054 ロッジモンド都市長
ゴンゴンッ!!
何度かの声かけを無視していると、扉が乱暴にノックされる。それも普通のノックじゃない。何か重い物ごとぶつかる音だ。
ゴンゴンッ! ゴゴゴンッ!!
無視してると、連打が始まる。
ゴッゴンッ! ゴゴンッゴゴンッ!!
ゴゴンゴンッ!!! ゴゴンゴンッ!!!
それも鬼連打コンボだ。
全身で体当たりノックしているらしい。
「…はーい。死んでまーす」
「冗談など聞きたい気分じゃない!!」
予想してた通り、扉越しにそう怒鳴られる。
「さっさと開けろ!!」
俺はしばし天を仰いでから、メガボンに向かって頷いて見せた。
メガボンがドアノブを回した瞬間、突入するような勢いで男が部屋へと入って来る。
身なりの整った小綺麗で高級そうな服を着ている恰幅のよい初老の男性。白髪交じりの髪はクルクルとしている。
彼は眼を血走らせており、その両手に木箱を抱えていた。この木箱ごと、扉に体当たりしていたようだ。
床に置けばいいのに…と思ったが、一度置いたら持ち上げるのが大変だからか。かなり重そうだしな。
「これはこれは、ロッジモンド都市長」
彼こそが、イルミナードの都市長ことハーベスト・ロッジモンドだ。
「朝っぱらから死者の館にまでご足労頂けるとは。なんとも申し訳ないね」
馬で来たのなら、今朝到着といったところかな。ほとんど寝てもいないだろうに元気なことだ。
「もう昼前だ!」
「そうか。死者の給仕でよければ、食事でも用意しようか」
「繰り返させるな! 冗談はいらん!」
彼は怒りを少しも隠すことなく、俺の眼の前に木箱をドンと置く。
「見ろ!」
「言われなくても見えてるよ」
その中は手紙の山だ。木箱から溢れんばかりなんだから、わざわざ覗き見しなくても中身はわかる。
「いやはや沢山だな。紙は貴重じゃなかったのかねぇ」
「そうだ! 貴重な物だからこそ、こちらも困惑している! 見ろ! その節穴の眼をかっぽじってな!」
「かっぽじらんでも元より空洞さ」
自分の眼窩に指を突っ込んで見せると、ロッジモンドは一瞬怯んだ様子を見せたが、首を横に振ってダイニングテーブルを両手で叩く。
「こんな物が毎月のように届く! 俺のところだけじゃない! インペリアーの貴族会堂にも! サルミュリュークのディカッター伯の所にも来ている!」
「ディカッター? へえ。君がハフムーン・ディカッター伯爵とそんなに仲がよいとは知らなかったな」
「……いや、そこは噂で聞いただけだが」
視線を逸らしやがったか。やっぱりな。ルフェルニがそんな話をコイツにするとは思えんしな。
「とにかく! こういった手紙が届いているのは事実だ!」
「……そうかい。こんな重い物を都市長自ら運んでくれるとはまったく痛み入る」
「あ?」
「ゴライよ、俺の書斎に運んでおいてくれ」
彼の後ろに立っていたゴライが動こうとするのを、ロッジモンドは「待て待て」と止めた。
「……カダベル。その中身を1通でも読んだか?」
「いま持って来たのに?」
「違う! そういう意味じゃない! 以前にも持って来ただろうが!」
そういや、そのまま物置にしまったな。
「ああ。そうだった。読んだ。…読んだとも」
「本当か?」
「あー、なんていうか、民衆の恨み辛みの凄いことだな」
「あ?」
「うんうん。屍従王が如何に邪悪かが知れたよ。客観的な視点からのアドバイスは貴重だ」
「ああ?」
「うんうん。くたばってよかったな。墓場できっと反省してるよ。猛省と言ってもいいはずだ」
俺がそこまで言うと、ロッジモンドは自ら額をパチンと叩いて大きくため息をつく。
「まったく読んでいないな」
バレたか。
読む気なんてなかったしな。
「…読まずともわかる」
「全然わかっていない」
「何がだね?」
「いいか。カダベル。これはファンレターなんだ」
「ファンレター? 誰への?」
ロッジモンドは無言で俺を指差す。
「俺宛? 待てよ。俺はインペリアーに侵攻した悪者だぞ。怖がられるならともかく、なぜそんなことになる?」
「そんな事は知らん! だが、屍従王が再来することを期待している民衆の声がこれだ!」
ギアナードの民は被虐嗜好でもあるのか。攻撃されることに悦びでも感じてるってのか。
「…屍従王は滅びたんだ。魔女ジュエルの手によってな」
「多くの民衆がそんなこと信じてはいない」
信じてはいないって言われてもなあ。
あれだけ大爆発して滅んだ演出が無駄になってしまうじゃんか。
「王国の脆弱性を露わにし、貴族と庶民との大きな垣根を除いた存在こそが、まさに屍従王なのだと…そんな話が国中に広まっている」
少し落ち着いたらしいロッジモンドは肩を落とすと、ゴライが持ってきた茶を受け取って向かいの席にドカリと座る。
「……いいか。よく聞いてくれ。カダベル。いまギアナードはな、かつてない危機に見舞われているんだ」
あんまり聞く気はしないんだがな。
「ゼロサム陛下に見切りをつけ、新たな王を擁立しようという動きがある。
ウィンガルム王家の血筋…王の叔母の息子はまだ5歳だが、それを貴族の一部が持ち上げようとしているのだ」
「…後見人による傀儡政治か。まあ世の常だよね」
「そのせいでインペリアー王都中枢は分裂し、ひどく混乱している。お偉方だけが内輪で揉めてる分にはそれだけだが、もう民間の支援団体まで巻き込んだ騒動になりつつあるわけだ」
魔女の威光もそんなに長持ちしなかったな。
「しかし、魔女の復帰を願うならわかるが、なぜ屍従王宛にお手紙がくるんだよ?」
そう尋ねると、ロッジモンドは何とも言いにくそうにしつつ続ける。
「魔女の存在は、民衆にとっては噂話の域を出ないものだった」
「…まあ、確かにな。貴族や、王国関係者しか存在を知らなかったわけだしな」
若干棘を含ませてそう言うと、ロッジモンドは咳払いする。
このサーフィン村に、魔女が赤鬼を放ったことを知っていたからこそ、気まずく思ったのだろう。
「……だが、屍従王は違う。実際に軍を率いて姿を現した。動く死者たちは、多くの者たちに目撃されている」
魔女よりも目立ちすぎたというわけか。
「しかし、だ。社会情勢が混乱して、民衆の不安が募ったからといって、屍従王の再帰を願うだなんて破滅願望もいいところだ」
終末論的と言うべきか。救いを求める相手を間違えている。
「そうではない。民衆だけじゃなく、貴族の一部すらも、統制ある指揮能力や、屍従王…いや、かつてのカダベル・ソリテールの能力を高く評価している者も少なくないんだ」
「おいおい、勘弁してくれ。死者に何を願うってんだ? このままじゃ神格化されちまいかねないじゃないか」
「いや、もうすでにそうなっている」
「そうなっている?」
「熱心な信奉者が、屍従王という名の元に民主主義を謳う政治活動を始めている」
「…は?」
「インペリアーの裏路地で、秘密裏に集会を行っているという話もあるぐらいだ」
俺は開いた口が塞がらなくなる。屍従王と民主主義にどんな関係があるってんだ。
「お前がどう思おうと、もはや方々に影響は及んでいるんだ。少しは真面目に考えてくれ」
「考えろ? 俺に何をしろと…」
「何もせんでいい。何かしろと言っているわけじゃない」
「なんだぁそりゃ?」
「ただ、その存在を…仄かにでも示してくれるだけでいいんだ。後のことはこちらでやる」
なんだか本当に嫌な予感しかさせない台詞だ。
「…それでどうなる?」
「屍従王がゼロサム王を支持していると知れれば、少なくとも対立者たちは大人しくなるハズだ」
俺は手紙の山とロッジモンドを交互に見やる。
「……俺は死者だ。政治…いや、生者たちの問題には関わらん」
ロッジモンドは目線を落とすと、茶を一口飲んで唇を湿らせてから口を開いた。
「カダベル。お前とは父の代からの付き合いだ」
「そうだな。お前がハイハイして、ヨダレを垂らしていた頃から知っている」
話の腰を折ってしまったようで、ロッジモンドはまた大きく咳払いしてから先を続けた。
「私とはかなりの年齢差こそあるが、それでもこうやって腹を割って話せる親友と思って接していたつもりだ」
「思い出話ならまた今度に…」
「いいから聞いてくれ」
話が長くなることを察し、俺は椅子に深く腰掛ける。
「…お前が晩年、誰にも知られない場所に蟄居したいと連絡してきた時は驚いた。だが、詳しく話を聞いて、他人に興味を抱かない変人……いや、お前らしいとも思ったさ」
そうだ。元カダベルはこの男に頼んで隠棲を始めたんだ。
「そこで、閑静で余生を静かに暮らせる環境…イルミナードの住処を提供した。私もそこには顔を出さなかった。使用人すら側に置かないのは、独りで死を迎えることこそが、カダベル・ソリテールという男の望みだとよくよく理解していたからだ」
当たっている。カダベル自身、訪問客が居ないことを喜んでいたのは間違いない。
「それがどうしてだ。動くミイラとして戻って来ただけでも驚きなのに…」
ロッジモンドは俺を何度も指差す。
今でこそ彼も馴れたもんだが、最初は卒倒してしまうほどに驚かれて、その後に質問攻めにされたな。
「インペリアーを大混乱させた屍従王張本人として、今更になって、私の眼の前に現れたのはなぜなんだ?」
「…だから、前も話したように成り行きなんだよ。望んでしたことじゃない。今は静かにしているだろう」
「これのどこがだ?」
ロッジモンドは、机の木箱を拳で軽く叩く。
「お前が投げたはたったの1つの石だったかも知れん。だがそれが起こした波紋は、今なお拡がり続けている。屍従王の名は独り歩きし、お前の意図していない所で、新たな問題を生み出そうとしている…いや、もう生み出されているんだ!」
木箱から手紙を1枚取り、それをロッジモンドは滑らせ、俺の手のところで止まる。
それは俺宛の便箋だ。余白に何としてでも読んで貰いたい旨、そして何としてでも俺に届くようにと、ひたすら懇願するような文章が長々と添えられている。
「この問題を解決できるのは、ただひとり…屍従王カダベル・ソリテール本人しかいない。責任を果たせ。その義務がお前にはある」
俺は大きく息を吐き出す真似をする。
「……なんとも勝手な話じゃないか。ハーベスト・ロッジモンド。俺は君に助言を求める為に正体を明かしたわけじゃないぞ」
「なんだと?」
「俺の望みは各領主間が協力し合い、王国を助けてギアナードがさらに繁栄することだ」
「それで?」
「ロッジモンド。今更になって事実を伝えたのは、君であればディカッター伯の心強い味方となると俺は信じたからだ」
「ああ。それは間違いない。私も当然、ギアナードの繁栄を願っている。その上での話だ」
「ロッジモンド。屍従王は滅んだんだ。そしてカダベル・ソリテールも死んだ。…死者が国に影響を与えるのは間違っている」
「そう思うのなら、なぜ屍従王などと名乗って矢面に立った? 死者ならば死者らしく、棺桶の中に閉じこもっていれば良かったじゃないか」
「……魔女の横暴に晒されたままで良かったと言うのか?」
「結果論的にはそうだ。魔女がいなくなった後のこの混乱を見ればな。領主としては、“そうだ”と言わねばならん」
「はッ! ご立派なことだな!」
事なかれ主義もここまでくれば大したもんだ。思わず鼻で笑い飛ばしてしまう。
明らかにロッジモンドは怒っていたが、若い頃とは違って、椅子を蹴って部屋を出て行く様な真似はしない。
出て行ってくれれば万々歳だったんだが、そこは老獪さを身につけたってことか。
「お前が私をどう思おうと構わん。しかし、死者の独善が、魔女ジュエル・ルディを倒した事には変わりない」
独善ときたか。
腹が立つが、そこは否定できない。
かといって、コイツに偉そうに指摘されるような話でもないがね。
「…ロッジモンド。お前の本心は何だ」
「本心だと?」
「そうだ。愛国心から…なんてことをお前が言うわけないだろう」
俺は手元の便箋を箱に戻して言う。
「愛国心さ」
「おいおい…」
「いや、本当にだ。亡くなった父の年齢もとうに越し、私も引退を考える年齢だ。息子や孫に、安心して生きていける街や国を残してやりたい。その為にならなんでもする」
さっきまでのはどうかわからんが、こっちは本心っぽいな。
「だから、カダベル。頼む。考えてくれ…」
断りたいところだが、普通に断ったらまたグチグチ言われそうだな。
「……わかった。検討はする」
「本当か! ならすぐにでも!」
「検討を加速させる!」
「そうじゃない!」
「……いや、待て。俺だけじゃ判断できんってことだ」
「む?」
「ディカッター伯や、ラモウット伯などの他の貴族の意見も聞いてからの方がいいんじゃないか? 何をするにも、足並みは揃えるべきだろう」
「あ、ああ。そうか…それはそうだな」
貴族の名前は便利だ。ロッジモンドも少し冷静さを取り戻した。
「ロッジモンド。お前からそれとなしに聞いてみてはどうだ? 俺が現存していることは伝えず、屍従王をどう思うか。それ次第では敵対したりする可能性もでてくる。それからでも遅くはないだろう」
「……うむ」
危ない危ない。
コイツが権力に弱い男で良かった。
それにルフェルニやミューンとの関係もぼかして伝えてある。単なる顔見知り程度だと、ロッジモンドはそんな風に思ってるはずだ。
ロッジモンドの“裏側にいるヤツ”も、ディカッター家を敵に回したいとは考えてはいないハズだろう。
「それで支障がなければ俺も考える。今日のところはそれでいいか?」
「ああ。頼む。頼むぞ。カダベル」
手応えを感じたらしいロッジモンドは「よし」と頷いて部屋を出て行った。
「……やれやれ。まったく。お前らのどっちか、俺の代わりに屍従王にならないかい?」
ゴライとメガボンは顔を見合わせる。
「なんでもないよ。気にせんでいい。俺の問題だよ。はぁー」




