39.合否
そろそろ魔術師の塔の入門試験の合否が発表される頃合いであった。
既に成人を迎えている他の受験者の元には合否の結果が知らされていると聞く。
試験が最終日であったルネの結果は、日程と同じように最後なのだろうと言われている。
ルネはと言うと、やはり落ち着かないようで、空を見上げる回数が格段に増えた。
そんな婚約者の様子を、内心ハラハラしながらアリゼは見守っている。ルネの家族も友人も、彼の心情を慮り、何も言わずにいる。
アリゼがその想いを伝えてから、二人の距離感が縮まったかと言えば、ほんの少し進展したとも言えるし、後退したとも言える。
時折手が触れ合った際に意識し過ぎてしまって、慌てて手を離し、お互いに頰を赤く染める、などという事ばかり繰り返している。
そんな様子に友人達は、夜会で何度もダンスをしていたのに今更と思っているが、言わずに見守っている。
アリゼの父親だけがその状態に満足気である。
やはり、娘を持つ父親としては複雑な思いがあるようだ。
タウンハウスの自室にてアリゼはハンカチーフに針を刺していた。リボンは渡し終えたので、今度はハンカチーフに刺繍を始めたのである。
ルネに身に付けてもらえるのだと思うと、胸がくすぐったくなる。
卒業すればこれまでのように会う事は叶わなくなる。アリゼも領地に視察に行く。自分の代わりにルネの側において欲しい。
今もマナーを学びに通っているが、講師には近頃動きに淑女らしさが増してきたと褒められた。
アリゼは自身の変化にあまり気付いておらず、淑女教育がやっと身に付いたかと喜んでいるが、周囲は気付いている。
それまでの教え込まれた淑女の仕草は、意識的に行われたものだった。今は、滑らかさと言うべきか、自然さと言うべきか、アリゼの所作の一つ一つは柔らかく、繊細さを持つようになった。
ひとえにルネへの恋心からくるものだろう。
ドアをノックする音に侍女が反応する。
侍女がアリゼの代わりにドアを開けると、訪れたハウスメイドがアリゼ付きのレディスメイドに手紙を手渡して去って行った。
「お嬢様、ルネ様からのお手紙です」
「お茶のお誘いかしら?」
失礼しますと断ってから手紙を開封する。
手紙の内容を確認した侍女はアリゼに報告した。
「明日、お嬢様にお会いしたいとの事です。承諾とお返ししてもよろしゅうございますか?」
「勿論よ。用意をお願いね」
頷いた侍女が部屋を出て行き、アリゼは針を刺すのを止めた。自然と息が溢れる。
ルネが訪れる理由はきっと、魔術師の塔入門試験の合否についてだろう。
受験するより前から、どんな結果であっても構わないと思っていた。その気持ちに変わりはない。
合格して欲しいと思っている。けれどどれだけ空に浮かんだ花が美しくとも、国益を齎らすものかと問われれば、否と答える。
刺繍の続きをする気になれず、立ち上がり、窓の前に立つ。
冬特有の冷気が硝子や壁を通して伝わってくる。
「ルネ……」
ルネは今頃どんな気持ちなのだろう。
空はアリゼの瞳と同じように、灰色がかっていた。
平静を装うアリゼを前に、両親は不安気な表情で娘を気遣う。アリゼは微笑んで言った。
「不合格であったなら、ピジエのおじ様に私達の婚姻を認めていただけるようにお願いしなくてはいけないの」
何の事か分からない両親にアリゼが説明すると、ようやく両親の表情の強張りが解けた。
「それならば私もお願いに行かねばな」とルデュック伯も言い、夫人は笑顔で頷いた。
「合格していて欲しいのは、ルネの為です。ピジエ家の為でも、当家の為でもなく。
不合格であっても、私にとってルネへの気持ちは変わらないけれど、ルネが心配で仕方がないの」
はっきりと言い切った娘に、ルデュック夫妻は一抹の寂しさを感じた。
また一歩、娘が大人になる為の階段を登り、自分達の手から離れた事を実感したからだ。
「言葉など要らぬ事もある」
「そうよ。辛い時には寄り添ってくれる存在がいるだけで、救われるものよ」
両親の言葉にアリゼは頷いた。
これまでマチューの事で何度も傷付いて、その度にルネは何も言わずに寄り添ってくれた。
それがどれだけアリゼの心を救ったか。
ルネが傷付いたなら、絶対に側にいよう、そう、心に決めた時、ルネの訪いが告げられた。
分かっているのに、それでも、ルネの待つサロンのドアの前でアリゼは立ち止まった。
ルネはどんな顔をしているのだろう。
ルネを思うと胸が痛くなった。辛い気持ちを抱えているなら、全て代わってあげたい。痛みも苦しみも、全部自分が肩代わりしてあげられたならと思ってしまう。
侍女に声をかけられる。
大丈夫、ルネは合格している。
そう信じる。
不合格であったなら、ルネに寄り添う。
呪文のように繰り返してから、アリゼは頷いて顔を上げた。
開けられたドアの先に、窓の前に立つルネの後ろ姿に、アリゼは泣きそうになる。
振り向いたルネはアリゼの様子に慌てて駆け寄って来た。
「どうかした?」
私はどうもしないの、ルネ、貴方の事よ、そう言いそうになる。
アリゼの顔をルネは心配そうに見つめる。
何故立場が逆転しているのだとアリゼは不満に思うが、ルネはいつも穏やかで、自分より他者を──アリゼを優先する。
「あまり顔色が良くない。体調が悪いみたいだし、報告だけして、お暇するね」
「それは駄目!」
思わずルネの袖を掴む。
ルネはアリゼが何を思ってこのような状況なのかを察した。
「あの、アリゼ、座ろう?」
頷くアリゼの手を引っ張って椅子に座らせる。ルネも腰掛けようとした所、アリゼは離れて座るのを嫌がった。
カウチに隣になるように腰掛ける。当然、適切な距離はルネがちゃんと取って。
「ごめんね、不安にさせて」
だから何故、ルネが自分を気遣うのだ。そうではない。私がルネを慰めるのだとアリゼは不満に思う。
「合格したよ」
一瞬、何を言われたのか分からずに、アリゼは瞬きをした。本当に驚くと言葉は出なくなるのだと知った。
「あの、花で……?」
「僕が報告したのは、空に浮かべた花ではないよ。副産物と言うか、結果として空に花を咲かせたけれど」
そう言って笑うルネに、アリゼは首を傾げる。
「どう言う事なのか、私にも分かるように説明して」
「うん」
ルネの説明によれば、本来試験で見せようと思っていた事は、髪を切り落とした事で不可能になったのだそうだ。
その言葉にアリゼは頷いた。
髪に魔力が宿るからこそ、魔術師にとって髪は必須だ。その為に長い年月をかけて伸ばす。
だからこそ、今のルネが出せる魔力は、空に花を咲かせるのが精一杯なのだと思っていた。
「宿った魔力はね、そのまま髪に残っているんだよ。使えばなくなってしまうのは何回か試してみて分かってね」
切り落とした髪に残った魔力を使ったとルネは言う。
「魔力は髪以外にも溜められるのではないかと言う仮説が過去に立てられていたんだけど、それを実証する事にしたんだ」
一番髪が魔力を溜め込むのに適していて、次は宝石だったかな、とさらりと言うルネに、アリゼは言葉もない。
「それだけを報告するのもどうかなと思って、魔力を溜め込める性質を持つものを使って空に花を咲かせていって、最後に自分の髪に残っていた魔力を使ったんだよ」
あとね、とルネは続ける。
「あの花は火薬を詰め込んだ玉を空に打ち上げているんだよ。魔力量によっても威力──花の大きさが変わるんだ。
火薬に色を付けるのは初めての試みだったんだけど、上手くいって良かった」
にこにこと微笑むルネに、アリゼの身体から力が抜ける。思わずカウチの背もたれに寄りかかる。
「アリゼ? 大丈夫?」
「力が、抜けたの……」
ルネの手がアリゼの手に重ねられる。
「ありがとう、心配してくれて。
諦めないでいられたのは、アリゼのお陰だよ」
「違うわ、ルネが頑張ったからこの結果なのよ。私の事は関係ないわ」
否定するアリゼにルネは首を振って見せる。
「結果がどうなろうと、やりきろうと思えたのは、アリゼがいたから。
アリゼがいなかったら、前と同じように諦めていたと思う」
だからね、と言葉を切ってルネは微笑む。
「ありがとう、アリゼ」
「変だわ、私にお礼を言うなんて」
言いながらアリゼは少しだけ困ったように笑って、もう片方の手をルネの手に重ねた。
「おめでとう、ルネ。本当に、おめでとう」




