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君は君のままで  作者: 黛ちまた


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34.灰色の瞳

 ルネに会いたいと思うのに、会えない日々をアリゼは送っている。

 学園は再開されたのにルネは学園に来ていない。

 アリゼ宛に手紙は届いた。

 元気にしているから心配しないで、と書かれた手紙が。

 魔術師の試験までは学園に行けない、とも。

 返事を書いたが、それに対する返事は来なかった。

 不安は感じるものの、煩わせたく無いという思いの方が強かった。


 試験は来月。

 たったひと月なのか、ひと月も、なのか。

 アリゼの胸の内は荒れるまではいかずとも、不安でいっぱいだった。

 学園で過ごせる時間は残りわずかなのだからと思うようにしても、何処か楽しめない。

 そんな彼女の様子を友人達は理解していて、無理を強いる事はなかった。側に寄り添い、他愛のない話をするにとどめてくれた。

 その優しさに甘えていると自覚はあるものの、気が付くとルネの事を考えていた。


 あの日の事を詳しく知らずとも、流れてきた噂は友人達の耳にも届いていた。

 ルネ・ピジエはあの日、ジュリア・ソネゴに襲われたと言う噂だ。

 ルネを手に入れようとしたジュリアがルネを襲い、怪我こそしなかったものの、ルネの長い髪を切り落としたと言うものだ。

 学園にルネが来ない事もまた、噂を助長した。

 パオロは黙して語らず。ただひたすらに、勉学に打ち込む姿が見られた。


 アリゼは何も話さなかった。




 冬が近付いて来ていた。







 空気がからからに乾燥し、落ち葉が強く吹いた風に舞う。

 アリゼにとって学生でいられる最後の冬。

 来年は王都ではなく父と一緒に領地に行く事になっている。

 このまま試験が終わるまでルネに会えないのだろうかと寂しく思う気持ちと、邪魔をしてはいけないという気持ちがないまぜになる。

 卒業すれば正式に成人として認められる。

 ルネの代わりに領地の経営をするのだから、心を強く持たねばと、己に言い聞かせる日々。

 分かっている。

 分かっているのだ。

 全て頭では理解しているのに、会いたいのだ。

 せめて遠くからで良いから姿を見たいと思ってしまう。


 空を見てはため息を吐き、憂いを帯びた表情を見せる娘に、父は複雑な思いを抱き、母は何か思い出す所があるのか満足げに頷いている。

 アリゼ自身、自分の中の感情を理解していた。

 ルネへの好意は幼馴染のそれから恋心へと姿を変えた。

 物語にあるような激しいものはなかったけれど、その想いはアリゼを幸せな気持ちにし、不安にもさせた。

 何という所在なげな心持ちなのだろうと、初めて知る恋心に戸惑いを覚える。

 寝ても覚めてもルネの事を考えてしまう。


 かつてルネからもらった花はドライフラワーとして飾られている。

 蝶の髪飾りを眺め、触れ、あの日の夜会を思い出す。

 成長過程にある彼はアリゼと同じ目線で、身体付きも少女の自分とあまり差を感じなかった。

 けれど収穫祭の日、アリゼを守ろうとする彼の背中は大きく感じられたし、木材から彼女を庇ってくれた腕は力強かった。

 見た目ではなく、線の細さも関係ない。

 詩にのせて愛を、笑顔で慈しみを、誘惑も跳ね返し、悪意による害から態度で示して守ってくれた。


 たとえこの先ルネがどんな選択をしようと構わない。

 次こそは自分がルネを守るのだとアリゼは思っている。

 女性の身でありながら、男性を守るなどと口にしたなら、生意気だの勝気だのと口さがなく言われる事は分かっている。当然、口にはしない。

 けれど心の中でどう思おうと許される筈だと思う。

 大切な人を守りたい、幸せにしたい。その思いに性別など関係ない筈だ。

 その為に努力する事は恥ずべき事では無い。

 以前よりも淑女としての講習レッスンに身を入れ、領地経営の為にと様々な本を読み、知識を蓄えている。

 己の為であり、ルネの為に。


 アリゼはあの日渡せなかった灰色のリボンを新調し、改めてルネの名を刺繍している。

 ひと針ひと針刺す毎に、ルネの健康を願い、彼の望みが叶うようにと祈りを込める。




 真っ直ぐに前を見つめるようになった彼女を、友人達は誇りに思い、少し寂しく思う。

 自分達より先に大人になろうとしているアリゼが、眩しくもある。


「すっかり大人びてしまって、私達の可愛いアリゼは何処にいってしまったのかしら」


 カフェのテラスで、いつものようにお茶を飲んでいた際にシモーヌが言った。その言葉にエミリエンヌもイレタも頷く。


「恋をすると人は強くなると申しますが」


 エミリエンヌの視線を受けてアリゼは僅かに頰を染め、笑顔になる。かつてのアリゼなら熟した林檎のように顔を真っ赤にして慌てて反論しただろう。


「私も恋をしたい」


 唐突なシモーヌの言葉にはさすがに驚いた。


「アリゼのような穏やかな恋に憧れているの。物語のような、激しいものではなくてよ?」


 そう言ってうっとりするシモーヌを三人の友人は見つめ、同じ事を思った。

 シモーヌは驚くような激しい恋愛をしそうだ、と。

 彼女のはっきりした気性や言動から、穏やかさは程遠いと思った友人の、率直な思いだった。


 アリゼは友人達に素敵な出会いが訪れるように、波乱に満ちたとしても幸せな未来が訪れるようにと胸の中でそっと祈った。

 同じように友人達も、自分達の友情がこれからも続くように、それぞれが幸せになれるようにと願うのだった。


「……いよいよですね」


 イレタが言った。

 アリゼの表情に変化はない。内心、心が揺れ動きはするものの、ルネを信じると決めた。

 きっとルネの家族はこんな迷いなどないのだろうとアリゼは思う。

 ルネを信じ、純粋に応援しているに違いない。

 自分のように惑う事などなく。


 強い風が吹き、窓が僅かに揺れた。

 風が吹くたびに、日を追うごとに、寒さが増す。

 曇った空は灰色をして、己の瞳の色を思い出させた。


 嫌いだった色。

 今だって好きにはなれていない。

 けれどルネが好きだと言ってくれた。その優しさを、気持ちを素直に受け止めたい。


 曇り空の上は、晴れているんだよ、アリゼ。

 そう言ったルネの言葉を思い出す。


 雨は空気と大地を潤し、生き物にとって必要なもの。

 多過ぎる雨は災いになるけれど、不足しても災いとなる。

 アリゼの瞳の色は、災いの色ではないよ。

 これから、全てを潤す源を作る空の色だよ。


 瞳の色を好きだと言われた時にはただ、嬉しかった。

 けれどこの言葉は、アリゼの深い部分に出来ていた傷を癒した。

 自分は自分のままで良いのだと、許された気がした。

 大袈裟だと人は笑うだろうが、アリゼはそう思ったのだ。


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