! だからこそ、俺はこんなにもアイツに苛立ちを覚えるんだ!)


 ジョシュアが眉間にシワを寄せていると、男がジッと自分の顔を見ていることに気付く。


「なんだ?」


「あ、いや…その……本当に俺、皆を止めるつもりで…」


「まだ言うのかよ」


「本当だよ! ロリーシェに似た顔を…殴るだなんて…俺はッ…俺には我慢ならないッ!」


 ロリーシェの名前が出たことに、ジョシュアは思わず毒気を抜かれたような顔になる。


 そんな険が取れた顔を見やり、男はうっすら赤面した。


「なんだ?」


「いや、なんでも…」


「ロリーを知ってるのか?」


 ジョシュアは口にしてから、我ながら自分でなんて愚かな質問をしたのかと思った。同じ村に住んでいるのだ。知らないわけがない。


「う、うん。な、仲良くしている…」


「仲良くしているだと!?」


 ジョシュアは思わず声を張り上げてしまったが、なぜ自分がこんなにも腹を立てたのか不思議に思った。


(こんな腑抜けがロリーと仲良く…)


 自分の心中を探ろうとして、ジョシュアは無益なことだと思い途中で止める。


「いや、仲良くして…います」


 敬語で言わなかったのを怒ったと捉えた男は訂正してそう言った。


(そうか。そうだな。ロリーと仲がいい、か。ならコイツと仲良くなれば…)


 ジョシュアはそんな打算的なことを考え、一向に立ち上がろうとしない男へ手を差し伸べた。


「あ、ありがとう…」


 男はヒョロリとした細身だったが、ジョシュアよりは若干背が高い。


「俺はジョシュア・クシエだ」


「え?」


「名前だ。お前にも名前くらいあるだろう」


 頭の回転も鈍い男だとジョシュアは思う。騎士団ではとてもやっていけないタイプだ。


「あ、俺は…ナッシュ・シマ」


「そうか」


「えっと、あの…ロリーシェとの関係…聞いても?」


「名前を聞いてわからなかったか? ロリーは俺の姉だ」


「え! ええ! ロリーシェの弟…さん!?」


(見て普通は気づくだろうに)


 そんなに大袈裟に驚くことかと、ジョシュアは舌打ちしたくなったのを堪える。


「…なら俺より年下で…」


「なんだ?」


「い、いや、なんでも…」


 ナッシュがなにかを言いたげにしたのを、ジョシュアは訝しんだ。


「だ、だけど…君、凄い強いんだね。ヒギッタ…ってもわかんないか。俺たちのリーダー…ああ、さっき君と話していた人だけど…青年部の中じゃ一番強かったのに、彼が手も足も出なかった」


「…騎士団の中じゃ、俺の強さなんて下から数えた方が早い。お前らが弱すぎるだけだ」


「そうなんだ…。これでも鍛えて、だいぶ強くなったつもりなんだけどなぁ」


 ナッシュは「まあ、俺自身は大して強くならなかったけど…」と小さな声で付け加える。


「お前たちの師は…カダベルか?」


「カダベル様? いや、基本的には村長に鍛えて貰ってる。時々、イグニストとかいうヴァンパイアの人が来て見てくれるけど…」


「ヴァンパイア?」


 ジョシュアの脳裏に、黒と赤のオッドアイの少女が思い起こされる。


「あ。あと、もうひとり凄い強い人が…」


「それもヴァンパイアなのか?」


「いや、あの人はなんていうか…カダベル様の家来というかなんと言うか…」


「家来? そんなのがいるのか?」


「うん。あの人なら、もしかしたらジョシュア…くん?」


 ナッシュが少し探るような眼をしてそう言ったが、特段としてジョシュアが気にした様子を見せなかったので安心したように続けた。


「ジョシュアくんにとっても、戦いの訓練をするのにピッタリの相手だと思うよ!」


 ジョシュアは自分の剣をチラッと見やる。


「も、もちろん、独りがいいなら無理に…とは」


「……いや、実戦に勝る稽古はない。護衛の任務もあるし、団長に見てもらうこともできなかった。そんなに強いヤツがいるなら教えてくれ」


「も、もちろん!」


 ナッシュの顔が明るく輝く。ロリーシェの弟に頼りにされたことが嬉しかったのだ。


「じゃあさっそく行こう! 案内するよ!」

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