第四十一話 米軍の撤退視認
1942年6月11日
偵察任務中の一式司偵がインド洋に浮かぶアンダマン諸島から飛び立ち、インドとビルマの国境沿いを飛行している。
ビルマにある飛行場では双発機の運用は厳しく、大型滑走路を持つインドシナのサイゴンからは航続距離の問題から偵察活動拠点としては不向き、肝心なコロンボ基地は日本軍による攻撃で破壊しつくされており、大型滑走路を持つ飛行場が突貫で施工されたアンダマン諸島から一式司偵が飛び立てるのは今日からであった。
百式司偵を更に改良し、新型の偵察器具を搭載した本機が投入されることで今までの軽航空機での偵察とは格段に精度や効率の違う偵察が行えることになり、今後行われるインドでの挟撃作戦に大きな影響を及ぼす・・・はずであった。
日本陸軍独立第六二中隊所属の新田機は現在インド、ビルマ国境にて準備中であろう連合軍陸上戦力を偵察するべく飛行していた。
「佐野、いまどこを飛行している?」
飛行する一式司偵に乗り込む偵察員の岡田が航空士の佐野に現在飛行している地点の確認を行う。
この一司偵には離陸した地点を基準として、事前に地図を挿入し倍率を入力、高度や速度をリアルタイムで計算することで地図上の自機を示す駒を地図上で自動的に動かす当時としては画期的な慣性航法装置が試験的に搭載されていた。
当然精度は後に誕生するGPSなどのGNSSとは比べ物にならないほど悪い物ではあるが、大まかな位置をリアルタイムで知ることが出来るのは現時点での装備としては破格であった。
「現在予定通りビルマインド国境を飛行中!何か問題でも?」
ようやく開始できた偵察活動、現在の位置がその目標地点であることに間違いはなかった。
だが岡田の目には何故か想像にもしていなかった光景が飛び込んでくる。
「いない・・・全然いないぞ!司令部の予測よりよっぽど少ない・・・やつら思ったより全然数を送り込んできてないぞ!」
岡田は偵察用望遠鏡を回転させながら地上を眺め、その光景を一式大航空機写真機に収める。
「佐野、司令部へ報告しよう。敵の集結地点にも火砲が数門あるだけで戦車の姿はほとんど見えない。こんな手薄なら我々の攻撃を止めることはできないだろうさ!」
岡田はカメラを操作しながら会話をする、佐野は司令部に目測での状況を報告した。
「司令部、こちら新田機。予定偵察地点において敵の大部隊は観測できず。前線基地においても戦車などの重要目標はいない。」
音声通信による報告、セイロン島とのやり取りであってもそこにほとんどノイズは混じらず、このタイプは双発機でなければ搭載できない大きさとはいえ、開戦初期から遥かに通信装置も進歩している。
「─こちら司令部。承知した、別命あるまで予定通りの任務を。」
「新田機了解。・・・新田さん、このまま予定航路で。」
「了解。」
新開発でこの機体から搭載されることになったエンジン、それは戦後の評価もさまざまであった誉である。
驚くほどに振動が少なくそのくせに従来のエンジンとは比較にならないパワーを持つこのエンジンを搭載したお陰で、司偵開発の為の踏み台として研究目的で開発された金星エンジン搭載型の百式司偵が最高速度630km/hを達成したすぐ後に660km/hという破格の速度性能を手に入れていた。
巡航速度でも480km/hであり、今現在迎撃するために離陸したままこの機体に追従できる戦闘機は世界に存在していなかった。
搭乗員は皆完成度の高さに惚れ惚れとしており、評価は最高潮であった。
「この機体は最高ですね、どの戦闘機よりも速い!」
「あぁ、巡行時の揺れも少ないし降りてから幻聴に悩まされることもない。」
そんな会話をしながら地上の偵察を続ける新田機、定期的に表れる拠点と思われるものの写真を撮影し飛行を続けていた。
その時であった、無線機に司令部からの無線が入る。
「─新田機、こちら司令部。」
「聞こえています。」
「残燃料と現在位置を報告しろ。」
司令部からの連絡、担当官には若干の焦りが見え隠れしていた。
「新田さん、残燃料はどれくらいですか?」
「どうした?まだ増槽が100Lくらい残っている、機体のタンクは使ってないから7割ってところだな。」
佐野は新田の報告をそのまま司令部へと伝えるとすぐに返事が返ってきた。
「─よし、司令部からの命令だ。増槽を捨て早急に全速で西方へ向かい、東パキスタンのダッカを偵察しろ。鉄道線を中心に見てほしい。」
「了解、ダッカ上空へ向かいます。」
佐野は無線機を外すと新田に命令を報告し、新田はすぐに増槽を捨て出力を上げると西方ダッカへと急行した。
300kmほどの空路をわずかに30分で終わらせた新田機はダッカ上空へと到達する。
そこで岡田が目にした光景は驚きのものであった。
大量に集結している大部隊、一瞬にして岡田はそれが本来ビルマ戦線に張り付いているべきものであると直感した。
だが問題は鉄道の動きであり、慌ただしく動く鉄道はその大部隊をなぜか西方へと送り出しているように見えた。
言葉を発するよりも前にカメラで撮影を行い、ようやく口を開く。
「どういうことだ、これ・・・新田さん、佐野、敵はなぜか西方へ逃げていく。」
「わからんが、中国が落ちて慌てて逃げてるんじゃないか?いいじゃないか、地上部隊もこれで楽に・・・いや?」
「どうしました?」
新田のなにか思い出したかのような反応に二人が問いかける。
その問いかけに新田は苦虫を嚙み潰したような表情をしながら口から自身の聞いた噂話をこぼす。
「司令部は西方へ上陸しインドにいる連合軍を大規模挟撃することを目論んでいると聞いたことがある・・・脱出されたら少しまずいかもな。もしそれをもとに講和しようと考えていたなら尚更。」
「・・・自分にはよくわかりませんが、とりあえず司令部に報告します!」
佐野が一先ずの情報を司令部へと送り、撮影をした後、新田は上空に待機していたのであろう迎撃機を発見する。
スロットルを上げ、誉エンジンの音が再び強くなり始めると、機体は強引に加速していく。
「こっちには迎撃機が待機しているとなると、よほど大事な拠点なのか?とりあえずさっさとずらかろう!P-40なんか巡行でも引き離せるだろうがな。」
迎撃機が一瞬近づいてきたが、それを容易に引き離すと新田機はダッカを後にした。
新田がP-40だと思い込んでいた迎撃機のそれは最新鋭戦闘機であるP-51Bであったが、そのことは新田機の搭乗員は誰も知る由はなかった。
※
ここ参謀本部では緊急で集合が掛けられ、陸軍の上層部のうちすぐに集まれるだけの人物が集まっていた。
今このとき、海軍を呼び出し最高会議を開く余裕などなかった、それは海軍も同じで軍令部では今頃大慌てで海上封鎖網について議論されている頃だろう。
「まずい・・・まずいな、これは!」
報告書を前にそう声を上げるのは寺内であった。
その顔には笑みが含まれており、想定外の出来事による極度の緊張から出た表情であった。
「いったいどうすれば奴らはインドから脱出するなんて手段を思いつく?これでは我々の目論見は破綻するぞ、なあ。やつらの脱出を前に上陸は間に合わん。」
寺内の口は止まらず、すかさず合いの手を挟んだのは日中戦争集結の立役者といっても過言ではない畑であった。
「仕方ない、こうなれば一人でも多く海に沈めてもらうほかない、な。」
「海軍も今頃軍令部では大慌てだろう。インド洋から出られる前に片っ端から輸送船を沈めるように話は進んでいるだろう・・・生憎インド洋にはセイロン島への作戦前輸送の護衛艦隊がいるから、即応出来ないわけではないと思うが・・・問題は我々がどうするかだ。我々が海軍を説得して実現しようとした作戦が破綻すれば、我々の立つ瀬は無いぞ。」
「今更立場がどうこうと言っておられる時代ではないだろう・・・我々も状況が変わったのだ、ビルマから詰めることができれば・・・。」
畑はそう言うと横目に山下を見る、ビルマから一週間の間内地へと戻っていた身だったか、不幸にも即座に参謀本部へと招集されていた。
「畑さん・・・よしてくださいよ。ビルマのインフラを知っているでしょう。あそこからインドに侵攻するにはあまりにも輸送力が足りておりません。」
「ハッ・・・知っているよ。アメリカも馬鹿ではなかったな。どうしようか。」
「陸上での封鎖は絶望的・・・かもしれません。となれば海軍に頼んで海上ですべて沈め続けてもらうしか、アメリカですからインドからの輸送が不可能であると悟ればまだ希望はあるかもしれません。」
山下の言葉に皆が頷くと、寺内が続ける。
「そうだな・・・おそらく海軍でも今頃軍令部では大慌てで会議中だろう。明日、最高会議を行うからそこで意思疎通を図らねば・・・。対中は我々主導だったが、対米は海軍主導になるかもしれん。いくつか案を持って行くが・・・ミッドウェー、真珠湾を目指すと言い始めても驚かないように用意しておかねば。挟撃を立案した俺の責任で申し訳ないが、今の我々に海軍の要求を断る権利は無いかもしれん。現実的な案を出されたならばな。」
「仕方がない、寺内の案には誰も反対していなかった、陸軍全体の責任だろう。」
「・・・すまない。それじゃあ、明日に向けて我々からの案をたたき台だけでも固めよう。」
そういうと一旦皆は冷めた煎茶を口へと運び、ひとり、またひとりと自身の考えを提示し合っていく。
その間にもインド西方ではアメリカ軍の脱出が微々ではあるが、着実に行われていた。
※
一式司令部偵察機
空技廠発動機部に加え各メーカーから技術要員を招集して構成された軍技廠発動機部は、誉エンジン開発において様々な資料から戦後高評価を得ていた点を率先して導入し、戦後批判された点は徹底的に排除、または解決する方向で設計変更を加えた。
更には高品質な燃料の供給が見込める為、初期案にあった再生潤滑油や低品質航空燃料を前提としたものから変更が加えられたことで随所に余裕が出来ていた。
結果初期生産型である一一型においても離昇出力はなんと大台の2,000を超え2,100馬力に到達、定格出力でも1,950馬力を発揮するエンジンへと仕上がっていた。
小型高出力の本エンジンは最高速度を必要とした司偵にうってつけであり、完成時期の都合から本機が初搭載となっている。
そんな一式司偵は史実設計の百式司偵を実験機として試作し、それを踏襲した設計となっている。
誉エンジン搭載、機体の延長、そして搭乗員を3名へ増やし、分業化、専用の偵察機械や最新の大型通信機を搭載したことで偵察機としては世界随一の性能を誇っている。
全長:14.0m
全幅:15.5m
全高:3.85m
最高速:660km/h 6,000m時
航続距離:2,900km(胴体燃料)/4,000km(増槽装着時)
エンジン:誉一一型2,100馬力×2基
武装:無し
乗員:3名(操縦手・通信手・偵察手)




