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君は君のままで  作者: 黛ちまた


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37.広まる

 魔術師試験は終わったものの、ルネは精神的に疲弊しているだろう。そんな彼をどう慰めようかと級友達は話し合っていた。

 にも拘らず、久々に登校したルネの表情に暗さはなく、手首に灰色のリボンを巻き、そのリボンを愛おしそうに撫でている。

 予想とまったく違う様子に、皆、戸惑った。


 昼休みには婚約者であり、二つ年上の伯爵令嬢がルネを迎えに来て、仲良く中庭に向かう。

 以前と違って本を読む事は止めたようで、楽しげに食事を摂る。時折見つめ合っては頰を赤く染め、甘い雰囲気を漂わせる二人に、級友達は納得がいかなかった。


「何があったのかさっぱり分からないんだが」


「婚約者同士仲睦まじい事は望ましい事だけど、魔術師試験の事や、例の事件もあった筈なのに、一体どうなっているんだ」


 うんうん、と頷く生徒達。


「誰か何か知らないか?」


 知る者などいないと思っての言葉だった。

 呆れに近い感情で、やってられないよな、と続けるつもりだった言葉は、意外な人物によって破られた。


「実は……」


 級友の一人がおずおずと話し始める。

 影が非常に薄く、存在を忘れがちな男子生徒が名乗りを上げた。皆の視線がその生徒に集中する。


「あの日、僕、図書室の窓から、見ちゃったんだ」


 それから語られた内容は、世の中に出回っている話とは大きく異なっていた。

 距離のある場所から見ていたから、会話の中身までは分からない。

 けれど状況から判断出来るものはある。


 ジュリアが木材を束ねた縄を切り、アリゼに向けて倒し、それをルネが庇った事。

 パオロが像を動かしてジュリアの顔が火傷した事。

 短剣ナイフでアリゼを襲おうとしたジュリアをマチューが止めた事。

 木材の下敷きになって、抜け出られなくなり、ルネが髪を切り落とした事。


 誰もが言葉を失った。

 これで終わりかと思ったら、少年は更に言った。


 その惨劇の少し前に、マチューがジュリアに細い何かを渡していた、と。

 誰かが詩吟の会でマチューが手首に巻いていたリボンじゃないかと言った。


「……じゃあ、あの詩は、何だったの?」


 愚かな自分の所為で失われてしまった彼女。

 切々と語られたあの詩は、一体何だったのか。


「もし本当にあの詩が本心だったなら、リボンをソネゴ嬢に渡す必要はない、よね」


 おずおずと頷く生徒達。


「実は、名誉を挽回する為にテター様が仕組んだ事、とか……?」


 その言葉にぎょっとする生徒達。


 テター伯爵家に生まれ、眉目秀麗で、ルデュック伯爵家への婿入りも決まっていたにも拘らず、その傲慢さが仇になり婚約が解消されてしまった。その後もしばらくの間、恥ずべき行いをしたと聞く。

 婚約が解消された後も、ジュリアと婚約するでもなく、新しい婚約者を探そうとしている様子もなかった。

 アリゼとルネを見つめている姿もたびたび目撃されてもいた。諦められていないのではないか。

 その上あの詩吟の会である。


 先日の事件で株を上げたのはマチューだった。

 自慢の美貌を失い、悲観した彼女ジュリアは死を望んだ。それを助けたとして。

 蓋を開けて見れば確かにマチューはジュリアの暴挙を止めたかも知れないが、出回る話とは異なる。

 得をしたのは誰だったのか──?


「じゃあ、ソネゴ嬢は被害者と言う事なの?」


 ある女生徒の疑問に、いや、と否定が入る。


「ルデュック嬢をソネゴ嬢が毛嫌いしていたのは有名だから、それはないと思う」


 それに、と区切ると、ため息を吐いてから言葉を続けた。


「ソネゴ嬢は、ソネゴ男爵の実子じゃないと教えられた」


 その場にいる生徒の多くが知る事実なのだろう。驚いた表情を見せた者は僅かで、俯く者や眉間に皺を寄せる者が多かった。

 何故知り得ているかと言えば、親が教えたからだ。我が子と家を守る為、彼女とは関わるなと言い含めたからである。


「一体、どう言う事……?」


「ソネゴ嬢はルデュック嬢を嫌い、テター様に近付いた。傲慢だったテター様は調子に乗ってルデュック嬢にきつく当たり、婚約が解消されてしまった。

慌てたテター様がルデュック嬢を取り戻そうとして、二人は仲違いした」


「それじゃあリボンの説明がつかないわ」


 そうだそうだ、と声が上がる。


「最後の目的が違ったんじゃないか?」


 ずっと考え込んでいた推理好きの生徒が顔を上げて言った。どういう事だと怪訝な顔をする級友達に、少年は嬉々として持論を展開する。


「さっき彼が言ったように、ソネゴ嬢はルデュック嬢を嫌っていて、テター様に近付いたのは僕も同意見だ。

二人にとってルデュック嬢とピジエがこのまま婚姻を結ぶ事は避けたい。だから手を組んだ。

けれどテター様はルデュック嬢と縒りを戻したいから、最終的にはソネゴ嬢とは決別したんだよ。それにゲイソンは巻き込まれてこっぴどく振られたんじゃないだろうか」


 少年達がうんうんと頷くのを、女生徒達は冷めた目で見つめていた。同性である男子生徒はパオロに対して同情票が多いが、女子生徒はパオロに疑義がある。


「そんなのは貴方達の推測でしょう? 勝手に決め付けるのは良くないわ」


「じゃあ、君は何が正解だって言うんだい?」


 意気揚々と語っていた気持ちに水を差され、不貞腐れた様子で聞き返す。


「分からないわ。いくら図書室から見ていた事が私達の知る事と違うからと言って、そんな風に誰かを一方的に悪者に仕立てるのは良い事じゃないもの」


 図書室の窓から目撃していた影の薄い少年に向いた少女は、申し訳なさそうに言った。少年は自分の言い出した事の所為でこんなにも話が広がった事に萎縮していた。

 彼はただ、秘密を自分の中に抱え込む事が辛くなっただけなのだ。マチューを貶める意図はない。


「ごめんなさい、貴方の言う事を否定したんじゃないの。むしろ、貴方が見たものが本当ならこの事はこれ以上広めたら危険だと思うの」


 危険? と聞き返された言葉に女生徒は頷いた。


「ソネゴ様の血縁の方に知られたら大変だと言う事よ。それがあるから、ピジエ様も、ルデュック様も真実に蓋をしているのだと考えた方が辻褄が合うもの。そうでなければ、家格が下のソネゴ家をあのままにしておく理由がないわ」


 その場にいた生徒達の顔色が変わる。

 推理好きの男子生徒の顔も先程のような元気はない。


 話はここで止まる筈だった。

 しかし、人の口に戸は立てられぬもの。

 秘密を人に話したくなる者もいれば、内容の重さ故に己の内に抱え切れずに吐露してしまう者、それぞれである。

 それが信頼のおける家族ならば尚更。

 危険に対する意識は人それぞれであり、各家の持つ事情も異なる。




 全てはマチューが仕組んだのではないかと言う噂が流れるのに時間はかからなかった。


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