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君は君のままで  作者: 黛ちまた


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28.リボンの行方

 中庭を歩くマチューの後ろを、ジュリアがご機嫌な様子で歩く。


「あぁ、良い気分!」


 ジュリアのその言葉に、マチューは立ち止まると振り返った。


「……何故そこまでアリゼに執着する?」


 尋ねるマチューの目には何の感情の色も浮かんでいない。怒りも哀しみもない。戸惑いも、関心も、何もない。


 うふふ、とジュリアは笑う。


「だって、恵まれているのに、悲劇の主人公のように振る舞う姿を見ていると苛々するんだもの。

容姿もなにもかも凡庸なのに、伯爵家の一人娘だと言うだけでちやほやされて」


 同じ事を思い、かつてアリゼに酷い仕打ちをしたマチューは、その言葉を否定も肯定もしなかった。


「……オレにこんな事を言う資格はないが……アリゼが伯爵家の一人娘な事はジュリアと関係ないだろう」


「私のお母様はね、ルデュック伯に憧れていたのですって。婚約者に、という話もあったそうよ。

でも、選ばれたのは冴えない方で、二人の間に生まれたアリゼ嬢も凡庸な令嬢……」


 苛々するわ、とジュリアは心情を隠さず口にする。

 暗に自分がアリゼの位置にいたかも知れないと言っている。


 マチューはルデュック夫人を知るが、ジュリアが言うような冴えない女性だと思った事はない。

 華やかさはないが慎み深く、穏やかな淑女だ。


「家柄だけで貴方マチューの婚約者になり、今度はルネ様よ? 何故あの方ばかりが恵まれるの? 愛されるの?」


 自分とアリゼの婚約は家同士が決めたものだった。

 ルネとの婚約はそうではないかも知れないが、そんな事はどうでも良い。

 マチューはジュリアが口にする感情に覚えがある。

 かつて自分が抱いていた、甚だしく思い違いをした感情と同じものだ。


「……ジュリアが望む未来が得られない事とアリゼは関係ない」


 分かっていてよ、そんな事は、と答えてジュリアはつまらなさそうに鼻で笑った。


「そのまま幸せになるのが気に入らなくて、軽く嫌がらせをしただけだもの。それすらこれから彼女が得られる幸せを思えば、良い思い出になるわ」


 そんな事はない、とマチューは心の中で思う。

 アリゼは真面目な気質だ。マチューとの未来をより良いものにする為に彼女は努力した。無茶とも言える元婚約者マチューからの要求にすら応えようとした。

 マチューはその努力に目を向ける事なく、否定し続けた。ただ、人より才に恵まれただけで、誰かの努力を理解しようともしなかった。


 ジュリアの行いは、賛同されづらい、醜い感情である。決して褒められたものではない。同じ感情を内に抱く者がいたとしても、それを露骨に表す事は控えるものである。

 アリゼは何故ジュリアに敵視されるのかと思い悩んだ。理由を知ったとしても受け入れ難い。

 ジュリアの抱くそれは、嫉妬なのである。アリゼにはどうしようもない事に対する歪んだ感情。

 アリゼとて悩みはある。けれど自分よりも優れたものを持つ者に対してそのような感情を抱きはしない。抱いたとしても、そんな己を恥じるだろう。

 誰かを妬む、嫉む事は本来、苦痛を伴うものだ。それを向けられた者もまた、傷を負う。


 ジュリアを見ながら、かつての己の醜悪さは、こんな感じだったのだろうかとマチューは苦々しく思う。


 手首に巻いていた灰色のリボンを解くと、ジュリアに差し出す。


「理由は聞かないが、他の男の名を縫い付けたものを身につけさせる事も、あんな詩を詠ませる事も、決して良い趣味とは言えない」


 リボンを受け取ったジュリアは、非難されているにもかかわらず笑顔だ。


「良いの。あれを見た方達はアリゼを悪く思うだけよ」


 リボンを伸ばし、刺繍された文字を見る。


 ルネ・ピジエ


「彼女、刺繍の腕前も大した事がないのね」


 何から何まで否定していく。


 渡された時、もしやと思っていた。刺繍されたルネの名、アリゼの瞳の色をしたリボン。

 このような贈り物をもらった事はなかったと、ジュリアからリボンを渡された時に思い、ちくりと胸が痛んだ。

 今だってマチューはアリゼに恋情を抱いたりはしない。

 それでも、自分の愚かな行いが招いた結果については後悔をしている。


 もう付き纏うなと拒絶したマチューに、ジュリアは分かったと答え、その代わりにお願いを聞いて欲しいと言った。それが今朝の出来事だった。

 ジュリアの望みは、アリゼとの事を後悔している事を匂わせた詩を詠む事と、このリボンを手首に巻き、父兄の目に止まるようにして欲しいという事だった。


 悪趣味だとマチューも思いはしたが、アリゼに対する後悔は彼の中で渦を巻き、じくじくとした痛みを訴える。

 自尊心の高い彼はジュリアを言い訳に詩を詠む事にした。そうすれば誰に対しても言い訳がたつ。

 アリゼに届いて欲しかった訳ではなく、ただ、吐露したかった。

 あんな詩を詠んだのだ。兄や父に知られれば言い訳を口にした所で叱られる事だろう。それでも、吐き出したかった。

 この期に及んでも己の事ばかり考えてしまう。ルネならきっとそんな事はしない。ただひたすらにアリゼの幸せを願い、寄り添っていたルネならば。


 自分が間違えなければ、拙かろうが何だろうが、リボンをもらえたのだろうかと思ってしまう。

 大きな幸福だけに目をやり、それ以外を塵芥として払い除けた結果、望みとしたものを失った。それは、小さな喜び、小さな幸せを積み上げた先にあるものだったからだ。


 今なら分かる。

 失わねば気付けなかった自分は、学問などは得意でも、真理を掴めぬ人間なのだと。

 浅ましくとも、一瞬だけ、アリゼのリボンを身に着けていたかった。そうして心情を詩にして、マチューに残ったのは、喪失感のみだった。


「もう二度とオレに関わるな」


 ジュリアが眉尻を下げる。


「分かっていてよ。

ねぇ、貴方まさか、アリゼの事を?」


 うんざりした顔を見せるマチュー。


「おまえと関わりたく無いと言ってる」


 一瞥してその場を去るマチューの背を見つめながら、ジュリアは肩を竦めた。


「つまらない男」


 ジュリアはリボンを見つめながら呟く。


「緑のリボンにしてくれれば良いのに」


 そうすればそのままルネに渡せた。

 ルネを手に入れる事を望んではいない。二人の関係が一時でも険悪になれば胸が空く、ジュリアはそんな事を考えていた。


「やっぱりピジエが本命だったんだな……」


 背後から低く唸るような声がして振り向くと、パオロがジュリアを睨み付けていた。

 その視線の強さに思わず息を呑む。


「オレを踏み台にしてピジエに近付いて、テター様を使ってルデュック令嬢に揺さぶりをかけて……」


「違うわ、私はただ、アリゼに嫌がらせをしたかっただけ」


 誤解を解く為だったが、返答としては不正解だったと言わざるを得ない。

 パオロは怒りを抑えた顔で言った。


「……つまり、ルデュック令嬢に嫌がらせをする為だけに、オレの気持ちを弄んだって事なのか……?」


 その通りだった。

 ジュリアはマチューやルネならパートナーになっても良いと思ってはいたが、パオロの事は御し易そうだからと声をかけたに過ぎない。


「な、なによ」


 勢いで負けてはいけない、そう考えたジュリアは言い返す。


「私と少しでも一緒にいられたのよ? 感謝して欲しいくらいよ」


 手をぐっと握りしめ、俯くパオロ。


 これだけ強く言えば大丈夫だろう、とジュリアが息をそっと吐こうとした時、パオロが何か呟いた。


「………………けるな……」


「え?」


 聞き取れず、聞き返すジュリアを、顔を上げたパオロが憎しみを込めた目で睨む。

 その目は充血したように赤い。


 失敗した──ジュリアはそう思ったが、もう遅かった。

 あっという間にパオロが距離を詰めてジュリアの白く細い首に手を伸ばしてきた。


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